昨夜、眠れなかったせいか、オスカルが目覚めたときには、すでに昼前で、当然だがアンドレの姿もなかった。
どこへ出かける訳でもないので、簡単な身支度を済ませると、呼び鈴をならして軽食を運ばせた。
手が足りないせいだろう。
食事の世話は、裏方ばかりでめったに表に出ることのない料理長の妻がしてくれた。
「世話をかけるね」
優しく声をかけると、料理長の妻は恐縮しきって詫びてきた。
「なんでも大蔵大臣が罷免されたとかで…。パリの街は大騒ぎなんだそうです。それで食料の配達がずいぶん遅れておりまして…。肉は届いたんですけどお野菜が…。仕方なくうちの人があり合わせで作ったものだから、お口に合うかどうかと心配しておりました」
「ネッケルが罷免?」
「さあ、名前までは存じませんが、肉屋の話では、武器を取れ、なんて物騒な演説もされていたとか…。実際に襲われているところもあるんだそうでございますよ。武器庫とか…。ほんとにだんなさまとオスカルさまが除隊なさってよかった、と皆胸をなで下ろしております」
複雑な思いを抑えながら、あり合わせとは思えないくらい美味しかったよ、と本心から伝えてやると、料理長の妻は大喜びで出て行った。
ネッケルが罷免…。
国王の取り巻きの中で唯一公平に財務問題を考え解決策を提示してきた彼の罷免に、市民が総反発している図がありありと浮かぶ。
武器を取れ、と演説しているのは、さしずめベルナールあたりだろう。
すぐにも情報を収集したい。
そう思ってから、ハッと現在置かれている立場に気づいた。
何もできないのだ。
何もしてはいけないのだ。
だが、じっとしていられる世情だろうか。
口うるさいクリスは、自邸に戻ったことに安心して、何かあれば来るということになった。
姉たちも、とりあえずオスカルが長距離の移動に耐えられるようになるまでは動きようがないため、それぞれ自邸に引き上げた。
アンドレは雑用に追われている。
監視網が、いつになく緩やかになっていた。
じっとしていろ、と誰もが言うが、自分としてはすでに充分じっとしていて、これ以上の安静はかえって精神に悪影響を及ぼすように思う。
大体、身体を横にすると言う行為は、仕事の合間にあるから息抜きになるのであって、四六時中寝台の上にいては、かえって気詰まりで、息抜きに動きたくなるのは自然なことだ。
オスカルは、意を決して部屋を出た。
これは気分転換だ。
廷内の人口減少のおかげで、誰にも見とがめられず、一階に下りるとちょうど掃除が終わったばかりで開け放たれていた応接室に入り、室内には見向きもせず、これまた開け放たれていたフランス窓からテラスに出た。
オルタンス一家が別れの挨拶に来たとき皆が集まったテラスである。
三部会の議員行列見学にはるばる領地から出てきた姉一家と、楽しいひとときを過ごしたことが、信じられないほど遠い昔に感じられた。
だが、実はまだ二ヶ月余りしかたっていないのである。
久しぶりに外の風に当たった。
手すりにもたれて、風に揺れる木の葉を見る。
何枚もの葉が、大きく動き、重なり、離れ、落ち着かないさまを見せている。
もっとも力弱き身分である市民が、武器商を襲い、武器庫を襲い、ついに武器を取ったのだ。
衝撃的な知らせだった。
「彼らが武器を取る日まで、待ちましょう」
第三身分の議員の前から撤退するときのジェローデルの言葉が蘇る。
見ているか、ジェローデル。
彼らは武器を取った。
君は彼らと戦うのか。
軍人が市民と剣を交えるのか。
植え込みが不自然に揺れ、一人の兵士が現れた。
「失礼!!」
兵士が膝をつき叫んだ。
「オスカル・フランソワ・ジャルジェ准将!ダグー大佐よりの伝令です」
オスカルは一瞬で軍人の顔を取り戻し、兵士に対峙した。
「衛兵隊二個中隊に7月13日出動の命令が出ました。指揮官を推挙してほしい、とのことです」
「承知した。すぐに書簡をしたためる。馬車にて待機していろ」
間髪入れない命令に、伝令の兵士はすぐに身を翻し、オスカルの前から姿を消した。
ど とう
怒 濤
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