「アンドレ!アンドレ!」
オスカルは大声で叫んだ。
「いるか?アンドレ!」
大きな声は腹圧が…とクリスが言っていたような気もするが、そんなことを気にしていられる状況ではない。
出動命令が出たのだ。
一刻も無駄にはできない。
思惑通り、どんなときでもオスカルの体調を最優先で気にかけているアンドレは、あり得ないオスカルの大声に反応し、どこからともなく一瞬で現れた。
「なにか…?」
本心では、そんな声を出すな、と思っているが、決して口には出さず、穏やかな口調で尋ねた。
「衛兵隊にパリ出動命令が出た」
「えっ!」
「二個中隊だ。指揮官を推挙してほしいとダグー大佐が伝令をよこした」
アンドレは瞬時に状況を理解した。
「返答するのか?」
「出動だ。進撃の命令ではない。心配するな。ただのデモンストレーションだろう」
そう言いながら、実は違うことを二人は知っている。
出動したが最後、どのような混乱に巻き込まれるか想像の範疇を超えている。
指揮官となるものは、ぎりぎりの選択をしながら事態に臨まねばならないはずだ。
そういう危険な役職に部下を推挙するからには、相応の覚悟が要る。
任免の是非に部下達全員の命もかかってくるのだ。
「わかっていると思うが、おまえは行けないぞ」
アンドレは、視線を庭に据えたまま、低い声で言った。
オスカルはカッと目を見開きどなった。
「そんなことはわかっている!」
アンドレはそっと深い息を吐いた。
よかった…。
「では…誰を…?」
たかが二個中隊だ。
衛兵隊長のダグー大佐自ら指揮するほどの規模ではない。
大佐には残された部隊を指揮する義務がある。
「アラン…」
オスカルは小さくつぶやいた。
それは、とんでもない想定外の人物である一方で、これほどの適任者はいないのではないか、とも思えてアンドレは押し黙った。
なぜ想定外か?
彼が将校ではないからだ。
指揮官が一兵卒から任命されるなどあり得ない。
では、なぜ適任か?
統率力が、秀でているからだ。
彼の命令なら、二個中隊の兵士はきっと信じて動く。
「そうダグー大佐に伝えるのか?」
「ああ…」
「採用されるか、この提案は…?」
「多分な」
オスカルは密かな確信があった。
なぜダグー大佐がわざわざこの緊急時に、退役した自分のもとに推挙を依頼したか。
それは、大佐がアランを起用しようと思っているからだ。
しかし、将校でない彼を任命したところで、上層部がすんなり認めるとは限らない。
将校たちも、納得しがたいはずだ。
ましてアラン自身が引き受けないだろう。
一兵卒が指揮官など…。
だが、ダグー大佐はアランを指揮官にしたいのだ。
というより、この情勢下ではアランしかいないと思っているのだ。
衛兵隊はオスカルの退任演説に象徴されるように、国王の命令よりも自分の信念に基づいて行動することを意識しはじめている。
平民議員に銃を向けることを拒否したくらいだ。
一般市民と戦うなど到底首肯しがたいに違いない。
とすると、なまじ貴族の指揮官が立った場合、そして万が一にも市民に対する発砲命令が出た場合、それを指示する指揮官に対して命令拒否という事態になりかねず、混乱に拍車がかかる恐れが大である。
非常時に将校と部下が対立するのは悲劇以外のなにものでもない。
ならば、そういう事態にいたったときは指揮官ごと命令拒否させるしかあるまい。
兵士と心を一つにして、命令拒否も辞さない指揮官。
オスカル退役ののち、その任務を遂行できるのは、ブイエ将軍に逆らったアランを置いてあろうはずがない。
熟考の上で、ダグー大佐はアランに白羽の矢を立てたのだろう。
そして、上層部と、将校と、アラン自身を説得する最大の道具としてオスカルを担ぎ出した。
病床のオスカルが、切にアランの就任を希望していると言えば、誰も逆らえない。
「大佐は見事な策士だ」
オスカルは満足げにうなずいた。
最近は策士が大流行だな、とアンドレは思った。
ジャルジェ夫人、ベルナールと続いたが今度はダグー大佐か…。
まったく毛色は違うが、確かにどれも皆立派な策士だ。
病床のオスカル…という設定ならば、彼女自身が指揮するという話しはどこからも出てこない。
アンドレは大きく安堵し、この話に賛成することを決めた。
「アランは受けるかな?」
わざと意地悪く聞いてみた。
「受けさせる。場合によっては、わたし自身が説得に当たる」
オスカルは安堵したばかりのアンドレがのけぞりそうなことをいたって平静に口にした。
「もう一度本部に行くのか?おまえは病気だぞ」
ちょっと意味合いは違うが、絶対安静というからには病人と変わらない。
アンドレの背中を冷や汗が伝う。
「納得できなければ、アランはここに乗り込んでくるはずだ」
オスカルはニヤリと笑った。
「なるほど…」
激高して門から駆け込んでくるアランの姿が見えるようだ。
本音を言えば、アランにはもう会わせたくない。
軍隊とは完全に縁を切って欲しい。
だが、とにかく自分が直接の指揮をとる、と言わなかっただけでも、オスカルとしては最大の譲歩のはずで、彼女の中に妊婦としての自覚がかろうじて残っていたことをもって、今回は良しとせねばなるまい。
アンドレはすぐにオスカルの書斎に向かい、返書をしたためる用意を整えた。
ど とう
怒 濤
(2)