目覚めると、人生でこれほどの頭痛は初めてだと、大げさでなく確信するほどの痛みが、ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンに絶え間なく襲ってきた。
いったい自分の身体に何が起きたというのか。
しばし考え、やがて、頭を動かすと耐えられないほど痛いので、瞳だけを動かして、周囲の景色をながめた。
それは、あきらかに自分の部屋ではなかった。
つくりや、調度品の趣味など、控えめな色調で統一されていて、心地よいものであることはわかった。
ぐるっと回した視線を寝台の枕元に置かれたテーブルに戻すと、呼び鈴の下に一枚の紙片が置かれているのが見えた。
やはり頭は動かさず、そっと手だけ伸ばして、それを取り上げ、読んだ。





















ようやくすべて思い出した。

うわばみのオスカルにつきあい、ついつい深酒をしてしまった。
不覚だった。
杯を重ねるほどに、オスカルは陽気になり、自分はもうろうとし、アンドレはハラハラしていた。
そして、何度目かの乾杯の後、ゆっくりと身体が前に突っ伏した。
オスカルの高らかな笑い声が響いた。
すぐに鍛えられた男の腕が肩にまわされ、抱えられるようにして立ち上がり、部屋を出た。
距離感がまったくないので、どれほど歩いたかはわからないが、客間らしい部屋に入り、寝台に横たえられた。
上着など、どうやって着替えたものか、今の自分の格好と、丁寧にたたまれた長椅子の上の衣服からして、あの男が着替えさせてくれたと判断するよりないのだが、とにかくそのあたりからの記憶は全くない。
最後に強烈に印象に残っているのは、部屋を出る自分に向けられた、いささか酔ったオスカルの妖艶なまなざしだった。
しかし、これとて、よく考えれば自分を抱えたあの男の方に向けられたものに違いなく、自分が、オスカルにかけた、おやすみ、ということばすら、実際に口を通して出たものやら、言ったつもりの思い込みだけなのやらはなはだ怪しい。

とにかく、このひどい頭痛は耐えられない。
何か煎じ薬でももらわねば、到底馬車に揺られて帰るなど不可能だ。
フェルゼンはアンドレの手紙の上に重し代わりに置かれていた呼び鈴を鳴らした。
「い、痛っ…!」
呼び鈴の音が頭の中をかき回した。
「これは、たまらん!」
フェルゼンは呼び鈴を放り投げると頭を抱えた。

ほどなく侍女が入ってきた。
隣の客間からやってきたオルガだったが、無論フェルゼンは知らない。
「お目覚めでございますか?」
との問いに無言で目を開けて、起きたことを知らせ、ついで
「世話をかけるが、頭が痛くてたまらない。何か薬をくれないか?」
と、頭に響かないよう小さな声で言った。
よくしつけられた侍女は決して無駄口を叩かない。
その典型のように、オルガは
「承知いたしました。すぐにお持ちいたします」
と言い置いて部屋を出た。

それからフェルゼンは、この頭痛があとどれくらいで治まるか、真剣に考え始めた。
アンドレの手紙からして、二人が全く平常通りに出勤したのは明らかだ。
つまり、二人はこの情けない二日酔いには見舞われていないのだ。
化けものめ!との悪態が口をつく。
部屋の置き時計はすでに二時をさしている。
ぼやぼやしていると二人が帰ってきてしまう。
ここでフェルゼンが二日酔いで臥せっていると知ったら、どんなに大笑いするだろう。
アンドレはともかくオスカルの勝ち誇った顔が目に浮かび、それだけはなんとしても避けたい、とフェルゼンは切に願った。

思ったより早くオルガが戻ってきたのは、実はこんなこともあろろうかと、アンドレが今朝方、オルガに頭痛薬を用意して渡していったからなのだが、無論そうとは知らないフェルゼンは、じいが見ていたらきっと賞賛してくれるであろう勢いで、この苦い薬を飲み干した。
本来なら帰りの馬車の手配を命ずるべきところ、この頭痛ゆえ、それも言い出せず、再び無言で横たわった。
ではまた何かありましたら呼び鈴を、とだけ言って立ち去る訳知り顔のオルガをなんとももの悲しく見送ると、ただひたすら薬の効き目の早からんことを祈った。

昨夜、いや、正確には今朝方、床についてからすでに相当な時間が経過している。
睡眠時間としては充分で、もはや再度眠ることは無理だとすると、薬が効いてくるまで、こうしているしかないわけで、意気揚々とフランスに来て、王妃と再会を果たし、また、念願の二人とも酒を酌み交わしたまでの自身のスマートな活動が、ことここにいたってぷっつりと断ち切られ、無惨に打ち据えられているようで、なんとも表現の仕様がない。

オスカルと酒で勝負するな、と言っていたアンドレの忠告が蘇った。
まったくだよ、アンドレ。
やはりオスカルはわたしにとって男だ。
あんな女がいてたまるか、というと見苦しいのが自分でもわかるゆえ、言葉を丁寧に変換して、オスカルはよき友、同性の…、かけがえのない親友と定義づけた。
あれほど武官らしい武官はいない、今さら女性として自分が接するのはかえって失礼である、とのもっともらしい理由をそえて…。
だが、そう思うには、最後に見たオスカルの笑みが、あまりにあでやかで、男はああいう風には笑わなということも悲しいほど理解でき、フェルゼンは意地と理性と感情の板挟み、いや、三すくみという頭痛以外の苦しみとも闘わねばならなかった。

それでも…。
たとえ頭痛がどれほど激しくても、飲み比べに完敗したことがどれほどくやしくても、三人で酒を酌み交わした昨夜は、なにものにも変えがたい暖かい思いを残してくれた。
激務のなかにも心の安定を保っているオスカルを目の当たりにできたこと、どのような障害をも越えて一人の女を愛する男と、共感を持って語り合えたこと、この経験との引き替えであるならば、甘んじてこの頭痛を受けよう、とフェルゼンは静かに目を閉じ、潔く痛みに身を委ねた。



                                              つつ゜く



back   next  menu  home



  
  フェルゼン伯爵さま
 
  お目覚めになりましたら、この呼び鈴を鳴らして、侍女をお呼びください。
 昨夜のうちに、お供の方々はお帰りですので、当方の馬車にてお送り申し上げます。
  オスカルはすでに出勤いたしております。
 素晴らしいひとときを与えてくださったことに深く感謝している、との伝言です。
 わたくしからも心から御礼申し上げます。
                          
                      アンドレ・グランディエ