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フェルゼンは少しためらい、それから意を決したように口元をひきしめると、呼び鈴を鳴らした。
ほどなく執事をかねる爺が静かに入ってきた。
落ち着いたしつらえの書斎はフェルゼンの性格そのままで、嫌みのない高級感にあふれている。
フェルゼンは両袖机の上に置いた手紙を指し示した。
「ジャルジェ家のアンドレ・グランディエ?」
爺が宛名を見ていぶかしげに顔を上げた。
確かこの名前は使用人ではなかったか。
伯爵直々の手紙とはなにごとであろう。
黙ってはいるが、目が聞いている。
「先日訪ねた折りに随分世話になったのだ」
それ以上は聞くな、と言わんばかりにフェルゼンは爺の手に手紙を押しつけた。
「かりにも使用人宛だ。将軍やオスカルには内密で届けるように。頼んだぞ」
早口で用件のみ伝えるとフェルゼンは爺を下がらせた。
やれやれ、とため息をつく。
自分が手紙を出すだけでもいぶかしがられるのだ。
受け取る側はもっと厳しい詮索にあうかもしれんな。
だが、アンドレはなかなかそつのない男だ。
わたしの思うところを察してうまく立ち回るだろう。
フェルゼンは貴公子らしく、何事も前向きにとらえることにした。
手紙は、要するに「一杯のまないか」という誘いである。
ジャルジェ家訪問の折り、オスカルのうわばみにつきあって、手ひどい二日酔いに苦しんだ。
だからオスカルと飲む気はさらさらない。
だが、アンドレ・グランディエという男とは、一度じっくり話をしてみたいのだ。
あの黒いただ一つの瞳が見てきたものを知りたい。
なぜか自分と同じ匂いがする。
オスカル抜きで飲みたい。
そう思うと、いてもたってもいられない気がしてきて、すぐに手紙を書いてしまった。
そして、本当に届けるかどうか逡巡しているとかえってタイミングを逃しそうで、すぐに爺を呼んだのだ。
さて、アンドレは何と言ってくるだろうか。
よもや自分の誘いを断ることはあるまいが、オスカルにばれないように、というのが至難のワザだということは重々承知している。
フェルゼンは出すまでのためらいはどこへやら、早速返事が今か今かと待つ楽しさに浮き足立った。
案の定、ジャルジェ家の執事ラケルは、フェルゼン家の使いが持って来た伯爵からアンドレ宛の封書にあからさまにいぶかしげな顔をした。
フェルゼン伯爵といえば、先日当家にやってきて、オスカルさまと一晩飲み明かした末にぶっ倒れ、アンドレが客間に運んで、翌日の日が暮れる頃にようやく帰って行った御仁である。
もちろんオスカルさまの無二の親友であるから丁重におもてなししているが、ジャルジェ家の使用人連中は、しばらく伯爵は来邸しないだろうと予想していた。
それが日を置かずしての使者の来訪であり、しかも「将軍や准将には内緒で」との口上付きのアンドレ宛封書である。
いぶかしがらない方が執事失格というものだ。
だが、たとえ外国人でも貴族は貴族。
いかに使用人宛とはいえ、執事が勝手に開封するわけにはいかない。
ラケルは言われるがままに手紙を預かった。
そしてアンドレの帰りを待った。
外出していた将軍夫妻が帰宅してほどなく、オスカルも戻ってきた。
めずらしく定時での帰還である。
こういう場合、当然ながらオスカルの機嫌はいい。
ラケルは安堵した。
ここでオスカルの機嫌が悪いと、なだめられるのがアンドレだけということになり、彼はオスカルのそばを離れられなくなる。
とすると手紙が渡せない。
はなはだ困るのである。
ところが今日は顔色も良く、足取りも軽そうだ。
これならアンドレを呼びつけられる。
執事は、丁重にオスカルに出迎えの挨拶を述べたあと、アンドレに声をかけた。
アンドレはすぐに応じて、2人一緒に執事室へ向かった。
執事室は玄関ホールと厨房をつなぐ廊下の中程にある。
それほど広くはないが、多くの書類を収めた本棚が見事に整えられて並んでいる。
執事は手紙をアンドレに渡した。
「フェルゼン伯爵からだ。これにはご伝言がある。将軍やオスカルさまには内密に渡すようにとのことだ。それを充分心得て対応してくれ」
今度はアンドレが露骨にいぶかしげな顔をした。
どうやら心当たりがないらしい。
それはそうだ。
今まで一度だって伯爵から手紙をもらったことなどないのだから。
もちろんオスカル宛はあった。
2人は親友だから。
しかしアンドレは…。
「先日のお礼ではないか?」
執事が助け船を出してやった。
「ああ、そうかもしれません」
「とりあえず部屋へ引き上げて、中身を確認し、できるだけ早く対応しなさい」
律儀なラケルは、私信であるものをのぞきみたり聞き出したりはしない。
この中身はあくまでアンドレだけが知るべきものだ。
アンドレはラケルの指示通りにした。
足早に自室に戻ったアンドレは丁寧にペーパーナイフで開封した。
整ったフランス語が簡潔に綴られている。
要するに男同士で一杯飲もう、というものだった。
アンドレは、手紙を前に頭を抱えた。
気持ちはとてもありがたいが、オスカルにばれない方法があるのだろうか。
※こちらのお話は本編第一部の「酒宴」〜「縁」のあとに入るものです。一応本編でして、奇跡シリーズではないつもりです(^^;)
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