謁見は、当然のごとく謁見室で正式な作法にのっとって始まった。
つまり、居並ぶ女官や護衛の近衛兵が周囲に控え、言葉上は親しく拝謁と言いながら、王妃とオスカルとの距離は実際以上に遠いものと感じられた。
しかも久しぶりのオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ准将の謁見とあって、近衛からは連隊長のジェローデル自ら護衛に出仕したため、ただでさえものものしい王妃の周囲はさらに人数を増し、堅苦しいことの嫌いな王妃の最も忌むべき環境となってしまっていた。

こういう場合の王妃の常套手段がまもなく出るな、と、オスカルは
「王妃さまにはご機嫌麗しく…」
と言いながら予想していた。
「オスカル・フランソワ、本当に久しぶりね。この間は御前会議にまで出ておきながら、そのまま退廷してしまったと聞いて、とても残念に思っていましたのよ。今日はゆっくりお話がしたいわ。幸い、お天気もよいようですから、一緒に庭に出ましょう」
と、白い手をオスカルに預けながら王妃は優雅に誘った。
そして供をしようとするジェローデルや女官を制し、
「謁見はこれでおしまい。これからはわたくしのお散歩です。護衛はジャルジェ准将ひとりでよろしい」
と一同に言い渡した。
「しかし庭園は市民にも開放されております。時節柄、護衛は多い方がよろしいかと存じます」
と食い下がるジェローデルに、王妃はさもおかしそうに言った。
「わたくしの護衛にこのオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ准将以上に頼りになるものがおりますか?以前と変わらずわたくしを守ってくれますね、オスカル・フランソワ。久しぶりにプチ・トリアノンを案内しましょう」

しきたり嫌いで、ことごとく宮廷の作法を変革してきたアントワネットならではの言動だった。
少しも変わっておられない、とオスカルは苦笑しつつ
「すべて御意のままに…」
と答え、王妃に付き、庭園に出た。

王族の夕食風景を一般市民に開放するというしきたりは、アントワネットが王妃になってから廃止され、宮殿内の庭園は市民の見学自由という風習も、プチ・トリアノンは例外とされ、王妃の許可無しに立ち入ることは許されなかった。
自由になりたかった王妃の一連の改革が、結果的に王室と民衆の距離を広げ、様々な誤解を生んだのはなんともいえない皮肉だった。
たとえ貴族と対立していても、民衆が味方していれば、五月に開会される三部会での国王の立場はもっと楽なものになったに違いない。
三部会は第一、第二身分の聖職者や貴族が自分たちの立場を強めるために要求したものだ。
そこに生活苦にあえぐ第三身分がのったのだ。
そのことに王妃さまは気づいておられるのだろうか。
冬枯れにもかかわらず四季折々に花が愛でられるよう工夫されたプチ・トリアノンは、やはりこの世の楽園の体をなし、それが一層オスカルの胸を痛く、また切なくさせた。

「最近は宮廷に出てくる貴族もめっきり減りました。庭園を歩いているのは下品な平民ばかり…」
アントワネットは苦々しそうに漏らした。
下品…。
「お、おそれながら王后陛下、わたくしにはそうは思えませんが…」
オスカルの変わらぬ落ち着いた、けれども一途な物言いに、アントワネットの眉がピクッと反応した。
だが、ここでオスカルと言い争ってどうなるものでもないとの大人の判断ができるほどには成長していた王妃は
「ほほ、オスカル・フランソワ、よろしいでしょう。あなたが彼らに同情する気持ちはわかりますよ」
と収めた。
王妃の意図を察し、それ以上の言及は避けたものの、オスカルの心中には、ノエルの休暇の折、シャトレ家でベルナールと交わした会話がよみがえった。
そしてどこかへ行けと、わざわざ助言に来てくれたつい先日のできごと…。

同情…。同情…。
違う。同情なんかではない。
ベルナールの言葉の裏にはわたしへの同情がこめられていた。
同情されているのはむしろわれわれ貴族のほうではないのか…E

「いま…わたくしが生きているのはもう…愛する子供たちと女王としての誇りと…まだわたくしを慕ってくれている廷臣たちのため…だけです」
今度はオスカルの眉がピクリと動いた。
「フェルゼンのため…と…、フェルゼンのために生きていると…なぜおおせにはなりませんのかE」
冷静を装っていた王妃の身体がピクッと揺れた。
「おっしゃってください。昔のようにEフェルゼンのために、フェルゼンへの愛ゆえに生きるのだと!アントワネットさま!」
「あ…愛しています。すこしも…すこしも変わっていません。あの人がこの世にあるからこそ!」
「アントワネットさま」
王妃は大きく泣き崩れた。
「けれどもどうして言えるでしょう。そばにいてほしい…と。わたくしはフェルゼンに捧げる何物もないのです。この身さえわがものではない。国王陛下や、病気の王太子、わたくしよりほかに頼るもののない王女や王子…。フェルゼンを命のかぎりをこめて愛しています。でも帰ってきてとは言えません。せっかくスウェーデン国王のご命令で帰国しているフェルゼンに戻ってきてくれと、この荒れ狂うフランスに…わたくしのそばに…戻ってきてとは…」
「戻ってまいります。フェルゼンは必ずアントワネットさまのおそばに戻ります。そういう男です。命の危険を犯してまで、アントワネットさまへの愛を貫いてきた…フェルゼンです」
オスカルは断言した。

「ああ、なぜ神はわたくしという平凡な女にふさわしい平凡な運命をあたえてくださらなかったのでしょう」

あふれる涙とともにつぶやいた王妃の言葉がオスカルの胸を貫いた。
王家に生まれ、顔も知らぬ人に嫁ぎ、世継ぎを生むことを義務づけられる。
もし、父上が断固ジェローデルとの結婚を強いてきたならば、自分は耐えられただろうか。
家のために、結婚し子供を産めただろうか。
断じてできない!
断じて!!
そう思えば思うほど、王妃が気の毒でたまらなかった。
オスカルは王妃を固く抱きしめた。
ひとりの女性として人間として、はじめて心から王妃の苦衷を理解した気がした。


ようやく感情の高ぶりを収め、王妃とオスカルはプチ・トリアノンから宮殿へと歩き始めた。
市民がものめずらしそうに遠巻きに眺める様は、慣れているとはいえ、やはり愉快なものではなく、オスカルは好奇心に満ちた視線から王妃をかばうように立ち位置に気を配った。
すると、どこからともなくジェローデル率いる近衛兵が現れ、二人の周囲に立ち、歩みを共にした。
「さすがだな、ジェローデル。見事な気配りだ」
オスカルの賞賛にジェローデルは
「護衛として当然の行動です。王妃さま、このままお部屋にお戻りになられますか?」
と、受け流し、アントワネットを王妃の居間へ誘導した。

「ジェローデル少佐。いつもさりげない心遣い、感謝しています。先ほど供を断ったこと、許してくださいね。今はあなたこそもっとも頼りになる近衛連隊長と信頼しています」
アントワネットは申し訳なさそうに近臣を気遣った。
「恐れおおうございます。どうぞわたくしなどにお気遣いくださいませぬよう」
ジェローデルは慇懃に頭を下げ、謁見の終了したオスカルを先導する形で退室した。
あくまでクールに構えるジェローデル見て、決して嫌な奴ではないのだ、とオスカルは思う。
むしろ申し分ない男だ。
以前、王妃さまは言われた。
国王陛下はご立派な方で、心から尊敬している。けれどそれは愛ではない。と…。
今、近衛隊の軍服を見事に着こなし、王妃の絶大な信頼を、天賦の才と努力で勝ち得てきたかつての部下兼婚約者を目の前に、オスカルはまたもや王妃の気持ちを理解した。
ジェローデルは立派な男だ。部下としても信頼していた。だが、それは愛ではない。
愛は…愛はもっと甘くせつない…。

「わたくしの顔に何かついておりますか?ジャルジェ准将」
よほどジロジロと見つめていたのだろう。
ジェローデルが耐え難くなったように声を上げた。
「あっ、いや、すまない。立派な連隊長ぶりだと感心していた。わたしなどよりはるかに君にふさわしい役職だったのだと思い知った」
「ご冗談を…。部下たちは未だに前任の隊長を恋しがっておりますよ」
わたしを筆頭に…、という言葉を飲み込み、ジェローデルは
「天気がよいとはいえ、この季節、庭歩きはお寒かったのではありませんか?」
とさらに気配りを見せた。
「そうだな…ックション」
答えると同時にくしゃみが出た。
「やはり…」
とジェローデルは、すぐにジャルジェ家の馬車を呼ぶよう部下に命じた。
「すまない。だが、風邪ではない。きっと誰かがわたしの噂をしているのだろう。どうせ衛兵隊の連中か、それとも…」
オスカルはなぜだか母とアンドレが自分の話をしている様が脳裏に浮かび、
「いや、やはり風邪かな。悪いが今日はこのまま家に帰る。衛兵隊に連絡しておいてくれ」
と言うなり、馬車に乗り込んだ。
一旦、アンドレの顔を思い浮かべると、無性に会いたくなり、いてもたってもいられなくなった。
近衛兵に衛兵隊への連絡を依頼するなど越権行為きわまりないが、ジェローデルは意に介する風もなく引き受けてくれた。
心底風邪のひきはじめかと案じてくれているのがうしろめたいが、今は問うまい。
帰ろう、家へ。
母のいる家へ。
アンドレのいる家へ。
そして二人してわたしのどんな悪口を言っていたか聞き出すのだ。
きっとそれが王妃とのあまりにつらい会話を忘れる最良の方法だ。
絶対白状させてやる。
アンドレ、覚悟しろ!
オスカルは馬車の中で小さく叫んだ。




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