ボタンはひとつ掛け違うと全部ずれる。
ひとつめのボタンで気づけばひとつはずして掛け直せばいいが、全部とめてからではやり直すのに結構手間のかかることになる。
オスカルが謁見で宮中に出向いたあと、一時間ほど薪割りをしたアンドレは、オスカルの言いつけ通り、寝台に横になり、しばし仮眠をとった。
屋敷内で昼日中から部屋にこもるのは気が引けたが、ジャルジェ夫人が
「あなたが眠らずにいたと知ったら、オスカルは、きっと機嫌を損ねてしまってあとが大変です。皆のためと思って休んでちょうだい」
と、相変わらずの心憎い配慮で、ばあやたちに説いてくれたため、白い目で見られることなく自室に戻ることができた。
寝台に入ると、実際オスカルの言うとおり夜勤で一睡もしていなかったから、一瞬で夢の世界に落ちた。
そしてきっかり二時間、アンドレは気分爽快に起き出すと、また軍服に着替え、謁見から衛兵隊に戻るオスカルを出迎えるため、馬を走らせた。
時間的にはオスカルが帰隊するまでに余裕があり、あわてる必要はないのだが、自然と馬を早足にさせてしまう自分に苦笑する。
門兵に軽く会釈して騎乗のまま敷地内に入り、馬小屋に向かう途中で、ダグー大佐に出逢ったアンドレは、すぐに馬から下りた。
大佐という高級将官としての尊大さをみじんも見せず、親しげに近づいてきた副官は、アンドレのそばに来ると声を潜め
「今、宮中から近衛隊の使いが来て、隊長はお風邪を召されたようなので屋敷に直接帰られた、とのことだ」
と教えてくれた。
「えっ?風邪ですか」
と驚くアンドレに、大佐も
「そうなのだ。あの方に限って体調管理に遺漏のあるようには思えんので、わしも驚いている」
と、髭を撫でながら首をかしげた。
兵士がちょっとでも不調を訴えようものなら、気合いが足らんのだ!と一括している隊長が…、とブツブツ言いつつ
「とりあえず出勤してきたばかりですまんが、君はもう一度屋敷に戻ったほうがよかろう」
と大佐が指示してくれたので、アンドレは有り難く甘えることにして、再び馬に乗ると、すぐに元来た道を引き返した。
昨夜、夜勤に残る自分を置いて司令官室を出たオスカルに風邪の気配はなかった。
そして今朝、夜勤明けで戻ってきた自分を残し謁見のため馬車に一人乗り込んだオスカルも、いつも通り元気だった。
「寝不足は風邪のもとだ。しっかり休んでおけ!」
と、馬車の窓から怒鳴っていたくらいである。
ジャルジェ夫人はそれを側で聞いていたからこそ、アンドレを休ませてくれたのだ。
本当に風邪をひいたのか。
それとも王妃との会見で何かあったのか。
あるいは近衛からの連絡というなら、王妃の側近く使えるジェローデルとの間に何か…。
馬をせかしながら、アンドレは大きく首を振った。
とにかく早く戻って顔を見よう、と日頃馬車で通る公道から脇道へそれ、林の中の小道へ分け入った。
こちらの方が道は悪いが断然近い。
夏場は葉が茂ってうっそうとしているが、冬は枝だけを残して葉が落ち、かえって見通しがよくなっているのが、急ぐ身にはありがたかった。
さきほど出てきたばかりのジャルジェ家の門に着くと、折良くその場にいた馬方の男に馬を預け、廷内に入った。
オスカルはきっと部屋で休んでいるはず、と読んで、二階に上がりかけたところで、
「アンドレ!」
と言う声がした。
振り返ると女中頭のオルガが目をぱちくりさせてこちらを見ていた。
「オルガ!オスカルの具合はどうだい?寝ているのかい?」
「なんだって?」
「オスカルの具合だよ」
オルガの耳が遠いという話は聞かないが、と思いながら、近づいていきもう一度聞いた。
「お元気に出仕なさったよ」
「え?宮中から帰ってきたんだろう?」
「ええ、ついさっき。それであんたのことを聞かれたから、衛兵隊の本部に行ったとお答えしたら、そうか、と言うなり、もう一度馬車に戻られて…」
「風邪は?」
「風が吹いていたかどうかなんてあたしは知らないよ」
「そうじゃなくて風邪。あいつ元気だったか?」
「オスカルさまが?朝お出かけのときのままお元気そうだったけどね」
その言葉を最後まで聞かず、アンドレは再び外へ出た。
どうやらやはり風邪ではないらしい。
アンドレは馬小屋へ走り、のんびりと馬から鞍をはずそうとしている馬方から手綱をひったくると、
「すまん。もう一度出かける」
と、ひらりと飛び乗り、門から飛び出した。
本部からの帰路、近道したのがアダになった。
それでオスカルの馬車と行き違ってしまったのだ。
急がば回れとはよく言ったものだ。
再度疾走させられている馬に同情しつつ、頭を整理してみる。
オスカルは朝、元気に謁見に出向いた。
そのまま本部に戻るはずのオスカルを出迎えるためアンドレは出勤した。
だが、オスカルは風邪だといって、連隊本部ではなく、自邸に戻った。
そしてアンドレが本部に出勤したと聞いて、自邸を出た。
一方アンドレはオスカルの様態を案じて本部から屋敷に戻った。
公道を馬車で本部に向かったオスカルと、林道を馬で駆け抜けて屋敷に戻ったアンドレは、当然出会わなかった。
見事にボタンをかけ違っている。
互いに、互いの顔を見ようと動いているのは間違いないようだが…。
アンドレは馬に鞭をあてながら、強く心に念じた。
「オスカル、もし俺を捜しているならもう動くな。そこにいろ。おまえが俺に会いたいときは俺が行く。おまえを追い求めるのが俺の仕事だ」
本部の門番兵が超高速で走り抜けるアンドレの馬を避けようと、門柵にしがみついているのを尻目にアンドレはそのまま馬小屋に乗り付けた。
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つ・い・き・ゅ・う
1
追 求
追求
目的のものを手に
入れようとして追い
求めること