司令官室の専用席に腰掛け、キョトンとした顔のダグー大佐に、
「大したことはないのだ。心配かけてすまなかった」
と、告げると、オスカルはこれ見よがしにたまった書類にサインをはじめた。
つまりは一人にしてほしい、ということだと察し、
「それはなによりでした。では私は失礼致します」
と大佐は、触らぬ神に祟りなしとばかりにさっさと退室した。
扉が閉まるのを見届けると、オスカルは羽根ペンを放り投げ、
「馬鹿者が…!」
とつぶやいた。
屋敷でアンドレが出勤したと聞き、突然の帰宅の原因を執拗に問いつめようとするオルガをかわして本部に来てみれば、アンドレは風邪のオスカルを案じて帰った、と大佐に聞かされた。
「何をやっているんだ…!」
だが、もう探すまい。
オルガに事情を聞いたアンドレはもうすぐここに来るだろう。
わたしを探すのはおまえの仕事だ。
そして、今のわたしの仕事は…。
今度こそ、母上とどんなうわさをしていたか、問いつめてやる。
オスカルが軍服の襟元をぐいっとひきしめたところへ、アンドレが飛び込んできた。
「オスカル!」
息を切らして叫ぶ声の方にわざとゆっくり顔を向けた。
「風邪の具合はどうなんだ?出てきて大丈夫なのか?」
立て続けに質問を浴びせてくるのを手を挙げて制し
「質問はわたしが先だ。いいか。正直に答えろ」
と、冷たく言った。
「俺に聞きたいことがあるのか?それで行ったり来たりしていたのか?」
「行ったり来たりしていたのはおまえだ。それと質問はわたしがすると言っているだろう」
「ああ、そうか。おまえは宮殿から屋敷経由でここへ来ただけか」
と、言いながら、まだぜーぜーと肩で息をしながらアンドレは窓辺の長椅子に座り込んだ。
その様をちろりと見やると、
「今日は、わたしの不在中、きちんと休んだのだろうな」
とオスカルは聞いた。
「ああ、もちろん。奥さまが皆にお声をかけてくださって、ゆっくり休めた」
との答えにオスカルの柳眉がピクッと反応した。
「やはり…」
「え…?休まない方がよかったのか?」
「母上となにを話した?」
「なにって…。えー…と」
ようやく呼吸が落ち着いてきたアンドレは、記憶をたぐってみる。
薪割りをしていたらエヴリーヌが来て、お祝いの礼を言って帰った。
それで奥さまのところにご報告に行くと、心変わりしないか、と念を押されたので…。
「すぐに返答できないところを見ると、どうやらわたしが話題だったようだな」
やはりあのくしゃみの原因はこれだな、とオスカルはひとり納得した。
「それは…まあ…、おまえのことも話したが」
と答えつつ、アンドレは真正面からオスカルを見据え、尋ねた。
「それが何か…?」
「どんなことだ?」
「えっ?」
「わたしのどんなことを話したのだ?」
「おまえ、謁見で何かあったのか?」
「質問にこたえろ」
「はいはい。わかりました。ではお答えします。俺と奥さまがおまえのことで話したのは
エヴリーヌが来たからだ」
「エヴリーヌ?誰だ、それは?」
「ジョゼフィーヌさまの侍女だ。今度結婚する…」
「ああ、おまえの嫁候補か。それが何しに来たのだ?」
「お祝いの御礼だよ。何でオスカルさまから頂けるのか、といぶかしがりながらも丁寧に御礼を言って帰った。俺も一緒に選んだのをご存知の奥さまが、留守のおまえのかわりに俺の所へよこしてくださったんだ」
「なるほど。で、母上と何を話した?」
「やけにからむな」
息切れの上に訳のわからぬ質問攻めで、いい加減疲れたアンドレは、何も考えず素直に答えた。
「奥さまは、エヴリーヌを見ても心変わりはしないか、とおっしゃったんだ」
「心変わり?!おまえがか?」
「だから俺は、心変わりが心配なのは俺よりもオスカルのほうです、と答えて…」
「わたしが心変わり?」
「だってそうだろう。俺はおまえ以外の女に目を向けたことはないんだから…!」
アンドレがめずらしく邪険に言い放った言葉を聞いて、オスカルは呆然とした。
自身では思いも寄らなかったが、かつてフェルゼンを愛し、今、アンドレを愛していることは、見方によっては心変わりなのだ。
というか、どう見ても心変わりなのだ。
全く自覚はなかったが…。
つまりは自分は心変わりの前科者なのだ…。
今日、奇しくも王妃に直言した言葉。
フェルゼンは必ずアントワネットさまのおそばに戻る、そういう男だ…という言葉。
フェルゼンは決して心変わりなどしない。
それは誰よりも自分が知っている。
だからアントワネットさまに断言できた。
アンドレは…、アンドレももそうだ。
今、目の前で息を整えると同時に心も静めようとしているこの男が、長らく自分だけを見てきたことは、自分が一番知っている。
だが、わたしは…。
心変わりするのはわたしか?
わたしはそういう女なのか?
「オスカル!」
大きな声で呼ばれた。
びっくりして顔を上げると、
「追及の矛先は俺ではなかったのか?」
と、優しい目が聞いてきた。
アンドレはすでにオスカルが自身を責めていることを察知している。
ほんのわずかな言葉から、彼はオスカルの心の奥底の変化を認める。
「そのはずだったのだが…」
かなわないな、とため息をつきつつ、オスカルは答えた。
「謁見で疲れたのだろう。やはり今日は風邪ということにして、一緒に屋敷へ戻ろう」
と言われると、心が素直になり、尋ねてみたくなった。
「アンドレ、わたしは、前科者か?」
何の前科かはあえて言わずに聞いた。
話しの流れでわかっているだろう。
フェルゼンを愛していたことは、自分の中で消すことのできない真実だ。
もちろん後悔もしていない。
だが、今は、今は…真実、アンドレだけを愛している。
この思いはアンドレに伝わっているだろうか。
心変わりするならわたしの方だと、アンドレは言った。
わたしが又心変わりすると、本気で思っているのだろうか。
わたしには心変わりの前科があるから…。
だが、
「大酒飲みのか?それならすでに犯歴は両手の指でも足りないな」
という返事がきた。
「…!」
「それ以外に前科などあるはずがない」
これ以上この話はするな、という意志が読み取れるきっぱりとした言い方だった。
「そうか」
「あったりまえだ!ほら、馬鹿なことを考えず帰る支度をしろ。俺はダグー大佐に連絡してくる」
「ハッハ…。追及は大失敗だったな」
と小さくつぶやくとオスカルは、おとなしく帰り支度をはじめた。
帰途の馬車では、あえて向かい側に座らず、オスカルはアンドレの横に座った。
当然のように身体を預けると、なぜか涙が滲んできた。
アンドレは片腕をオスカルの肩に回しながら、窓の外を見ている。
「おまえはなぜそのようにいつも落ち着いていられる?不思議なくらいおとなしくてひかえめではじけなくて…」
眼を閉じ、ほとんど吐息のような声でオスカルは聞いた。
アンドレがゆっくりと視線をオスカルに戻した。
「おまえのただひとつの眼は千の眼のようになにもかもを見ている」
きっとわたしの過去も、そして現在も…という言葉は呑み込んだ。
もはや言葉にする必要はない。
今、耳元で聞こえるアンドレの鼓動。
トックン、トックンという音が子守唄のように優しく響き、オスカルを包んでいく。
「アンドレ、もう決して心変わりしないぞ…一生…」
と言いながらスーッとオスカルは眠りに落ちた。
アンドレは上を向き、目頭をつまんで涙を止めた。
それからオスカルの豊かな金髪に顔をうずめ、おそらく聞こえてはいないだろう彼女に小さな声で
「愛している…よ…」
とささやいた。
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つ・い・き・ゅ・う
2
追 及
追及
責めたり問いただし
たりすることで相手
を追いつめること