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割り当てられた仕事は、割り当てられた時間の7割で仕上げ、残った時間をつかの間の休息に当てる、という方法を発見したのは、いつ頃だっただろう。
お屋敷に引き取られて間のないうちは、とてもそんな余裕はなかったから、おそらく二、三年経って、要領を得た十歳くらいのときだったな、とアンドレは切り株に腰を下ろしながら思った。
2月の風は冷たく、薪割りのあとのほてった身体を心地よく冷やしていく。
末のお嬢さまの遊び相手、というのは、ある意味二十四時間営業で、自分で休みをとることはできないから、初めのうちは心身ともにヘトヘトになって寝台に転がりこんでいた。お嬢さまは容赦ない気性の持ち主で、自分を使用人と見下さないかわりに、剣の腕前が違うから手加減する、ということも絶対にしてはくれなかった。
だから、遊び相手の合間に屋敷の仕事が言い渡されると、返ってうれしい時があったことも、決してオスカルには言えないが、正直な気持ちだった。
今から一時間薪割りだよ、と言われれば、四十分で終わらせ、二十分は休憩にあてた。
そして、そのわずかな時間にいろいろなことを考えていた。
亡き両親のこと、別れた友達のこと、八年暮した家のこと、空想や思い出が疲れた体を癒してくれた。
けれどもたいていの場合、この秘密の休憩時間は、屋敷の仕事を手伝ってやろうというお優しいお嬢さまの登場で立ち消えになった。
「なんだ、もう終わってるじゃないか。なら、早く戻って来いよ」
と、うれしそうに言われると、残念な顔もできず、
「今、帰るところだったんだ」
などと、ごまかして小さいため息とともにお嬢さまの後をついて行ったものだ。
だが、今日はお嬢さまに邪魔されることはない。
御前会議の日にそのまま帰ったことを聞いた王妃からの呼出しがかかり、オスカルは宮中に伺候していた。
アンドレは夜勤明けだったので、同行は免除され、オスカルの出仕と入れ替わりのように屋敷に戻って来ていた。
少年のころ、あんなに欲していた一人の時間が突然手に入り、しっかり睡眠をとって回復しておくように、とのオスカルの愛情あふれる命令を無視して、久しぶりに薪割りを買って出たのだった。
そしていつものように早めに終わって空いた時間を切り株に腰掛けて過ごした。
優しいお嬢さまの邪魔が入らなくなったのは、とアンドレは再び記憶をたどる。
そう、オスカルが士官学校に入ってからだった。
オスカルに時間の余裕がなくなったのだ。
そして心の余裕も…。
オスカルが士官学校で、相当つらい目にあっいてるらしいことが察せられ、その八つ当たりが来ているだけだ、とわかっていても、十代前半の少年に受けきれないほどの怒りがまともに向けられると、自分でも制御が聞かなくなり、とっくみあいのけんかになったこともたびたびだった。
剣ならかなわないが、とっくみあいなら、五分と五分。
疲れて勝負などどうでもよくなったら終了、という他愛ないものだったが、これが案外オスカルと自分のいい気晴らしになっていたのだ、ということも今なら理解できた。
アントワネットが輿入れし、正式に近衛に入隊したころには、さすがにとっくみあいはしなくなったが、オスカルの鬱憤は、時に押さえようもなく累積し、側仕えの侍女が恐れをなして遠巻きにしているとき、アンドレはそれを全て受け入れようとする努力をはじめた。
離れたところで想像していただけの士官学校時代と違い、実際にオスカルの側近としてともに宮中に出入りし始めて、彼女が受けてきたねたみや、ひがみ、誹謗、中傷を目の当たりにすると、そのただならぬ有様が、彼に、絶対守ってやろうという決意を産んだ。
できるだけ明るくものごとを捉え、都合よく解釈して、ともすれば真面目ゆえに自身を身動きとれない状態に追い込んでしまうオスカルの休息の場所としての自分を自分に課した。
オスカルの休息場所、それが自分の使命だと思い、日々そう努めていたとき、自分の休息場所が、やはりこの切り株だった。
荒れたオスカルの心を受け止め、彼女が冷静になるまで忍耐強く話を聞き、ようやく前向きな姿勢に戻ったのを確認すると、アンドレは薪割りに行った。
そしてしばし休息し、一人の時間を持つことで、自分の心を浮上させた。
見事に大きさのそろった薪を満足げにながめていると、後から女性の声がした。
「あの、アンドレ・グランディエさんですね」
と聞かれ、振り返ると、ジャルジェ家では見かけぬ愛らしい女性が立っていた。
「ええ、そうですが…」
と、立ち上がりながら答えた。
「ああ、やっぱり。わたくしはエヴリーヌと申します」
立ち上がるアンドレに目線を沿わせて上目遣いになった顔は二十歳前後だろうか。
「エヴリーヌ…。ああ、ジョゼフィーヌさまのところの…?」
アンドレはようやくその名前を思い出し、一連のことも思い出した。
「はい。このたびオスカルさまからわたくしどもに大変高価なお祝いを頂戴しましたので、お礼に伺いました」
「それはわざわざ…。だがあいにくオスカルは不在で…」
「はい。ただいま奥様にそのように伺いました。そしてお祝いのお礼ならあなたに言う方がよい、とおっしゃいまして、こちらを教えて頂きました」
「奥様が?」
確かにあのティーカップは自分も一緒に選んだが、オスカルの名代で礼を言われるほどのことではない。
丁重に頭を下げるエヴリーヌにアンドレのほうが恐縮した。
「とても素敵な、もったいないほどのカップでございました。一生の宝物にいたします」
「お気に召しましたか?それはなによりでした。オスカルも喜ぶでしょう」
アンドレは目を細めて優しく言った。
その口調に安心したのか、エヴリーヌが意を決したように尋ねた。
「あの、本当に光栄でございましたけれども、どうしてオスカルさまがこのようなお気遣いを下さったのか、不思議で仕方がないのです。何かご存知でいらっしゃいますか?」
一瞬、アンドレは言葉に詰まった。
エヴリーヌはさらに続けた。
「頂戴しておきながらこのようなことをお尋ねするのは本当に失礼だとは重々承知致しております。ジェラールもせっかくのお気遣いなのだから、ありがたく頂いておけばよい、と申します。けれども、ジャルジェ家の使用人ならともかく、わたくしもジェラールもオスカルさまとはまったく…」
「それはオスカルと姉上さまとの深いつながりの賜物です」
アンドレは超高速で脳を回転させ、エヴリーヌの言葉にかぶせて言い切った。
「マリー・アンヌさまの所のジェラールさんと、ジョゼフィーヌさまのところのあなたが縁有って結婚される…。オスカルはうれしくてたまらないのですよ。どちらも大切な方たちですからね。お二人の姉上さま方があたなたたちを通じてさらに深い縁でつながることがこの上なくうれしいと、わたしにも言っていました。どうか心おきなく受け取って下さい」
アンドレの優しいまなざしと心のこもった言い方に、ようやくエヴリーヌも納得することにしたらしい。
「申し訳有りません。本当に失礼なことを申しました。ありがとうございました」
「いいえ、どうぞお気になさらずに…。もらう理由のわからないものは受け取りにくい、というあなたのお考えはご立派だと思いますよ。ただ今回だけはオスカルの気持ちだと思って納めてください」
我ながらスラスラとよくも言えたものと、自分を褒めてやりながら、立ち去るエヴリーヌの後ろ姿を見送った。
まったく!
お嬢さまの邪魔は入らないが、やはりお嬢さまがらみの邪魔は入る…。
なんだか昔と変らないな。
と、思うと、可笑しくて自然に笑みがこぼれた。
今日、久しぶりにここへ来たのは、ひとりで考えたいことがあったからだった。
先日、思いがけないベルナールの訪問の後、オスカルの言った言葉。
祖国と心中する…。
あのときはカッとなって力ずくで遮った。
ようやく手にした最愛の人を、いかに祖国とはいえ、奪われてたまるか、という思いが胸一杯に広がって、自分でもとめられなかった。
以前ならとっくみあいになっていたところだな。
だが、今は…。
オスカルは考え直そうとしているようだった。
わかった、と言って、彼女から口づけてきた。
昔は殴ったら殴り返された。
今は口づけをすると口づけされる。
成長がないのか…?
いや、大いなる成長だ。
殴られるよりどんなによいか!
薪割りでかいた汗がひいてきたところで上着をはおり、アンドレは屋敷に戻った。
そしてジャルジェ夫人の居間に向かった。
エヴリーヌにわざわざ自分にまであいさつするようはからってもらったことに謝礼を申し上げるためだったが、入室するなり、夫人は
「どうです?もったいないと思いませんでしたか?」
と聞いてきた。
「は?」
大げさではなく、ただひとつの目が点になった。
「なにが、でございますか?」
「まあ!もちろんエヴリーヌのことですよ。さすがにばあやは目が高いわ。本当にきれいで礼儀正しくて、非の打ち所がない娘でしょう?」
「確かに、なかなかしっかりした子だとは思いましたが…」
「それだけですか?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「安心しました。マリー・アンヌやクロティルドたちのときなら、このように心配することはまずなかったのですけれど、オスカルはやっぱりちょっと…」
「あの、もしかして奥さまは、わたくしがエヴリーヌを見て…その…」
「ええ、そう。心変わりするんじゃないか、と思ってしまいましたの」
「奥さま…!」
どこまでが冗談でどこまでが本気なのか、アンドレは夫人と向かい合うといつも煙に巻かれたような気持ちになるのだが、今回はまた強烈な煙幕だった。
「アンドレ。いつかばあやにもだんなさまにも本当のことを伝えねばなりません。それが明日なのか、来月なのか来年なのか、神のみぞ知るところです。けれどもそのときまでにあなたが心変わりしていたのではお話になりません。どんなに妻にするにふさわしい素晴らしい娘が出てきてもあなたは大丈夫ですね?」
「もちろんでございます。奥さま、口幅ったいようですが、ご心配になるなら、わたくしではなく、オスカルのほうの心変わりこそご心配ください」
平民で片眼を失った従僕を…と言おうとして、そのような卑下がかえって失礼になると思い直した時、夫人が決然と言った。
「それは絶対大丈夫です。わたくしが産みわたくしが育てた娘ですから」
アンドレは言葉を失い、目頭が熱くなるのをこらえ、ただただ深く頭を下げた。
休 息