「あれが本物のポンパドゥール夫人だとすると、ここは間違いなく過去だ」

「しかも、あれだけ熱心に徴兵しているところを見ると戦争中か?」

「おそらく、七年戦争の真っ最中だ。私達はまだ子供で出会う前だ」

ふたたび、幌馬車に揺られながら話しているオスカルとアンドレの会話を横で聞いていたアランは、どうしても納得することができず、アンドレを肘でつっついた。

「おい、なにを夢みてえなことをくっちゃべってんだ?」

 

たとえアランでなくても、過去に迷い込んだと言われて信じる者がいるだろうか。

世の中には起こりえることと、そうでないことがあり、それを認識しているのがまともな人間なのだから、アランの思考回路はまったく持って正常だった。

 

「アラン、もしこれが夢の中のことだとしても、おまえは判断を誤ることなく妹を守り、そして賊をことごとく倒した。ということは、夢の中でさえ私達は最善を尽くしているということだ。私はこの夢の中で、この先もそうありたいと思うし、おまえにもそれを望む。どうだ?」

 

アランは一瞬、きょとんとした。

実際、幌を縦一文字に切り裂き、まっ先に馬車を飛び降りたのは隊長であり、「続け」という号令もなかったが、当たり前のようにアンドレも自分もそれに続いた。

そして、自分達の判断で一番良いと思われる行動を取った。

その間、隊長からはなんの命令もなくただ、馬車の上で戦う自分に時折、視線を投げていることだけは分かっていた。

それは戦闘現場全体を見渡そうとする上官の役目であり、一緒に戦う者への配慮でもあった。

そして、『おまえは・・・』ではなく、『私達は・・・』。

その隊長の言葉に、アランは思わず口元を緩め、そして小さく頷いた。

そんな兄の姿を隣でディアンヌは、春に花のつぼみがほころぶような笑みで眺めていた。

 

「アラン、週に三日は訓練、あと四日は休みだ。その休みの間に他の兵士を酒に誘え。敵はおそらくプロイセン軍だ。敵はどこに陣取っているのか、戦闘はどこで行われることになるのか、敵の数、大砲の数、そして地形だ。必要な情報を詳しく聞きだしてくれ」

 

オスカルはそう言うと、財布をアランに渡した。

 

「そして、ディアンヌ嬢、こんなことに巻き込んでしまって申し訳ないが、あなたは他の飯炊き女達に混じり身を潜めていてくれ。そして、些細なことでも我が軍に有利な情報があれば教えてほしい」

 

こんな状況にも関わらず、なぜかディアンヌは生き生きとしていた。

パリではただ貧乏に耐えるだけの生活だった。

外に働き口を求めれば、少しでも楽な生活になるのに身分がその邪魔をした。

だが、今は「飯炊き女」とはいえ、新たな職を得、なにかの誰かの役に立てそうな予感さえしていた。

明日から始まる新たな生活に、ディアンヌは不安というよりもうきうきとした気分だった。

 

 

「腿上げー!膝伸ばし!下ろせ!腿上げー!膝伸ばし!下ろせ!」

翌日からオスカル達三人は訓練に加わった。

まずは銃を担い、行進の練習だった。

アキテーヌ連隊の出来合いの青の軍服は男二人には、なんとかサイズがあったが、オスカルには肩幅、胴回りが大きすぎ、なんとも着心地の悪いものだった。

「隊長!こんな訓練をよくも真顔で受けてられるな!」

隣でアランが笑った。

オスカルは無言でギロリとアランを睨んだ。

が、次の瞬間、アンドレが後から膝を伸ばすタイミングでアランの尻を蹴り上げた。

飛び上がったアランに上官が気づいた。

「こらーっ!そこ、何をしておるか!訓練中にふざける者は営倉入りだぞ!」

 

その日は行進、匍匐前進、駆け足で訓練は終わった。

そして最初の休みの日に、アランは兵舎で古手の兵士達を選んで声をかけた。

ただで酒が飲めるとあって断る者はいなかったが、その数は予定していたよりも多くなってしまった。

その夜、酒場はアランの集めた兵士達でごったがえしていた。

もともとのん気で気のいい連中だったが、酒が入ると戦争中だというのに、さらに陽気になった。

「よう、あんた新兵として入ってきたが前はどこの隊にいたんだ?」

「俺は・・・その、ピカデリー連隊よ!」

「ほう、で、あんた貴族らしいがどうして、一兵卒なんかになっているんだ?」

「そりゃあ、前の隊で上官の顎を一発で砕いてやったからよ!」

兵士達から歓声が上がった。

「おいおい、それでよく銃殺刑を免れたな!?」

その兵士は他の兵士を見渡しながらさらに聞いた。

「向こうにも弱みがあったからな・・・なあ、今度は俺が聞く番だ。俺は新米だ。今の戦争のことを教えてくれ。敵はどこに陣取っている?」

「ああ、敵の偉いさん達はマケナイの城にいるよ。そしてその周囲に兵を野営させている」

「敵の数は?」

「5万は下らねえ!」

「で、俺達は?」

「多くて3万だ。大砲も向こうは50門、こっちはせいぜい30ってとこだな」

「勝算は薄いな・・・」

兵士達がどっと笑った。

「俺達には王様が付いているぞ!」

一人の気の弱そうな兵士が高い声でそう叫んだが、兵士達はさらに高らかに笑った。

「勝った負けたは王侯貴族の皆様方が気にすることよ!俺達は生き残ることが勝つことさ!」

兵士達は同調の歓声を上げ、抱き合い、そしてさらに杯を上げた。

「女連れの王様に乾杯!」

「故郷のかあちゃんに乾杯!」

「俺のマドレーヌに乾杯!」

「今日の酒に乾杯!」

「アランに乾杯だ〜!」

そして、兵士達はぐでんぐでんに酔っ払うまで飲み続けた。

 

ディアンヌはおかみさん達に混じって、仕事に精を出していた。

「あんた、貴族の娘だっていうじゃないか?」

「はい、没落貴族です」

おかみさん達は顔を見合わせた。

「ねえ、貴族様が自分のことを没落貴族だってよ!」

今度は、笑いの渦がディアンヌを包み込んだ。

「だって、本当のことですもの」

ディアンヌはにっこりと笑って答えた。

おかみさん達は笑うのを止め、代わりにディアンヌに質問を始めた。

「あんた、恋人はいるのかい?」

「来月、結婚するんです」

おかみさん達はますますディアンヌの話に興味を持ち出した。

「その人のプロポーズには真心がこもってたかい?」

「ええ。でも最近は手紙さえ来なくて・・・」

おかみさん達は顔を見合わせた。

「お貴族様の結婚の段取りってのは、私達には分からないが、何か噂でも聞かないのかい?」

「最近、事業を始めたとか・・・」

「貴族の坊ちゃまが商売始めたって?税金を取り上げるしか脳のない貴族様が?あんた、気をつけた方がいいよ。いくら貴族だって借金だらけの貴族に嫁ぐんじゃ苦労するだけだからね」

おかみさん達は心底、心配してくれているのだったが、ディアンヌの興味は、今は婚約者よりも別のところにあった。

「あの・・・敵の王様は今、どこにいるのですか?」

「敵の王様はここには来ていないよ。だって、敵の王様の敵はフランスだけじゃないからね」

「マケナイの城には敵軍のお偉いさん達が逗留してるよ」

「古い城さ。私が昔、そこに住む貴族に仕えていた頃から、だいぶガタがきていたからね」

ディアンヌはその女の話に飛びついた。

「そのお城のことを教えて下さい!」

「あんた、なんでそんなことが知りたいんだい?」

「だって、私、一度そういう古いお城に住んでみたいんですもの」

子供が御伽噺を夢見るようなディアンヌの言葉にどっと笑い声が起きた。

だが、ディアンヌの頼みに、その女は丁寧に城の間取り、2階と3階の部分でできているが2階の屋根の部分は屋上になっていること、城は老朽化が進み、床石がはずれる場所があることなど事細かに教えてくれた。

「そうそう、私、よく遅刻しそうになってさ。林の中を突っ切って秘密の近道から出勤したものさ」

ディアンヌは紙を持ってきて、その場所を地図に書かせた。

 

 

オスカルとアンドレは、アランとディアンヌが聞き出した情報を得ると、一度マダムに会いに行くことに決めた。

「俺も行く!」

アランは同行を希望した。

オスカルとアンドレは顔を見合わせたが、オスカルが許可を出した。

「だが、なんのために会いに行くんだ?」

「最善を尽くすと言っただろ、アラン」

オスカルは軽く片目を瞑ってみせた。

「そういうことだ」

アンドレはアランの肩を拳骨で小突いた。

 

こうして、三人は王とポンパドゥール夫人のいるカツンダの城に向けて歩き始めた。

 

 

 

 










オンディーヌさまのお部屋








(5)

オンディーヌさま作

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