深夜の訪問にもかかわらず、ロザリーは満面の笑みでオスカルとアンドレを迎え入れた。
どんな時間でも、オスカルが訪ねて来てくれたのであれば諸手を挙げて歓迎して当然である。
ロザリーはいそいそと最上級のティーセットを用意するため、厨房に入った。
一方、明らかに寝入りばなを起こされたベルナールは、愛妻の手前、渋い顔もできず、ムスッとした顔をさらしていたが、オスカルの話を聞くなり、大声を出した。

「なんだとォ!ア…アベイ牢獄を?」
「頼む、ベルナール。おまえになら市民を集められるだろう。わたしの部下12名を救い出して欲しい。」
完全に目を覚ましたベルナールは、やや沈黙したのち、短く聞いた。
「いつまで…だ?」
「待てない!」
今度はオスカルが大きな声を出した。
「銃殺にされてしまうんだ。」

ブイエ将軍から、自分の態度次第と言われたことはあえて黙っていた。
即刻刑が執行されないまでも、境遇のひどさと見通しに対する絶望感から、兵士の体力が落ちタチの悪い病気に感染する可能性は相当に高い。
食事とてまともに配給されているかあやしいものだ。
オスカルは最大限急を要するとベルナールに強調した。
そして、部下の行動がどれほど市民の側に立ったものであり、それゆえの処罰であるとしたら、どれほど理不尽なものか、切々と説いた。
無論、話の流れとして、自分のとった行動すなわち命令違反についても簡単には触れた。

「事情はわかった。だがいくらなんでも今日明日というわけにはいかん。市民に呼びかけるならなおさらだ。事前に事実を伝えるビラをまき、集会の日時を告知して、より多くの市民を集めた上で、行動を示唆し、めざす方向に導く、というのが常道だ。」
ベルナールの言い分はもっともだった。
突然、街頭に一記者が立って市民に呼びかけをはじめたところで、集まってくるものの数はたかが知れている。
市民を集める、というなら、それなりの準備が必要なのは当然だった。

「おまえの言うとおりだ。最大の効果を狙うためには、細心の準備が要る。」
「一週間はほしい。」
「一週間?」
「これから徹夜で原稿を考える。できあがり次第印刷するとして明日いっぱいはかかる。できあがったビラを仲間にまわし、壁に貼ったり、市民に配ったり、で二日。その間にも、はじめから演説に呼応して声をあげてくれる仲間と、ある程度打ち合わせをする必要がある。」
「なるほど。」
「今回なら、群衆を引き連れてアベイ牢獄まで行進し、数の力で包囲する、という形が最良だから、そうだな、千人単位の人間がほしい。」

オスカルは舌を巻いた。
これはなかなか、味方にすればこれほど心強いものはないが、敵にまわせば相当手強い。
母上なみの策謀家だ。
いや、母上のはまわりくどいが、ベルナールのそれは、目的に向かってまっすぐ進んでいく分、オスカルにはよほどわかりやすく、また納得しやすかった。
ベルナールに限らず、平民議員やその支援者たちは、何も持たないどころか、恐ろしく切れる能力と清廉で誠実な理想を持っているのだ。
長い年月、怠惰に遊興をむさぼってきた貴族が手玉にとられていく様が見えるようだった。
今の貴族の頭など、カツラを被るためにのみ存在している。

「どうだ?」
黙り込んだオスカルにベルナールが聞いた。
「いや、恐れ入った。見事な策だ。」
「ふん。緊急ということで、とりあえず俺の案を述べただけだ。もっと広く仲間に相談すれば、さらに良い手だてがあるのかも知れんが…。」
そうなると、この衛兵隊長との関係もある程度まで話さなければならなくなる。
黒い騎士の一件やロザリーのことなど、オスカルとベルナールの関係はあまりおおやけにできる類のものではない。
したがってそこのところはぼかしておくのが賢明だという判断で、ベルナールはあえて一存で計画を立案したのだ。
そのあたりのことはオスカルも承知しているし、何よりこのベルナールの計画案は、非常に筋道の通ったすぐれたものだから、反論のあるはずもなかった。

「異存がなければこれでいく。」
ベルナールがそう言ったとき、お茶を持ってきたロザリーがそっと夫の脇腹をつついた。
振り返ると、大きな瞳が必死に訴えかけている。
ベルナールはすぐに思い出した。
軍隊をやめて外国へ行け、と忠告しにわざわざベルサイユまで行ったことを…。
今、目の前で自分の提案に嬉しげにうなずくオスカルは、あのときと同じ軍服を身につけている。
平民議員をかばって王命に背いたというが、処罰を受けてはいないのだろうか。

「恩に着る。」
礼を言うオスカルにベルナールはあらたまって聞いた。
「オスカル、おまえの現在の身分は何だ?」
オスカルは怪訝そうな顔をした。
「どういう意味だ?」
「命令違反をしたのだろう?」
「ああ。」
「処分は?」
「保留らしい。」
「保留?」
「うむ。今回に限って見逃してもらえるらしい。」
「王妃の寵臣ならではだな。」

ベルナールはきつい一言を投げかけた。
オスカルの脳裏にかつて王宮の飾り人形と呼ばれたことが蘇った。
本来なら厳罰をもって処されるところ、王妃のお情けでまぬがれた、という事実が否応なくつきつけられた。
「それで、のこのこと軍隊に戻るのか?」
ベルナールは容赦なく痛いところをつく。
「わたしは…軍人だ…。それ以外の場所で生きることはできない…。」

オスカルは軍人という鎧を堅固にまとい、自身を閉じこめている。
ロザリーにはそれが切なく、一日も早くその封印を解いてほしかった。
彼女は心の中で精一杯夫に声援を送った。
ベルナールはその空気を読み、いよいよ調子に乗った。
「自分は王妃のお情けで助かり、部下の救助は市民の力を借りる、というわけか、なかなか都合がよいな。」
オスカルの顔色がさっと変わった。
「おまえには借りがある。だから助力はする。だが、ひとつ条件を出したい。でなければこの話はなかったことにしてもらおう。」
ベルナールは正面からオスカルの顔を見た。
「…どんな…条件だ?」
オスカルは額に汗がにじむのを感じながら聞いた。
「おまえの除隊だ。」
「…!」
「俺は、王妃の犬のために動くのはごめんだ。」
決定的なひとことだった。


オスカルは隣に座るアンドレを見た。
アンドレもベルナールの要求にかなり驚いている様子だったが、オスカルほどではないようで、ゆっくりとカップを持つと、さも美味そうに紅茶を飲んだ。
彼にしてみれば、だんなさまの成敗と奥さまの爆弾発言で、本日の驚愕の分量はすべて使い切った感があり、今さら何を聞いても、もはや動じることはなかった。
まして、このベルナールの提言は、奥さまたちの思惑と見事なくらい一致していて、もしクリスの診断が正しいならば、自分も全く同感、ご同慶の至りであった。
「アランたちの命には替えられないだろう。」
アンドレは、内心嫌なやり方だと少しく嫌悪しながらも、ベルナールの有り難い提案に乗った。
オスカルを安全な場所へ、それが自分の使命だ。
それだけが使命だ。

アンドレの言葉にオスカルは唇をかんだ。
ベルナールの言い分は正当だ。
王妃のお情けを受けて処分をまぬがれた自分への義理で、暴動につながるかもしれない市民行動をさせるのは、いかにも理不尽である。
オスカル自身が一市民として、平民議員の側にたった部下たちの救出を依頼するのでなければ、誰がこんな危険を犯してくれようか。
どうしても部下の命を救いたい。
腹をくくらねばならなかった。
「わかった。部下が無事釈放されたら、辞職願を出す。」

ロザリーはオスカルとアンドレがいなければ夫を抱きしめてなで回したいほど、ベルナールに感謝した。
アンドレもまた、まさか野郎同志で抱き合いたいとはつゆほども思わなかったが、奥さまが懐妊しているとおっしゃってもできなかったオスカルの除隊を、こうも見事に本人に言わしめたベルナールに、深く感謝した。

二人からの感謝のまなざしにいたく満足しながら、
「よし。二言はないな?」
と、ベルナールは明るく確認した。
「馬鹿にするな。わたしを誰だと思っている!」
オスカルは不愉快そうに立ち上がった。
背に腹は代えられないとはいえ、きつい条件だった。
足元を見られたようでいまいましさに吐き気がしてきた。
アンドレがすぐに気づき、背中に手をそえた。
「長居は迷惑だ。さあ帰ろう。」
シャトレ夫妻も立ち上がった。

ロザリーは恐る恐るオスカルに言った。
「オスカルさま、もしかしてお加減がお悪いのではありませんか?お顔の色がすぐれませんし、飲み物にもお手をつけてらっしゃいません。」
オスカルとアンドレは驚いてロザリーを見た。
女の勘はかくも鋭い。
「大丈夫だよ。今日一日、本当に色々あったからね。それで疲れが顔に出ているのだろう。せっかくの紅茶だったのに、悪いことをしたね。また落ち着いたら、ゆっくり飲みに来るよ。」

オスカルはうまくかわしたが、アンドレは、やはり奥さまのおっしゃることは正しいのではないか、という思いがこみあげてきた。
今日の午前中、アランを追いかけていったとき、オスカルは吐き気を訴えてしゃがみこんでいた。
あれはつわり…?
さっきも、晩餐に見向きもせずここへ来た。
以前の過労と貧血による食欲不振とは明らかに様子が違う。
匂いがだめらしい。
ロザリーが入れた紅茶をそっとテーブルの奥に押しやっていたのは、無意識に香りを避けたためだ。
アンドレは疑心が確信に変わっていくのを感じていた。

「では、明日から…だな、頼んだぞ、ベルナール。」
オスカルは短く言うとシャトレ家を出た。
すっかり夜が更け、月は再びたれこめた雲の中に姿を隠していた。





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