ジャルジェ将軍の謁見は6月25日に行われた。
一人で充分という父に、マリー・アンヌは有無をいわせず同行した。
家格のこともあり、将軍といえどもこの長女にはあからさまに上からものを言うことができず、結果、父の謁見に嫁いだ娘が付きそうという異例の形式になった。

案の定、将軍とオスカル二人そろっての軍籍離脱及び領地返納というジャルジェ家からの申し出は、国王夫妻に大きな衝撃を与えた。
すでに宮廷に顔を出す貴族の数はめっきり減っており、かつて王妃を取り巻き、地位や金品をねだった新興の寵臣たちは、皇太子の葬儀費用さえ出せない王室に見切りをつけ、豪華な屋敷にこもって事態の推移を見守っていた。
一方、代々の古い貴族たちは、プチ・トリアノンへの出入りを禁止された恨みから、新興貴族以上により強い批判のまなざしを王室に向けていた。

マリー・アンヌの婚家は、由緒ある大貴族ではありながら、彼女の人柄やオスカルとのつながりもあり、出入り禁止になることはなかったが、周囲の親しい貴族の怨嗟の声は身近に聞いている。
それとなく、古い交遊を大事になさいませ、と忠告したこともあったが、当時の王妃の耳には全く入らなかった。
したがって現在こういう事態になってしまったことも、ある意味いたしかたない、と厳しいようだがマリー・アンヌは認識していた。
貴族の離反は王妃が自分で蒔いた種なのである。

だが、冬の間にスウェーデンからフランスに馳せ参じたフェルゼン伯爵にとっては、貴族が離反したおかげで、人目を気にせず王妃と面会できるようになったわけで、思えば皮肉なことではあった。
国王は、とりまきの姿が消えていく中でのフェルゼン本人の高潔な忠誠心を快く思い、王妃が信頼しているのも無理からぬことと理解を示して、あえて遠ざけることはしなかったし、むしろ重要な案件のあるときに彼の意見を求めることすらした。
したがって彼は、この謁見の場にも同席していた。

「ジャルジェ将軍までが…!」
国王も王妃も、フェルゼンも、一様に動揺した。
何があっても王室をお守りすると、常々公言していた将軍である。
たとえすべての貴族が王室を見捨てても、ジャルジェ家だけは王家と心中するであろうと自他共に認めていたはずである。
それがこのようなときに、引退とは…。

その反応が痛いほど将軍の良心を刺し、いたたまれぬ思いで将軍はただ口を真一文字に結んで玉座の前に立ちつくしていた。
それを横目に見て、さあ、出番だわ、とマリー・アンヌが進み出た。
「陛下、この度のオスカルの謀反により、父は大きな衝撃を受けましてございます。申すまでもなくジャルジェ家は王家のご守護を勤めて参りました家柄、陛下のおために身を投げ出しこそすれ、ご命令に背くことなど、あってはならないことでございました。」
マリー・アンヌは御前であるとの気後れなど一切感じさせず、妹の罪を一刀両断に切って捨てた。
「陛下からのご恩を忘れ、何を血迷ったかと思うこの不始末に、父は、わが手で妹を成敗しようといたしました。」
「まあ!」
と王妃の息を呑んだ。
嘘ではない。
というよりまるっきり真実であるから、マリー・アンヌの申し条には説得力がある。

「しかしながら、お察し下さいませ。そこは血を分けた我が子。憎いはずがございません。しかもこの通りの高齢ゆえ、手元も狂いまして、結局果たすことはできなかったのでございます。父は今、ただただ申し訳なさと恥ずかしさに、ご覧の通り、正気を保つのやっとという有様でございます。」
マリー・アンヌの涙ながらの話しぶりに、家庭内外で不測の事態が続き顔色のひときわ悪い将軍の姿が充分な真実みを加え、誰もが将軍の老いを認めた。
さらに、せめてオスカルの除隊だけでも翻意させようとする王妃に対しては
「お許し下さいませ。オスカルはもはや陛下のお側におりましたころのオスカルではございません。このまま軍におく方が危険と存じます。」
と言い切った。

「実の姉上がなんということを…!」
驚く王妃にとどめの言葉を続けた。
「なにとぞご容赦下さいませ。長らく女の身で軍人など勤めて参りましたせいでございましょう。オスカルもまた少なからず心身を病んでおります。」
これには国王も控える重臣たちも少なからぬ衝撃を受けたようだった。
ジャルジェ准将が心身を病んでいる…。
それゆえの、あの謀反騒ぎだったのか。
漠然と納得させられるものもあり、また、病んだ理由が女ながらの軍隊勤めと言われれば充分あり得ることと思われて、誰もが反論を控えた。

父は老齢、妹は病気。
マリー・アンヌはあくまでこの線で押し通す心づもりだった。
彼女にすれば、父の老齢は本人がどれほど抵抗しようと見たとおりであり、、また妹のほうも高齢の初産とくれば、病人同様の安静が必要なのであるから、嘘をついているという後ろめたさはこれっぽっちもない。
堂々としたものであった。


将軍は、もはや畏敬の念すら抱いた。
妻も、娘もなんと肝が据わっていることであろう。
女というものは…!
自分ならば、仮にも国王夫妻の前で、話半分の作り事を述べ立てる度胸はない。
そのようなことをしようとも思わないし、したところで、すぐに言葉に詰まり露見するであろう。
だが、女は違う。
目的さえ正しければ、というか、正しいと本人たちが思いこんでいれば、手段に於いて多少の偽りがあろうとも、押し切る強さがある。
女のすべてとは言えないのかも知れないが、少なくともわがジャルジェ家の女は総じてこの傾向を顕著に示している。
これに比べれば男として育てたオスカルの一途さ、素直さがなんともかわいらしく思えてきて、なんとも言いようのない切なさが襲ってくる。
あれだけが自分に似ていたのだ。
将軍は、娘の言い分に、より一層現実味を与えていることに気づかぬまま、がっくりと肩を落とし、御前に立ちつくしていた。

一方、玉座近くに控えるフェルゼンは、どうにも複雑な思いで将軍とマリー・アンヌを凝視していた。
渡仏直後の冬、、ジャルジェ家で酒席を設け、親しくオスカル、アンドレと飲み交わした。
身分などにとらわれぬ二人の固い絆を肌で感じた一夜だった。
このまま軍に身を置けば、あの二人に未来はない。
激動の渦中に自ら飛び込んで行くに違いない。
かつてジェローデル少佐との結婚によって、オスカルを軍から退かせようとしたジャルジェ家は、今回の謀反騒ぎにいたって、究極の苦渋の決断を下したのだと理解できた。
オスカルを安全な場所へ…。
おそらくそれだけが将軍夫妻と姉君たちの願いであり、皆が一致結束して動いているのであろう。
誰がそれを咎められようか。

フェルゼンは国王夫妻に、進言した。
「陛下。実は、せんだってわたくしはジャルジェ家にてジャルジェ准将と親しく話す機会を得ました。激務をいとわず勤める代償に、自身の健康を損ねているのは、久方ぶりの対面でもありありと感じ取ることができました。もとよりジャルジェ家の忠誠心に疑う余地のあろうはずはなく、ご両人に一刻も早く復帰していただくためにも、本日はこの辞任願いをご許可遊ばすのがよろしかろうと存じます。」

将軍が驚いてフェルゼンを見た。
あのとき心身に不調をきたしていたのは、あきらかに二日酔いで潰れたフェルゼンのほうであり、オスカルはいたって爽快に過ごしていた。
しかも、フェルゼンが帰り際に挨拶に訪れた折、将軍はフェルゼンと、王家守護を固く誓い合ったのである。
ジャルジェ家の事情を察してのフェルゼンの情けが身に染みて、将軍の目頭が熱くなった。


「フェルゼン伯爵がそう言うのなら、いたしかたあるまい。ジャルジェ将軍、准将どもどもゆっくりと養生するように。」
国王は将軍からの辞職願い状を受け取ると、封は切らず、そのまま侍従の持つ文箱にしまった。
「これはこのまま預かり置く。将軍も准将もかわらず余の大切な臣下である。一日も早い復帰を祈っている。」
マリー・アンヌはハラハラと涙をこぼした。
将軍は嗚咽をこらえ、深々と頭を下げた。
王妃の目にも涙が浮かんでいた。


この日、オルレアン公爵が40数名の貴族議員を率いて国民議会に合流した。
さまざまな人々が、心の中で長い間封印していたものを、解き放ち始めていた。






NEXT   BACK   MENU  HOME  BBS





封  印