衛兵隊員によるパリ巡回の翌日は、来る5月の三部会開会式に関わるすべての部署に召
集がかかっていて、形だけの御前会議が宮殿内で行われる運びだった。
儀典長のドルー・ブレゼ候を筆頭とする儀式担当者。
開会式に臨む国王と王妃の警護にあたる近衛隊のジャルジェ将軍と連隊長のジェローデル
少佐以下副官。
そして議員全般の警備担当の衛兵隊からはブイエ将軍とジャルジェ准将以下副官。
その他、大勢の関係者が、とりあえず顔合わせも兼ねて御前に集まり、ルイ16世からの
「各部署の連携を密にして、よきにはからうように」
との形式的な詔を賜った。
要するにこの一言が、準備スタートの号令のようなもので、とりあえずこれを済ませれば、あ
とは現場担当者が実際の計画立案を行っていくという算段だった。
このような公の場でジャルジェ父娘が顔を合わせるのは、珍しいことではない。
ただ、以前は、二人とも近衛隊に所属するものだったのが、今は、父は近衛隊、娘は衛兵隊
と別れていることが、少なからず出席者の目をひいた。
しかもジャルジェ将軍とブイエ将軍の仲が良好でないことは、すでに王妃ですら知るところで
あるから、こういう場で、それぞれが相手に対しどう出てくるか、ということが興味の対象にな
らないわけはなかった。
国王は証書を棒読みするとさっさと退席した。
続いてドルー・ブレゼ候が今後の会議の予定を読み上げはじめた。
各部署の実務担当者たちが一斉に耳をそばだてた。
部下に任せていれば問題なし、という各将軍たちは、緊張感からすっかり解放されて、雑談
を始めており、ドルー・ブレゼ候の声がやたら上品ぶっていて小さいため、どうにも聞き取りに
くい。
たまらず、オスカルが声を荒げた。
「将軍閣下、まだ大事な用件が発表されております。お静かに願いたい。ドルー・ブレゼ候も
、もう少し大きな声で読み上げて頂きたい」
将軍という肩書きを持つすべての人間と、名指しされたドルー・ブレゼ候が一斉にオスカルをに
らみつけた。
だが当の本人は一向にひるむ様子もなく、堂々としている。
「ジャルジェ准将、ただいまの将軍閣下とは誰のことだね。ここには将軍が複数おるが…」
直属の上司として叱責せずにはいられない、とばかりにブイエ将軍が詰問した。
「お話なさっておられたすべての将軍でございます」
はっきりとした口調でオスカルが答えた。
「ほう。では君のお父上もはいっておられるということだな」
いかにも面白い、という表情で口ひげをさすりながらブイエ将軍が言った。
オスカルは眉をひそめつつ、
「もし、ジャルジェ将軍がお話なさっておられたのならば」
と、顔をジャルジェ将軍に向けよどみなく言った。
苦虫を噛みつぶした顔の父と目があった。
「わしはひとことも話してはおらん」
ぶっきらぼうにジャルジェ将軍が答えた。
「ふん」
と、ブイエ将軍が鼻で笑った。
「親子して変に目立ちたがるところがよく似ておるわい」
「聞き捨てなりませんぞ。ブイエ将軍。父は父、わたくしはわたくしでございます!」
声が大きくなったオスカルに周囲がハラハラしはじめ、ダグー大佐が小さな声で
「この場ではご辛抱を…」
と忠告した。
が、これがかえって火に油をそそぎこむことになった。
「何かにつけてわたくしと父を同列にあつかうことは今後おひかえいただきとうございます!
今、話をされた方のために、ドルー・ブレゼ候のお声が聞き取りにくかったという事実をわたく
しは指摘しているのです。これは今後の実務に多大の弊害をもたらし、結果的に陛下のご威
光にも傷をつけるもの。ブイエ将軍、まさかそのようなことおのぞみではありますまい」
よく通るアルトの声が凛として周囲の空気を引き締め、誰も反論しなかった。
将軍の面目をつぶすのはおまえの趣味か、と父は小さくため息をつきながら、しかし、その一
方で、決して卑怯者にならない娘を密かに誇らしく思った。
「ドルー・ブレゼ候、大変申し訳ありませんが、わたくしの部下がただいまのご発言を聞き落と
しました。もう一度お読み下さいますか」
と、その場をおさめたのはジェローデル少佐だった。
優雅な物腰と丁重な言葉遣いに、ドルー・ブレゼ候は、では、と再び日程を読み上げ始めた。
もはや私語をかわすものはなく、すんなりと事は運んだ。
「本日の会議はこれまででございます」
ドルー・ブレゼ候の閉会の辞を受けて、皆、三々五々、解散し退出した。
廊下では入室を許されなかった部下たちが、それぞれの主人を待ち受けてずらりと並んでい
た。
無論、アンドレもいた。
その前をジャルジェ将軍が無言で通り過ぎる。
アンドレは深く頭を下げ見送った。
ジャルジェ将軍のあとに続くのはジェローデル少佐である。
彼はアンドレのかたわらに来ると
「今度はぬるいショコラではなく特上のワインなど所望したいね」
とささやいた。
何のことかと驚くアンドレに
「なに、たわいもないことだ。忘れてくれたまえ」
と、微笑むと、少佐は先を行くジャルジェ将軍に追いつくため早足で立ち去った。
続いて頭から湯気を出さんばかりのブイエ将軍が大きな足音を響かせてアンドレの前を通
り過ぎた。
直属の部下がオロオロとあとを追っていった。
何やら大声で叫んでいるが、がやがやとした周囲にかき消され、アンドレには聞こえなかっ
た。
オスカルはやや遅れて、ダグー大佐とともに出てきた。
「心配をかけてしまってすまなかったな。大佐」
隊長ににっこり笑って言われると、ダグー大佐も降参せざるを得ない。
衛兵隊員たち同様、今日も一日幸せだ、とすら思ってしまう。
「いえいえ、とんでもありません。では、わたくしは他の部署のものと打ち合わせを予定してお
りますので、ここで失礼いたします。アンドレ・グランディエ、あとは頼んだぞ」
と、にやける頬をさとられないよう、あえて事務的な口調で言うと、大佐は早々にその場を離れた。
オスカルが自分の側までくると、アンドレはすぐに
「何かあったのか?」
と、聞いた。
「いや、大したことではない」
との答に、オスカルが語ろうとしないのなら、無理には聞くまい、とアンドレは思った。
またいつか、何かのおりにふと思い出し、あのときは…、と語り出すのは今までにもよくある
ことだった。
「そうか、それならいい」
アンドレはオスカルの後ろにつき、歩き出した。
ジェローデルの言葉が気にならないと言えば嘘になる。
扉一枚隔てた向こうは貴族の世界で、自分には決して入っていけない場所なのだ。
だが、オスカルは必ず扉を開け、自分のところへ帰ってくる。
そのとき、彼女が少しでもほっと安らげるよう、自分の心をつまらない悩みで満たしていてはいけない。
アンドレは自分の役割を再確認する。
前を歩くオスカルの背中に、きっと守る、と誓う。
庭園に出たところで突然オスカルが歩みを止め、アンドレの隣に並んだ。
そして、
「実はな…」
と、全くくったくのない笑顔で事の顛末を語り始めた。
ほんの少し風に春の気配が感じられた。
終わり
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−終わり−