主人親子が除隊したため、ジャルジェ家の使用人の日常も一変した。
まず日々の出入りがなくなったことで、門番の仕事が極端に減少した。
たまたま昨日は、衛兵隊からの使者や、オスカルの部下、それにクリスの代理が来宅した上、夜には将軍が外出したが、これはきわめて珍しいことだった。
門番はここ何日か分を全部この日にまとめたのではないかとさえ思ったくらいである。

一方で、広い庭園を二人できりもりすることになった庭師夫婦は、一日中地面にはいつくばる羽目になった。
お庭好きの夫人によって、普通の貴族の邸宅よりも相当凝った作りになっているため、ただでさえ仕事量が多く、だからこそ庭師の数も普通以上にあったのだ。
それが今では老夫婦二人である。
手が回る訳がない。
だが夫人のためにも荒れ果てた庭には絶対したくない。
庭師の意地というものがある。

自然、門番は庭師の手伝いに回ることが日課になってしまった。
この日も、来客などめったに来ないから、門番小屋には息子ひとりを置いておき、何かあったら呼びに来いと言い聞かせて、朝から庭に出ていた。
妻の方はこれまた人員削減のあおりで悪戦苦闘中の厨房の手伝いに回っている。
人にはそれぞれ向き不向きというものがあるはずだが、ある意味ジャルジェ家は現在非常事態なわけであるから、そのような平和なことは言っていられない。
使用人は一致団結して家政をきりもりしなければならないのだ。
門番は慣れぬはさみをカチャカチャいわせて、大概いい加減な剪定に没頭していた。

そこへ息子が息せき切って走ってきて、凄い馬車が来た、と告げた。
子どもの語彙力は著しく低いから、どう凄いのかわからないながらも、門番ははさみを持ったまま門に走った。
固く閉じられた門の向こう側で、マリー・アンヌほど豪華ではないが、充分立派な仕立ての大型馬車が立ち往生していた。
駆けつけた門番の顔を見て、御者がほっとしたように告げた。

「クロティルドさまのお馬車である。すぐに門を開けよ。」

驚いて立ちつくしていると馬車の窓が開き、たった今剪定していた花とよく似た甘い香りが漂ってきた。

「ご機嫌よう、お久しぶりね。」

身分の上下を問わず、気さくに声をかけるのは、間違いなく当家の次女クロティルドさまだ。
門番は大急ぎで門を開け、馬車を誘導にかかった。
そして息子に向かって、廷内の皆さまにお知らせするよう大声で言いつけた。
息子は全速力でお屋敷に走った。

ただならぬ門番の子どもの叫び声が広い玄関ホールに響いた。

「クロティルドさまがいらっしゃった!。クロティルドさまだよ!」

信じられないという顔でオルガとラケルが出てきた。
続いて、いつもならこういうとき一番にお出迎えに出てこられるはずの奥さまにかわって、将軍がすっ飛んで来た。
除隊なさってよほどお暇なのだろうか。
門番の息子は、おっかないだんなさまの登場におじけずいて、大声で怒鳴った勢いはどこへやら、一瞬にして縮み上がってしまった。
オルガとラケルも常ならぬだんなさまの登場にいささか不審を抱きながら、出迎えのために整列した。
やがて馬車を降りたクロティルドが、子どもが開け放したままの扉から姿を表した。

「ごきげんよう、お父さま。半年ぶりですけれどお変わりなく…。」

何十年勤め上げた軍隊を辞職したばかりの将軍に、しらっとお変わりなく、という挨拶ができるのは、さすがにクロティルドさまだ、とオルガは感心しきりである。
だが、言われた将軍の方は、いささか意味不明の言葉を口走っていた。
「なぜおまえが…。いや、そうか。おまえが来たのか…。」
モゴモゴと何やらつぶやいて、それから、落ち着いたら部屋にまいれ、とだけ言ってそそくさと退散してしまった。
どうも様子がおかしい。

「オルガ、侍女を誰も連れてきていないの。誰かわたくしにつけてくれないかしら。」
現在のお屋敷の勤務態勢からして非常に難しいクロティルドの言葉に、オルガの顔が知らず知らずひきつったのであろう。
クロティルドは弁解した。
「できるだけ少人数で来るように、とのお父さまのお言いつけだったのよ。だからいっそのこと、と思って一人で来たの。もちろん御者は別ですけれど…。だってわたくしはオスカルのように馬に乗って来ることはできませんもの。」
「お一人でいらしたのでございますか。だんなさまのお言いつけで…。」
とっさに返答できないオルガは、めったにないことだが、主筋からの言葉をオウム返しに復唱してしまった。
「ええ。こちらにはあまり知られたくないもろもろの事情があるわけでしょう?」

オスカルの妊娠のことを暗に言っているのだ。
となれば致し方ない。
これはクロティルドの配慮なのだから、感謝して受諾し、侍女をひとりまわすしかない。
ようやく持ち場から玄関ホールに集まってきた使用人の中からレイモンドに声をかけ、クロティルドの世話係を急遽申しつけた。
マリー・アンヌのお眼鏡にかなっただけあって、突然の事態にもかかわらず、レイモンドはすぐに反応し、馬車からクロティルドの荷物を下ろすために、玄関を飛び出していった。

それからオルガは、ブリジットをオスカルの部屋にいるはずの奥さまのもとに走らせ、同時にアンナをクロティルドが滞在する部屋の準備に向かわせた。
続いて、門番の息子には調理場に行って食料の確認をさせるよう伝言し、その間も絶えず笑顔のまま、クロティルドに話しかけ、ご使用いただく部屋が整うまでと言いながら客間に案内した。
クロティルドは手にしていた扇を開いてベルサイユの暑さをこぼしつつ、テラスへの出口に一番近い長椅子に腰掛けた。
オルガがお飲み物をお持ちしましょうと一旦下がるのと入れ替わりに、ジャルジェ夫人がドレスの裾を幾分高くつまんで急ぎ足で客間に入ってきた。
二階のオスカルの部屋で、こんこんと母親の心得を説いていたため、クロティルド来宅の知らせが聞こえなかったのだ。
ブリジットが知らせに来てくれて、大急ぎで下りようとして、何のためらいもなくついてこようとするオスカルに、階段の上り下りは厳禁だ、と再び説教せねばならず、もたもたしてしまったのだ。

「お母さま!」
久しぶりの次女の声に、満面の笑みで答えながら、夫人には若干のとまどいが垣間見られた。
娘に会えるのは非常に嬉しいけれど、一体なぜ、このような大変なときにわざわざベルサイユに出てきたのか理解しかねているのだ。
「お父さまからお聞きになってらっしゃいませんの?」
クロティルドの方も、母の驚きっぷりに逆に驚いているようだ。
「ええ、何も…。あなたがこちらに来るなんて、全く聞いておりませんよ。」
「あらあら、まあまあ…。」
「お願いだから、ゆっくりわけを聞かせてちょうだい。」
「ええ、もちろんですわ。」
母子は仲良く長椅子に並んで座り、おしゃべりの体制を整えた。

やがてオルガがお茶のセットを運んできたとき、夫人は大きく目を見開いてうなずいていた。
「つまり、お父さまのお呼び出しというわけね?」
「いえ、必ずしもそういうわけではございませんの。毎年この時期は農園で入り用のものを買い付けにパリまで出てくるのですわ。ただいつもなら主人がくるのですけれど、あいにくイングランドの方に行っておりましてね。それで替わりのものをたてることにいたしておりました。するとお父さまからお手紙がまいりまして…。」
「お父さまからあなたに?」
「ええ。今年の買い付けがもし例年通りなら、パリは非常に物騒になっているゆえ、取引先には書面にて、入り用のものをベルサイユのジャルジェ邸へ納めさせるよう指示しなさい、と。そして買い付けに来る人数はできるだけ少ない方が安全だ、とのことでした。それで、ジャルジェのおうちに受け取りに行くのでしたら、わたくしが行こう、と思いましたの。おめでたのオスカルにも会いたいし…。どんな顔をしているかと思うと楽しみで楽しみで…。」
クロティルドは、心底楽しげに笑った。

「まあまあ。今こちらは大変な状況ですのに…。」
「田舎住まいですから、ここまで緊迫しているとは思いませんでしたのよ。ジョゼフィーヌの手紙ではつい二ヶ月ほど前にはオルタンスも出てきたということでしたし、それならわたくしも、と…。」
オルタンス一家がやって来た三部会開会時とは比べようもないほど、パリの様相は緊張を増している。
そんな中、いかに実家までとはいえ女ひとりで買い付けに出てくるなど非常識も甚だしい。
だが、どうもこの家系の女性は、そろって大胆不敵なところがあり、よく言えば豪胆、悪く言えば無鉄砲で、それぞれの伴侶が眉をひそめる元となっていた。

「随分物騒になってきておりますのね。パリは軍隊だらけだと途中の宿で聞きました。それでお父さまはパリを避けて直接ベルサイユに入るようおしゃってくださったのですね。」
クロティルドは鷹揚に扇を揺らして、父への感謝を述べた。

「わたくしはお父さまからは何も伺っておりませんでしたよ。そんなやりとりをあなたとしていたなんて…。」
夫人はやや不愉快そうだ。
「わたくしこそお母さまが何もご存じないなんて、驚きですわ。とにかく、お父さまにご挨拶に参りましょう。落ち着いたら部屋に、との仰せでしたから。」
「まったくその通りですね。わたくしも同席いたしましょう。そしてお父さまが何をお考えなのか、しっかり承りましょう。」

ジャルジェ夫人とクロティルドは、仲良く並んで二階の将軍の居間に出向いた。
最近何やら嬉しげに机に向かっていると思っていたが、一体何をしくんだのだろう。
夫人は、思ったほど落ち込み期間を引きずらなかった夫に思いを巡らせた。
時は7月12日、どうやら不穏なのはパリだけではなさそうである。
だが、将軍とクロティルドの書簡のやりとりを承知していたラケルは、オスカルの妊娠以上の不測の事態などない、と腹をくくっていたから、夫人の疑わしげな一瞥にも素知らぬ顔で対応した。






     




























                                               








花 一 輪

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