友    情

いかにも主人にふさわしいこの屋敷を訪ねたのはいったい何年ぶりだろう。
相変わらずいかめしくて重々しくて、どうやってこんなところであいつはくつろぐというのだろう、と首をかしげながら、ジャルジェ将軍は、見た目にはいたって堂々とブイエ家の執事が案内するままに暗く長い廊下を歩いていた。
時は7月11日、すでに夜も更けている。
もっと灯りをつければよいのに、などといらぬおせっかいを勝手に焼いてみる。
人間暇になると細かいところに目が行くらしい。
もちろん当の本人は自分のそういう変化にはまったく気づいていないのだが。

最後に友に会ったのは6月23日、宮廷内の国王陛下の御前だった。
継嗣である末娘の致命的な失態の後始末のため、急遽謁見を申し出たところ、その場にこの友もいたのだった。
彼は娘の直属の上司であったのだから、責任を問われるならば、親の自分よりもむしろ彼の方だというのは当然のことだったのだが、そのときはさすがに混乱していて、彼の顔を見るまでそのことに思い至らなかった。
大変な部下を持ったとさぞ忌々しかったに違いない。

結局、自分と娘は除隊し、彼は職に留まった。
その判断は今もって全く正しかったと、その点は確信している。
女性陣にしてやられた感は否めず、日々意趣返しのための計画に取り組む日々ではあるが、女達に遺恨はあっても、古き戦友にはいささかのしこりも持ってはいない。
彼の方ではそうはいかなかったかもしれないが、とにかく娘も除隊したのだ。
一応の心のカタはつけてくれているものと勝手かもしれないが、思っていた。

その彼から突然面会の申し込みがあり、至急来宅願いたいとの遣いが来たのは、今日の夕方のことだった。
その一刻を争うような申し出に、少々驚きながらも、除隊して時間をもてあましていたジャルジェ将軍は、その場で承諾の旨を伝えて使者を帰し、すぐに仕度を調えてブイエ邸にやって来たのである。
奥方はなかなか派手なご婦人だが、廷内のこの雰囲気には違和感がないのだろうか。
いや、ブイエ家は代々こういう家風だから、奥方もあきらめているのだろう。
通された厳めしい部屋にはすでに厳めしい友が待っていた。
古い馴染みではあるが、昵懇というわけではない。
そんな相手からの呼び出しに、ほいほいとやって来たのは我ながら軽はずみであったか、と思ったりもしたが、ジャルジェ将軍のそういう思いにはまったく頓着なく、屋敷の主はすぐ本題に入った。

「時間がないので、用件だけ伝える。まずそれを了解しておいてくれ。」
軍人の顔の友に、悠々自適の毎日に多少ゆるみ始めていたジャルジェ将軍は、すぐに精神を緊張状態に戻し、友同様軍人の顔になった。

「わが衛兵隊二個中隊に13日テュイルリー宮広場への出動命令が出た。」

ブイエ将軍は端的に告げた。
そういえば、ジャルジェ邸もなにやら騒がしかった。
安静にしているはずのオスカルが廷内をうろついていたらしく、そこに使者やら部下やらがやって来て、おまけにクリスの代理という女性までやって来て、めずらしく人の出入りが多かった、と妻から聞いた気がする。
それが原因だったのか。
だが除隊した娘には関係ない話のはずだ。

「ベルサイユ駐屯部隊の隊長は替わったばかりだ。またぞろおまえの娘が復隊して指揮を取ると言い出すのではないかと思ってな…。」

さすが歴戦の軍人だ。
なかなか鋭い。
もしも娘が普通の状態であったなら、まず間違いなくそうなっていただろう。
たとえ除隊していても、押っ取り刀で駆けつける娘の姿が目に浮かぶようだった。

「それで、あえて申しつけた。指揮官は、前隊長でなければよいと。あれでさえなければ、現場の推挙してきたものをそのまま任命してやる、と。」

親としては、返す言葉もない配慮であった。
ジャルジェ将軍は黙って友の言葉を待った。

「すると、誰を推挙してきたと思う?」

友の顔に険しい色が宿った。
もともと苦虫を常時噛みつぶしているような奴ではあるが、今夜は近衛の将軍を前にして相当こらえていたのだろう。
その仮面がはがれ始めた。
ジャルジェ将軍が答えようもなく黙っていると、彼は短く名前を言った。

「アラン・ド・ソワソンだ。」

だが、重々しく告げられたその名にジャルジェ将軍は一向に覚えがなく、どう反応してよいかわからなかった。
しかたなく簡潔に質問した。

「何か問題がある人物なのか?」
「将校ではない。」
「貴族なのにか?」
さすがに意外な答えだったので、即座に聞き返した。
「不祥事があって降格された。単なる一班長だ。」
「ほう、それはまた変わった経歴の持ち主だな。」
「それだけではない。奴の班というのは、わしがこの間の一件でアベイ牢獄に送っところだ。その男はいわばあのときの首謀者なのだ。」

意外も意外、というか予想外の説明にジャルジェ将軍は言葉に詰まった。
娘が一方ならぬ思い入れを持って衛兵隊の任務に当たっていたのは知っていた。
悪い噂しか聞かなかった当初からすれば、退任する頃には、なかなか規律の取れた部隊になっている、と親切に教えてくれる将軍仲間もあった。
だからこそ、娘の命令違反に部下達も同調したのだろうと想像すると、父としてはなかなか複雑である。

だが、それにしてもその首謀者をパリ出動の指揮官に選ぶとは、現隊長は何を考えているのか。
ジャルジェ将軍の表情を読み取ってブイエ将軍が言葉を継いだ。

「さすがに驚いて、どういうことか隊長に詰問した。だが、将校以下兵士全員の総意だというのだ。今回ばかりは、この男でなければ、兵士はついていかない、と。」
「そんなに人望のある男なのか。」
様々な現場を踏んできた身としては、部下の総意で指揮官に推挙される人間などそうそういるものではない、ということが容易に推測できる。
率直な感想だった。

「知らん。わしからすれば上司を上司とも思わぬただの跳ねっ返りだ。そんな奴を指揮官に任命するなどもってのほかだ、と言ってやったが、あくまでも兵士の総意だと言い張るのだ。しかも、病気退任した前隊長の推薦状もある、と言いおる。」
「なんだと!オスカルの?」
「そうだ。一触即発の現場の指揮官は、選挙運動時にパリ市内を隈無く巡回してその地理に誰よりも詳しく、また、例の獄中からの開放で一躍市民に名の知れた彼こそがふさわしい、と書いてきおった。彼ならば暴発する市民も対決ではない方法で向き合えるとな。」
「うーむ…。」

蝋燭がまっすぐに炎を上げている。
老いた将軍二人がその火をはさんでにらみ合うように座る様は、やはり異様で、本来ならそろそろ持参されるはずの接待用の飲み物ひとつ出てこない。
使用人があらかじめそう命令されているのか、あるいは単に恐れを成して近づけないのか。

「やむなくその男を指揮官に任命することにした。何と言っても明後日のことだ。そう時間もないのでな。今さら、別のもの任じれば、一層混乱をきたし、収拾がつかなくなる。もしも期日に出動できなければ、衛兵隊の面目は今度こそ丸つぶれだ。」

妥当な判断だとジャルジェ将軍も思った。
自分が同じ立場であっても同様の決断を下しただろう。

「だが、ここで気になることが出てきた。准将がはからずも推挙の理由にあげた、市民の支持だ。」
「どういうことだ?」
「兵士の牢獄からの釈放は市民の求めに応じたものだった。」
「うむ。」
「だがあれはベルサイユの衛兵隊内でのいわば内輪の問題だ。それをなぜパリの連中が聞きつけて、しかも釈放運動まで起こしたのか。」
言われてみればその通りで、あの一連の市民の動きはあとで冷静に考えるとかなり不可思議なものだった。
烏合の衆とは思えぬ、その迅速な反応と、結束した行動を指揮したのはただものではないと、ジャルジェ将軍も実は感じていた。
「誰かが…」
と言いかけてジャルジェ将軍はハッとした。
誰かが市民に情報を流したのか。
衛兵隊に、市民を動かせるものがいたということか。

「部下を使って調べさせた。あのときのデモを扇動したのは誰だったかを。どうやら多数の新聞やビラがまかれ、それによって広く知れ渡ったということがわかった。そこでその発行元を調べた。ベルナール・シャトレというものだった。」

アラン・ド・ソワソンと同様、これまたジャルジェ将軍には聞き覚えのない名前だった。
衛兵隊士につながるものだろうか。
今の話からするとなかなかの人物らしいが…。

「この男についても徹底的に調査させた。パリではなかなか有名人らしくてな、聞き込みは簡単だった。家族は妻ひとり。ロザリーという金髪のなかなかの美人らしい。まだ20代半ばの若い女だそうだ。」

ジャルジェ将軍の顔色が変わったのを旧友は見逃さなかった。
「心当たりがありそうだな。」
ロザリー…。
金髪の20代半ばの美人。
いや、まさか。
このフランスは広い。
同じ名前の女などゴマンといるはずだ。

「結婚前の名前は、ロザリー・ラ・モリエール。」

「そんな…。」
もう間違いない。
あのロザリーだ。
オスカルが屋敷に連れてきて、侍女のような、妹のような存在として目をかけていた。
宮廷にも伺候させていたと記憶している。
家庭内のことだから自分は完全に放置していた。
だが、ある日、ポリニャック伯爵家から遣いが来て、ロザリーは当家の娘だと言って連れて行った。
伯爵の落としだねだったのか、あるいは夫人の子であったのか、詳細は聞かなかった。
醜聞に満ちた社交界では、よくある話だ。
まさかポリニャック家の子弟とは思わなかったが、実の親だというものが堂々と迎えをよこし、しかもそれが飛ぶ鳥を落とす勢いのポリニャック家となれば、ジャルジェ家としては拒否する理由がなかった。

だが、しばらくして、ロザリーはまたジャルジェ家に戻ってきた。
忙しい時期であったから、家庭内のことは妻に任せきりで、妻は大概オスカルの言うままにさせていたから、このときも自分はほとんど関知しないでいた。
ただジャルジェ家にロザリーが戻っていることは、外部には内密にしているようで、宮廷に連れて行くこともなく、そのうちいつのまにかまた屋敷内で姿をみることはなくなっていた。
大体あの頃は、確か黒い騎士騒動でそれどころではなかったのだ。
しかも時を同じくして、オスカルは近衛を辞め衛兵隊に移ってしまっている。
使用人同様の娘の行方など自分にとっては完全に埒外のことだった。
そのロザリーの名前をこんなところで聞こうとは…。

「わしの見るところ、あの市民の動きの裏には、ジャルジェ准将がいたのではないかと思う。」
「あれが、市民を扇動したと?」
「直接動いたのは新聞記者だろう。だがそいつの細君は、准将にひとかたならぬ恩義を感じている女だ。違うか?」

詰問されてジャルジェ将軍は押し黙った。
万一、その新聞記者の妻があのロザリーだったとして、どうしてブイエがオスカルとの関わりに気づいたのか、そこのところがまだ謎だったからだ。
単なるカマかけかもしれない。
それならば下手に答えてしっぽをつかまれるのはまずい。

「言いたくないか。」
ブイエ将軍はニヤリと笑った。
それから少し決まり悪そうに話し始めた。

「わしの妻は、社交界のことに関しては右に出るものがないほどの通でな。一度でも宮廷で顔を見たものなら氏素性をつきとめずにはおかないタチなのだ。それで万一の可能性を考えてロザリー・ラ・モリエールという名前に心当たりはないかと聞いてみた。今日の帰宅後のことだ。すると、何とも意外な答えが返ってきた。確か一時、ジャルジェ准将が遠縁の娘だといって宮廷に連れてきていた若い女ではないか、とな。」

種明かしのもとが妻であることに幾分かのてらいをもって、ブイエ将軍は続けた。

「当時の宮廷ではジャルジェ准将が若い女をエスコートしてきたとあって大騒ぎだったらしい。もしその女のことならよく憶えていると言うのだ。ジャルジェ家の遠縁というふれこみだったのに、突然ポリニャック家に引き取られた上に行方知れずになって、今度はポリニャック家が大騒ぎで探しまわっていたということだ。だが見つからなかった。ところが、黒い騎士の一件が起きた。准将は捕縛の陣頭指揮を取っていたはずだが、そのときジャルジェ家から黒い騎士にさらわれた女がいて、その名前もロザリーだったというのだ。准将が王妃に報告しているとき、妻は女官長としてお側に控えておった。それで、あの娘はまたジャルジェ家に戻っていたのかと不思議に思ったから、間違いないということだった。金髪のなかなかの美人だったそうではないか?」

王妃がまだ王太子妃だったとき、ジャルジェ夫人が女官長に抜擢された。
デュ・バリー夫人との確執が原因だったため、騒動が一段落付いた頃に、ジャルジェ夫人は如才ない理由を作って退官したのだが、夫同士の張り合いから妻も負けじと思っていたブイエ夫人は、虎視眈々と王妃付きの女官長職を狙って猟官運動を行い、あの頃ようやく念願の職についていたのだった。
知らないところで張り巡らされていた網の目に、ジャルジェ家は見事にかかっていたようだ。

「そこまで調べているなら隠すことはないな。確かに、その娘なら当家にいたことがある。オスカルとは懇意の仲だ。」
ジャルジェ将軍は率直に認めた。


「市民を動かしたのは新聞記者だ。だがその記者を動かしたのは誰あろう、おまえの娘だ。おまえの娘は部下の命を救うために市民を扇動したのだ。」

随分蝋燭が短くなった。
だが、炎は変わらずまっすぐ上がっている。
ブイエ将軍がゆったりと座り直した。
ジャルジェ将軍は友の真意をはかりかねた。
この話をもって、娘を謀反人と訴えるには、やや根拠に憶測がからんで弱い。
それに、そうするのなら、自分に前もって話しを聞かせること自体が無意味だ。
何を言いたいのだろう。
何のために自分を呼んだのだろう。

ブイエ将軍はコホンと咳払いをした。
「ここまでは情報提供だ。そしてここからは忠告だ。」

意外な言葉にジャルジェ将軍は顔を上げた。

「おまえの娘は、おまえにそっくりだ。正義漢を気取って、時に自分の立脚基盤まで揺るがすことに平気で踏み込む。我々貴族の使命は王家の守護、この一点に尽きる。王命はときに理不尽なこともある。だが一々非を唱えていたら、それこそ根底から崩壊してしまう。だから非をとなえさせないための力、すなわち我々のような軍隊がいるのだ。」
いちいちもっともであった。
帯剣貴族の存在意義はまさにそこにある。
その継嗣たるものは、そこに身命を賭してこそ、生きる意義があるのだ。
しかるに…。

「卑怯ものになるな、と育てたのだろう?」
「…。」
「弱いものを守るのが強いものの定めだと教えたのだろう?」
「…。」
「このままここに置いておけば早晩完全な謀反人になる。二個中隊の指揮官にアラン・ド・ソワソンを任命したということは、もはや危険水域に突入する準備が整ったに等しい。せっかく退役したのだ。一切軍事に関われないところに移せ。それがジャルジェ家のためだとわしは思う。」

娘のベルサイユ退去の勧告。
これが今宵、ここに呼ばれた理由だったとは…。


国王の命令を拒否した娘。
国王の指示で動いた近衛隊を撤退させた娘。
そして同様に命令拒否して投獄された部下の開放を市民に依った娘。
さらには、市民に救われた男を指揮官に推挙した娘。

しかも、平民の従僕と内密に結婚したという娘。
その男の子どもを身ごもっているという娘。

押し黙ったままのジャルジェ将軍に古い友はゆっくりと語りかけた。

「ジャルジェ家はブイエ家と並ぶ王家の守護者だ。双璧の名門であればこそ、わしらは若いときから競い合ってきたのではないか。わしはジャルジェ家の滅亡を決して望んでおらん。たとえ当主やその継嗣がどんなに好ましからざる奴であったとしても、ともにあってこそのものだと思っている。」

憎まれ口を叩きながらも、友の厚情が痛いほど伝わってきて、ジャルジェ将軍は顔を上げられなかった。

「かた…じけない…。おまえの志しはしかと受け取った。決して無にはせん。感謝する。」

友が救おうとしてくれているのは、表向きジャルジェ家だと言い張りながら、実は当主の自分であり、その娘であるかつての部下であることは明らかだった。
王家守護との大義名分をかざしながら、心底行く末を案じてくれている。
ジャルジェ将軍は深々と頭を下げた。
そしてブイエ邸を後にした。
友は部屋から出てこず、見送りにも来なかった。
その素っ気なさこそが彼の思いやりだと身に染みた。
ジャルジェ将軍は、大きな門の上に掲げられたブイエ家の紋章を、馬車の窓からゆっくりと見上げた。









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