「何と情けない!」
オスカルにもアンドレにもアランにも聞き慣れた言葉が周囲に響き渡った。
だが、言葉はともかく、その声は、アランには非常に馴染み深く、一方オスカルとアンドレには若干の違和感をもって聞こえた。
「おばあちゃん、ごめん…、」
てっきり祖母だと思い、条件反射で謝り始めたアンドレは、茂みをわけて現れた声の主が、ソワソン夫人であったことに驚き、言葉を失った。
そしてアンドレ以上に驚愕しているのは、当然アランで、彼には馴染みの声の主が誰であるかはわかったものの、なぜここでその声を聞くのかが皆目わからず、ガタンと大きい音をたてて椅子から立ち上がったまま、放心したように母を見つめていた。

「端で聞いていればなんと情けない。退役なさったオスカルさまにご復帰を請うなどと…!」
凛とした声が息子への叱責だと知ったオスカルは、とりあえずかわいそうな部下をかばってやろうと、にっこり微笑んでソワソン夫人に顔を向けた。
「えっ…と。ソワソン夫人、どうしてこちらへ?」
聞いてから、クリスの代理だとすぐに気づいた。
朝から監視網が緩いと喜んでいたが、敵も然る者、自身が来られないときは名代を派遣してきたというわけだ。
それにしてもなんというタイミングであろう。
何もわざわざアランが来ているときに現れなくとも…。

「突然失礼いたしました。車寄せで辻馬車をおりましたら、この子の声が聞こえたものですから…。ところでオスカルさま、外の風にあたられますのは、一日30分程度になさってくださいませ。それとお部屋は二階だとクリスに聞きました。階段ののぼりおりは厳禁でございますよ」
ピシャリと言い放つと、ソワソン夫人は息子の耳を引っ張った。
「い…いてて!痛いじゃねえか!」
アランは下方に引っ張られた耳を押さえ、情けない声で反駁した。
「悪い子にはこれが一番効き目があるんです」
情け容赦のない叱責に、アンドレは吹き出した。
まるでおばあちゃんだ。

「アラン、オスカルさまはご病気です。復隊などとんでもない!それに、一兵士のあなたに指揮官とは大抜擢ではないですか。なぜ喜んでお引き受けしないのです?」
「そ、それは…」
「自信がないのですか?あなたの父は戦功によって貴族に列せられた優秀な武官でした。あなただって士官学校で将校としての教育は受けたはず。何を怖がっているのですか?」
たたみかけるような母の言葉にアランはぐうの音も出ない。

「そうだ。アラン、おまえは降格処分を受けるまでは将校としてダグー大佐の補佐官をしていたと聞いている。士官学校での成績もなかなか優秀だったそうではないか」
オスカルが腕を組みながら説得を再開した。
「わたしの期待を裏切るな。おまえならきっと素晴らしい指揮官になれる」
全幅の信頼を寄せた言葉に、アランは静かな感動を覚えていた。
自分がこの人の指揮に迷うことなく従うように、この人も自分の指揮に一切を委ねると言ってくれている。
おそらく全身全霊をかけて育て上げたに違いない部下の命を預けるとさえ、言ってくれている。

「軍部に戻ります」
アランは短く答えた。
「何です?素っ気ない。ご返答申し上げないのですか?」
ソワソン夫人が険しい声で咎めた。
「マダム、ご心配は無用だ。アランはすでに受諾している。そうだろう?おまえは、ダグー大佐の命に従った上で、それでもここに来たのだ」
オスカルはゆっくりと椅子から立ち上がった。
アンドレがそっと背中に手を添える。

アランは、何もかもお見通しか、と思いながらフフンと笑った。
ダグー大佐から指揮官任命の指示が出たとき、兵士一同が大歓声を上げたのだ。
「おれたちの命はおまえに預けるぜ!」
「士官学校仕込みの指揮を見せてくれ!」
勇ましい言葉が次々にかけられた。
将官たちもすでにダグー大佐からオスカルの返書を見せられていて、反対を唱えるものはなかった。
満場一致でアランは指揮官に就任することになった。

それでも、いや、だからこそ、なぜ自分でなければならないのかをオスカル自身の口から確認したかったのだ。
自分への評価を聞きたかったのだ。
今なら聞ける。
今なら会える。
今しか聞けない。
今しか会えない。
そう思うといてもたってもいられなくって、馬を飛ばしていた。

「アラン、武運を祈る」
オスカルはその場に直立して敬礼した。
指揮官となる名誉は、危険と裏腹であり、責任もまたたとえようもなく重い。
だが、女の身でこの人がずっと背負ってきたものを、他ならぬ自分に託してくれた以上、二個中隊の命運に全責任を負わねばならない。
アランは見事な所作で返礼した。
そして踵を返して、走り去った。

「マダム、酷なことをした。危険を承知でアランに託した。あなたの大切なご子息に…」
アランの後ろ姿を見送りながらオスカルはソワソン夫人に詫びた。
我が子を喜んで戦場にやる母などいない。
まして夫人は夫も戦傷で失っている。
勢いよく息子を叱りつけた言葉の裏側で母の涙が流れていないわけはないのだ。
「オスカルさま。お優しいお言葉、ありがとうございます。もとより士官学校にやった時点で、このような日が来ることは覚悟いたしておりました。降格されて自棄になっていたあの子が、人を信頼して、人に信頼されて、自分で選んだ道です。母であるわたくしが足を引っ張るわけにはまいりません」
そう言いながら、夫人の瞳がわずかにうるんでいるのをアンドレは見逃さなかった。
こらえて、こらえて、この人は息子を送り出したのだ。
本当なら、すぐにも追いかけて抱き止めたいところを…。
それが母の優しさであり、厳しさでもあり、強さなのだ。

「あの子に活躍の場を、生きる場を与えてくださって、心から御礼申し上げます」
夫人は美しく腰を折り、礼をした。
それから、すっかり表情を変えた。
「さて、オスカルさま、お部屋にお戻り下さいませ。オスカルさまには母の気持ちを思いやる前に、ご自身が母になる心構えを充分お持ちいただく必要がございますようで…。さあ、ムッシュウ・グランディエ、オスカルさまをお部屋にお連れ下さいませ」

ほぼ命令に近い夫人の言葉に、否応なくアンドレに抱えられたオスカルは、そっと小さな声でささやいた。
「誰だ、弱きもの、汝の名は女≠ネどと言ったのは…。強きもの、汝の名は女=Aが正解だろう」
「全くだ。だがオスカル、おまえも女だぞ」
「フム…。一概には言えないか…」
どうやらオスカルは自分を母や姉やソワソン夫人と同列には置きたくないらしい。
アンドレは知恵を絞った。
「こういうのはどうだ?今、思いついたのだが…。女は弱し、されど母は強し=v
「なるほど、至言だな」
「おまえ、なれそうか?」
「はなはだ不安だ。というか、その手の強きものにはあまりなりたくないぞ」

すると聞こえていないとばかり思っていた夫人がすっと会話に加わった。
「大丈夫でございますよ。男の闘いは命を奪いあいますが、女の闘いは命をこの世に産み出すもの。その勝利者なればこそ、どんな女もきっと強くなるのです。オスカルさまがお強くなれないわけがございません」
ソワソン夫人は、バツ悪げにする二人を尻目に済ました顔で持論を展開した。
アンドレは今さらながら女性に囲まれて暮らしてこられたであろうだんなさまに深い同情と共感を寄せた。





  「弱きもの、汝の名は女」 〜シェイクスピア
    「女は弱し、されど母は強し」〜ユーゴー 
 
   ユーゴーは19世紀の人ですので、もしアンドレが先に思いついていたら…
     ということで強引に持ってきました。ユーゴーさん、ごめんなさい。
     笑って読み流してくださいませm(_ _)m。


  
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強きもの…