「フランソワには荷が重すぎないか?」
アンドレが、ルイ・シャルルに関する資料を作りながら顔を上げオスカルを見た。
「そうか?おまえの台本次第だろう」
責任をアンドレに向けて奮起させる作戦が功を奏したのは、まだ若かった20台までで、さすがに三十路を越え、妻帯し二人の子どもまでいる身では、不要な役目など誰だってかぶりたいわけがない、ということをオスカルはまだ理解してないらしい。
それともアンドレにだけは通用すると思っているのだろうか?
だとしたら買いかぶられているのか、甘く見られているのか、どっちかだ。
思わずためいきが出た。
アンドレは、フランソワの恋心を知っている。
だから、このオスカルからの依頼が、彼にとってどんなに切ないものかが痛いほどわかる。
わかりすぎて心の襞がひりひりするくらいだ。
「ディアンヌと二人でできる仕事だ。舞い上がって仕事にならないと困るんだがな」
オスカルはまるで正反対の心配を述べる。
男心がどんなに繊細で傷つきやすいかとんと理解がないらしい。
かつて、オスカルの剣の相手をするとき、それがどれほど心躍るものであると同時に苦しいものだったかを、アンドレは思う。
そばにいることが任務で、けれど触れてはならない禁忌が厳然と存在する。
偽装の夫婦役。
人前では夫婦らしくし、二人だけの時には仕事仲間に戻る。
そんな器用なことがフランソワにできるのか。
不憫である。
哀れである。
それがなぜオスカルにはわからないのか。
「立派につとめを果たせれば、フランソワの株もあがり、ディアンヌだって見直すだろう。長く一緒にいればこそわかる良さがある。フランソワはそういう手の男だとわたしは思うのだ」
オスカルのフランソワ評が、なぜか自分のことを言っているようで、居心地が悪くなり、アンドレはこの話題を終わらせるため、仕事に専念した。
台本作りである。
靴屋のシモン、本名アントワーヌ・シモン。
だがこれは先代の名前で当代はフランソワ・アルマン。
この際、フランソワ・アントワーヌ・シモンでいく。
そして女房はディアンヌ・シモン。
アランの妹だということは隠さない。
国民衛兵隊司令官アラン・ド・ソワソンの義弟なら、警備のものも信用するはずだ。
だがいかめしい義兄と違って、靴屋のシモンはルイ・シャルルに接するときは、できる限り優しくする。
幼い王子が恐怖感を抱かなくていいように。
そして、二人以外の人間がいるときには、家族の話題を決して出さないようきつく言い聞かせる。
知らない人の前では、ラ・マルセイエーズを大きな声で歌うこと。
とにかくどうしていいか解らないときは、この歌を歌う。
そう教え込むのだ。
そして、ルイ・ジョゼフからの手紙を渡す。
マリー・テレーズとルイ・シャルルの二人を必ず守るから、手紙に書いてあることをきっと守って。
ぼくはきみたちのすぐそばにいるから。
ずっとずっときみたちを守るから。
読み書きや計算はディアンヌが順々に教えて、一通りの教養を身につけさせる。
口に出していい言葉と、決して言ってはならない言葉をしっかりと覚えさせる。
ディアンヌなら大丈夫。
その優しさと芯の強さで、ルイ・シャルルの信頼を勝ち取れる。
そうだ。
実際この任務の成否は、フランソワよりもディアンヌにかかっている。
小さな子どもに二重人格のようなことをさせねばならないわけだから。
人格を破壊しないよう、彼自身が本来持つ育ちの良さを損なわないよう、けれどももはや王子ではなく、市民であることを受容して生きていけるように。
本来の自分を隠して生きていけるように。
それは、はからずもルイ・ジョゼフの生き方でもあった。
ヨーロッパの二つの名門王家の血をひく彼は、イタリアの小国ナポリの一貴族の子弟として生きている。
ルイ17世であるはずの少年に一市民として生きるすべを説けるのは、ルイ・ジョゼフのほかになかった。
アンドレは、フランソワに続き、今度はルイ・シャルルに深い深い憐情を抱いて、また大きくため息をついた。
親と引き離された子ども。
もう自由に会うことはかなわない。
どんなに会いたいだろう。
王妃はどんなに泣いているだろう。
遠くノルマンディーにいる我が子の姿がまぶたに浮かぶ。
安全な、暖かいところに預けていてさえ、こんなにも心にかかるのだ。
まして夫の命を奪った連中の手に放り込まれた息子を思う母の気持ちは想像だにできない。
アンドレはそっと机の引き出しを開け、双子のミニアチュールを取り出した。
もうノルマンディーを出てから半年が過ぎている。
その間、オスカルは一度、自分は二度、ノルマンディーに帰っている。
この時期の子どもの成長は驚くほど早く、3歳になった二人は簡単な会話もできるようになっていた。
かわいい笑顔、かわいい声。
次はいつ会えるだろう。
「アンドレ、来月早々に帰るか?」
いつの間にか背後に回ったオスカルが、ミニアチュールをのぞき込んでいた。
「日が取れないだろう。それに次に帰るならおまえの番だ」
「わたしはまだいい。ここですべきことが山のようにあるからな。おまえはその台本さえ仕上げて、順調にいく目処がたてば一度帰ってくるがいい。」
ポンとアンドレの肩をたたくと、オスカルは部屋を出て行った。
悪いことをした。
オスカルが双子に会いたくないわけがない。
だがすべきことがあるのだ。
本当なら、自分たちがシモン夫婦になりたいくらいだ。
王子と王女を引き取って、安全な場所に移し、その成長を見守りたい。
革命を支持する精神にいささかの揺るぎもないが、それとこれとはまた別だと、オスカルの母性が訴えている。
アンドレはミニアチュールをそっとレースのハンケチで包み、引き出しを閉じた。
そしてふたたび台本に取りかかった。
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