悪人はいつから悪人になるのだろうか。
根っからの悪人、生まれたときからの悪人。
そういう人間は存在するのだろうか?
マリー・アントワネットの裁判においてなされた、ルイ・シャルルの証言を知ったオスカルは、最初、怒りで身体全体が震えた。
そういう証言を思いついたエベールという男に対してである。
怒り心頭とか、怒髪天を衝くとか、そういうありふれた激情的な怒りではなく、心の底からのわき上がるような、また逆に心の底に汚物がしみ入っていくような、そういう怒りであった。
かつての自分なら、その場で決闘の果たし状を書いていただろう。
事実、ド・ゲメネ公爵に挑んだときはそういう心境だった。
幼子の背中を銃で撃ち抜く男など、到底許せなかった。
だが、今は、少し違う。
どうしてこんな人間がいるのか、こんな人間がいつできたのか、生まれたときからそうなのか。
次々と疑問がわき上がってくるのである。
若いときは、事実を見聞きすると、ただ腹が立ち、怒り、結果的に決闘だったり、復讐だったりと、なにがしかの行動に即座に打って出た。
その背後にあるものを見ようとは思わなかったし、背後に何かあるということにも気づいていなかった。
けれど、今は二人の子どもを持つ母である。
生まれ出た命が、いかに無垢で清らかであるかを知っている。
その瞳は怖いくらいに澄んでいて、汚れを知らない。
人を陥れたり傷つけたりすることなど想像すらできないだろう。
おそらく、ド・ゲメネ公爵も、エベールという男もこういう赤子であったはずである。
どこでどうなって、このような下劣な人間に成り下がったのか。

元王妃マリー・アントワネットが、愛息子であるルイ・シャルルに対し母としてしてはならないことをした。
理由は、新国王となった息子を意のままにあやつるため。
このことは息子自身が証言した。
ここにそのサインもある。

勝ち誇った顔で演説をぶったエベールに対しては、さすがに王妃嫌いのパリ市民も賛同できかねたようで、それだけがオスカルにとって救いであった。
また、王妃自身が、崇高な態度でその尋問に対峙し、多くの女性が王妃の答弁を支持して、法廷がエベール批判の渦に巻き込まれたことも、ベルナールから直接聞き、安堵とも哀惜ともつかぬ思いに包まれた。
さすがである。
かつて、デュ・バリー夫人との確執時に堅持していた誇りを、たとえ罪人として裁きの場に立ってすら、王妃は捨ててはいない。
身体にまとう衣装が、豪華なドレスから喪服に替わり、高く結い上げた鬘をはずして白くなった髪をただ束ねただけの姿になっても、マリー・アントワネットはやはりマリー・アントワネットだった。

革命は支持する。
しかし、このやり方は看過できない。
オスカルはベルナールに意見を問うた。
「おまえは、どう思っているんだ?」
ベルナールは苦り切った顔をしていた。
「早晩、あいつも断頭台行きだ。ロベスピエールもおそらくおれと同意見だろう。法廷で見かけたが、サン・ジュストが恐ろしく冷たい目でエベールを見ていたからな」
オスカルはホッとため息をついた。
この卑劣な方法が一部エベールたちの暴走であるなら、今後も革命を支持できる。
国王が処刑された事実を受け入れるには相当の努力が必要だったが。

とすると、次に確認すべきことは…。
オスカルはアンドレを見た。
アンドレはうなずいて立ち上がった。
「できるだけ早くフランソワと連絡をつけよう」
「ああ、そうしてくれ。今回のことは、フランソワにはなんの責任もない。むしろよくやってくれた。賢明な判断だったと伝えてやってくれ」
オスカルに言われるでもなかった。
アンドレは、フランソワの心中を思い、いたたまれない思いでいたのだ。
エベールからの無理難題にどんなに苦しんだだろう。
何も知らないルイ・シャルルをだますような結果になったことをどんなに後悔しているだろう。
まったくフランソワのせいではないのに。
一刻も早くフランソワに会い、おまえは正しいと断言してやりたかった。

アンドレが部屋から出るのと入れ違いにロザリーがお茶のセットを持って入ってきた。
「あら、アンドレ。お茶を飲んでからにしたら?」
ロザリーの言葉にアンドレはおそらく丁重に遠慮したのだろう。
「余ったお茶はベルナールにですって」と笑いながらロザリーはテーブルにトレイを置いた。
いくら美味でも、2杯は多い、とこぼすベルナールにオスカルは真顔で向き直った。
「折り入って頼みたいことがある。」
来た!
シャトレ夫婦は一瞬頬を引きつらせた。
今までに、何回この手を使われてきただろう。
たいがい、面倒なことばりだ。
アベイ牢獄から部下を救出してくれ、に始まって、フランソワとディアンヌを夫婦にしてルイ・シャルルの監視役にしてほしい、まで。
およそオスカルの短い言葉からは想像できないほど、大変な骨折りを強いられる。
が、結果はいつも同じだ。
「なんなりとおっしゃってくださいませ、オスカルさま!」
ロザリーはお茶などそっちのけで、ベルナールの隣に座った。
シャトレ家において、すべての決定権は妻にあり、夫に拒否権はない。
そして、夫が決定したことについては、当然のように妻に拒否権がある。
つまり、そういうことだ。
オスカルは、それを知ってか知らずか、ロザリーの大きな瞳を正面からじっと見つめて、本題を切り出した。
ロザリーは頬を染めて一心に聞いている。
そして、実際に動くベルナールは、かたわらで黙って座っている。









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そら

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光の天へ…