「ごめんなさいましね。わざとではありませんのよ」
マリー・アントワネットがこの世で最後に口にした言葉である。
刑場において、死刑執行人の足を誤って踏んでしまった彼女がとっさに放った言葉は、彼女の人となりを悲しいほど見事に表現していた。
ーわざとではありませんのよー
そうだ。
すべては、わざとではなかった。
マリー・アントワネットが恣意的にしてきたことなど皆無だったと言っていい。
結婚も出産も、フランスやオーストリアの国家の意志であって、彼女が望んだことではない。
豪華に暮らしたと言われるが、絶対王政下で王室が質素にするほうがずっと強い意志が必要だろう。
好きな人ばかり周りにおいて、諫言を退けた。
それとて、うら若い女性ならば当たり前のこと。
わざわざ耳に痛い忠告を熱心に聞く妙齢の女性がいたら、そのほうがよほど変人だ。
しかも、彼女は自分に非があると思ったときはちゃんと謝罪している。
ーごめんなさいましねー
これから自分の首を落とそうとする死刑執行人に対してすら、このように丁重に。
身近で彼女に接した人が、皆、その魅力の虜になったのも、この素直で飾り気のない人柄ゆえである。
王妃なんて鬼のような女に違いないと断じていたロザリーは、初めて舞踏会で王妃に御目見得したときに、直々の言葉をかけられ、にこやかに微笑まれて、聖母のようだと感激していた。
巷の噂は嘘だと確信すらした。
監獄にいる間に、王妃の世話をしたものは、やがて罪人に親切にしすぎたとして、罪を問われるものが出たほどに、彼女の人柄に惹かれ、親身に接した。
まして14歳から側近く仕えたオスカルが、アントワネットのこの資質を知らぬわけはない。
「ごめなさいましね。わざとではありませんのよ」
この言葉をオスカルはまるで自分にかけられたように思い、こみあげる嗚咽をこらえきれなかった。
時に華やかに、時に愛くるしく、そしてまた時に驚くほど誇り高かったフランス王妃。
だが、豪奢な生活の下敷きになっている人々の暮らしに気づくにつれ彼女の素直さをそのまま美徳とは受け止めがたくなった。
何度か苦言を呈して、聞き入れられず、やがて自分から距離を置いてしまった。
もっと国民を見てほしい。
もっと国民の真の姿に気づいてほしい。
オスカルの願いはついに届かず、この日を迎えてしまった。
アントワネットとオスカルの出会いは、二人が望んだことではなかった。
もしかしたら生涯会うことなどなく過ごしたかもしれない二人だった。
とても遠く離れて生まれたのだから。
だが、二人は出会った。
王妃と近衛隊士として…。
主君と従者として…。
そして長い年月を近しく過ごした。
オスカルの脳裏を走馬燈のように様々な光景がよぎってゆく。
ベルサイユ宮殿の舞踏会、オペラ座の観劇、広大な庭園での散歩。
宿命だったのだろうか。
出会ったときには、こんな別れがすでに用意されていたのだろうか。
それともどこかで道を変えることができたのか。
悔いても詮無いことが、繰り返しオスカルを襲い、責め立て、追い込んでいく。
なんという無力!
なにひとつ王妃の役に立つことはなかった。
王妃を守ることもできなかった。
日が落ちて、薄暗くなった部屋でオスカルはひとり慟哭した。
誰をも責めず、ただただ自分を責めて、身をよじった。
そしていたわしい王妃のために、長い祈りを捧げて夜を明かした。
国王と王妃の死でもって、新生フランスが賑々しく誕生したと思うには、オスカルはあまりに二人と近く生きてきた。
萬歳など到底叫べるわけはなかった。
祈り明かすほかに、オスカルにできることはなかった。
長い長い夜だった。
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