台風は一気に来たわけではなかった。
まるで先遣隊のように、まずは小型台風が襲来した。
ただし、これを小型と言うのは、その後の本隊が異常に強大であるから比較してそう見えるだけで、もし単独で来たのなら、それはそれで充分大型台風と呼ぶにふさわしい規模のものだった。
その小型台風の目は、言わずとしれたル・ルー・ド・ラ・ローランシー。
そしてその母にしてジャルジェ家の三女オルタンスと、四女のカトリーヌが、いわば暴風である。
三人は期待で胸をいっぱいに膨らませながら、次女の屋敷に到着した。
この報に接するや、オスカルはアンドレとともに二人の子供、それにばあやを連れてただちにバルトリ邸に移った。
台風の目に自分から飛び込むのか、というアンドレの怯えすら含んだ抗議に対してオスカルは、理路整然と反駁した。
難しい敵を迎え撃つときは、自陣に呼び込んだら終わりだ。
一応味方もいる堅固なバルトリ邸で、最善の布陣を整える。
嵐に際して、小船ならたちまちひっくり返るが、大型船ならもちこたえられるのと同じ理屈だ。
それとて、絶対大丈夫とは言い切れないが、ここで座して待つよりははるかにましだろう。
こんな時にすら、戦略指導を行うオスカルに、アンドレは心底あきれたが、いちいちもっともゆえ、渋々従った。
自分の陣地が堅固でないときは、打って出る。
もしくはもっと頑丈な陣に移動する。
これは、戦の基本である。
心地よい秋風の中で、ノエルはアンドレが、ミカエルはオスカルが抱いて、馬車を降りた。
久しぶりの遠出に双子はキョロキョロとあたりを見回している。
そのとき、あたりをつんざく悲鳴が、一行を出迎えた。
ル・ルーである。
「キャー!!」
両手を胸の前に組み、やや前屈みになって発した声がこれだった。
目も口もこれ以上ないほど開けられている。
ル・ルーのいつもの歓迎だ。
だが双子にとっては、いつものではすまない。
ミカエルが、驚きのあまり、見る見るうちに涙を浮かべた。
そして、ノエルは…。
「ギャー!!!!」
ル・ルーの倍はあろうかという声で、返答したのだ。
しかも前屈みではなく、後方にそりかえって…。
これにはさすがのアンドレも驚いて、ノエルを抱く腕が一瞬ゆるみ、慌ててしっかりと抱き直した。
「ル・ルーの先制攻撃にひるむことなく倍返しとは大したものだ。」
オスカルは我が娘の雄志に目を細めた。
突然、大声大会と化したバルトリ邸の玄関前で、ついにミカエルが泣き出した。
おそらくこれは一般的な一歳児の反応であろう。
だが、オスカルは、なぜ突然泣くのかという目で息子を見つめるだけで、一向にあやす気配がない。
助け船を出すべきアンドレはノエルを抱いていて、手が出せず、ばあやは荷物で両腕がふさがっていた。
困り果てていると、ル・ルーの後方からカトリーヌが近づいてきて、すっとミカエルを抱き取った。
「初めまして、天使たち。この心根の優しい子はミカエルかしら?」
優しい声と、良い香り、さらに柔らかな腕が、ミカエルを包んだ。
泣き声はピタリと止んだ。
これまたカトリーヌのいつもの救いの手だった。
感謝でいっぱいのアンドレから、今度はノエルが抱き取られた。
オルタンスである。
「うちの娘と勝負するなんて、先々が楽しみだわ。はじめまして、ノエル。」
押しつけがましくない、けれど決して冷淡ではない、ほどよい暖かさが、ノエルの闘争心を鎮めてくれた。
初対面の伯母に抱かれた双子は、それぞれに機嫌を直し、バルトリ邸に入った。
そして興味津々、好奇心の権化となっているル・ルーが、二人の恰好の遊び相手になった。
ル・ルーはどんなときも、誰に対しても手を抜くということはしない。
本気で相手になる。
それが、小さないとこたちにはたまらなく嬉しいらしく、二人はトコトコとル・ルーの後ろをついて回った。
「台風一号は、なんとかしのいだようだな。」
オスカルがアンドレの背をポンとたたいた。
「ああ、むしろこちらの怪獣を引き取ってくれている。嬉しい誤算だった。」
アンドレは正直に感想を述べた。
「ルイ・ジョゼフの調子があまりよくないらしい。部屋にこもっているようだから、わたしはこれからのぞいてくる。アンドレ、あとは頼んだぞ。」
ホッとしているアンドレに体よく全てを押しつけて、オスカルはルイ・ジョゼフの部屋に逃げ込んでしまった。
事情を知っているジャルジェ家の人間が、ルイ・ジョゼフのところだけは押しかけないと知ってのことである。
アンドレは結局ひとり取り残された。
いつの間にか、周囲には、オルタンスとカトリーヌに加えてバルトリ侯爵夫妻と、その子女であるニコーラとニコレットが集まってきていて、テーブルにはお茶の支度が調えられていた。
「オスカル…!」
アンドレは声にならない声で、オスカルを呼び、それからニコニコとほほえむ周囲の人々に対して、腹をくくって、極上の笑顔を返した。
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