オルタンスの悪意なき質問と、カトリーヌの善意に満ちあふれた会話は、アンドレにとって強い緊張をしいたが、思わぬ援軍があることに、しばらくして気づき始めた。
クロティルドである。
彼女は、ベルサイユで暮らす親戚に対して、遠いノルマンディーという地理的条件ゆえに、一族の情報から最も遠いところにいたのだが、このたびのオスカルたちの移住により、誰よりも双子のことを知っているという優越感に浸ることができたのだ。
妊娠中から出産、そして生まれてからも、もっとも頻繁に接している身内。
しかも当初から生活の一切合切を面倒みてきてやっているという自負がある。
双子についての質問なら、自分に任せなさい、とばかりに、クロティルドは妹たちの質問にアンドレを制して、全て淀みなく答えていく。
アンドレは、クロティルドから同意を求められた時に、いかにもさようでございます、と答えるだけでよかった。
これは助かった。
オルタンスとカトリーヌも、当意即妙でユーモアと愛情のこもったクロティルドの受け答えに笑いが絶えない。
もとより、双子の誕生はジャルジェ家一族の悲願であったわけで、オルタンスとカトリーヌも大前提として祝意がある。
長く自分の目でその存在を確かめたいと切望していたのが、ようやくかなったのだ。
機嫌の悪かろうはずがない。
まして双子はジャルジェ家の血筋を色濃く受け継ぎ、金髪碧眼で天使の愛くるしさとくれば、上機嫌以外にありようがないのである。
この席にオスカルがいないことなど、ことさらに取り立てる必要もないし、アンドレが直接返答しないことも、全く問題ない。
そういう雰囲気の中で、アンドレは自然に立ち上がり、バルトリ家の使用人からワゴンを受け取ると、あとの給仕を引き継いだ。
室内は完全に一族だけになった。
アンドレの動きに、ニコーラが気づいて自分も静かに立ち上がった。
そしてアンドレのワゴンからポットを取ると、空になったオルタンスのカップにおかわりのお茶を注いだ。
カトリーヌが、目を細めてその様子を見ていた。
「クロティルドお姉さまはお幸せね。こんなに立派な跡取りに恵まれて…。」
突然息子を褒められたクロティルドは、あら、という顔でニコーラに視線を移した。
「立派な跡取りねえ…。それなら浮いた話のひとつやふたつ、そろそろわたくしの耳に入ってきても良い頃なんでしょうけれど…。」
思わぬ方向の話に、ニコーラはすばやくアンドレにウインクを送る。
まさか母上のために女性が恐ろしいのだ、とは言えまい。
アンドレはクスクスと笑いがこみ上げてくるのを押し殺し、この青年に助け船を出した。
「カトリーヌさま、紅茶のおかわりはいかがですか?」
さりげなく会話を違う方向に導く。
「そうね。お茶はもう結構だから、熱いショコラを頂けると嬉しいわ。ばあやにお願いしてみてくれないかしら?」
意外な提案だった。
マロンは、こういう場には絶対同席しない。
アンドレが一族として迎え入れられても、自分の立ち位置は頑として変えない。
だから、今も厨房にいるはずである。
「では、わたしが伝えてきましょう。」
返事とともに退室したのはニコーラである。
「さすがにわたしの息子だ。船に乗るのがうまい。」
バルトリ侯爵が小声でつぶやいた。
アンドレの助け船も、ニコーラがそれに見事にのったこともお見通しだったらしい。
「ばあやのショコラは絶品だからね。ニコーラが気を利かせて、皆の分を持ってきてくれると良いのだが…。」
さりげなく後押しまでしている。
クロティルドとニコレットという女性陣に対し、こうして助け合って対応してきたのだろう。
アンドレは少し同情したのち、自分も全く同じ家族構成であることに気づいて、あわてて頭を振った。
オスカルとノエルは、クロティルドとニコレットの組み合わせに比べていかがなものか?
そして侯爵とニコーラに対し、自分とミカエルは…。
ル・ルーと張り合ったノエルに対し、泣き出したミカエル。
相手の強力度は増しているのに、こちらのそれは半分にも満たないように思われる。
やはり…。
アンドレが小さくため息をついたのが聞こえたのだろうか。
侯爵がアンドレを呼んだ。
「アンドレ、給仕はニコーラが連れてくるものたちにまかせて、君は座りなさい。」
侯爵が指さしている席は、先ほどまでニコーラが座っていたところで、侯爵の隣である。
つまりもっとも上座に近い所だ。
気後れするアンドレに、侯爵が再度促した。
アンドレは主命を拝するようにして、侯爵の隣席に腰掛けた。
「ニコーラはね、結局母親とよく似た女性と結婚するよ。」
「そうですか?」
「ああ、まず間違いない。」
侯爵は自分で言いながら自分でうなずいている。
「だって、何のかんの言っても、とびっきり魅力的な女性(ひと)だからねえ。この一族の女性は…。まあ、君には言うまでもないだろうが…。」
アンドレは、心の深いところで、侯爵の言葉をしっかりと受け止めた。
とびっきり魅力的な女性たち。
ジャルジェ伯爵夫人をはじめとして、それに連なる女性たちは、皆、個性豊かで、生き方が美しい。
恵まれた暮らしをしていたから、という人もいるだろう。
自分も始めはそう思っていた部類かもしれない。
大きなお屋敷で何不自由なく暮らす人達だったから。
両親を亡くした貧しい平民の少年には、想像もできないほどの豊かでまばゆい生活だったから。
けれど、オスカルは、その中で決して贅沢三昧をしていたわけではない。
むしろ修道士のように禁欲的に己を律していた。
そしてジャルジェ家は、そういうオスカルをまっすぐに育てていく環境だった。
ノエルも魅力的な女性になるだろうか。
なかなか特異な環境であることは、ノエルもオスカルと遜色ない。
特別、男として、跡取りとして育てている訳ではないが、両親が異色である。
そんな中で、ノエルの持つ個性を尊重しながら、まっすぐに育てていかねばならない。
かつてソワソン夫人が言っていた言葉がよみがえる。
「子どもというものは、育てたように育つのです。」
アンドレは親という立場にはじめて思いをいたした。
ただかわいいだけではなく、その責任を痛感したのだ。
扉が開き、ニコーラがマロンとともにショコラを運んできた。
「ちゃんと皆の分がある。結構、結構。」
侯爵がニコニコとうなずく。
「ばあやの分は?」
オルタンスがすかさず聞いた。
「わたくしは、お毒味で、すでに厨房でいただきました。」
「まあ!」
オルタンスとカトリーヌが同時に口を開けた。
どんなことがあっても相伴する気はないらしい。
「おばあちゃん、オスカルのところには?」
アンドレが自分に給仕してくれる祖母に恐る恐る聞いてみた。
「さっきお持ちしたところだよ。で、おまえの様子を見てくるようにっておっしゃってね。」
なんと、オスカルがアンドレの心配をしているらしい。
姉上たちの相手を押しつけたことを悪いと思っているようだ。
いい気なものである。
ひととおり給仕を済ませるとマロンはすぐに引き上げた。
オスカルへ報告に行くのだろう。
久しぶりのマロンの味に、クロティルドたちは歓声をあげ、またまた双子の話に花を咲かせている。
ニコーラがアンドレの隣に椅子を抱えて移ってきた。
「男同士、なんの話をしてたの?」
アンドレが言いよどんでいると、侯爵がアンドレの頭越しに言った。
「おまえの嫁の話だよ。」
「なんだ!それなら母上とかわらないじゃないですか!」
「違うよ、ニコーラ。子育てについて、含蓄ある助言を頂いていたんだ。」
「おやおや…。それなら未婚のわたしにはまるで関係ない話だ。」
「若者というのは、こうしてみすみす教育を受ける機会を失っていくのだ。もったいないねえ。」
侯爵がわざとらしく嘆いて見せた。
「あら、子育ての話なら、わたくしに聞くべきでしょう、アンドレ。」
あの賑やかな会話の中で、どうしてこちらの話しの中身まで聞いていたのか、クロティルドが口を挟んできた。
「いえ、そんな…。」
しどろもどろのアンドレに女性達がいっせいに言葉を放ち始めた。
「アンドレ、すまないが、わたしは退散する。」
侯爵が席を立ち、ニコーラもそそくさと椅子を引いた。
「えっ…!」
あっという間に室内の男はアンドレ一人になっていた。
アンドレの苦行は始まったばかりである。
NEXT BACK MENU TOP BBS