オスカルがバルトリ邸に来て2日後の夕方、ベルサイユからの一行が無事到着した。
迎える側がバルトリ侯爵一家とオルタンス、カトリーヌ、ル・ルーに加えて、オスカル、アンドレと双子たち。
迎えられる側はジャルジェ将軍夫妻、長女のマリー・アンヌと夫君のパンティエーブル公爵、その後嗣であるルイ・アレクサンドル、そして五女のジョゼフィーヌと夫君のブラマンク伯爵、その子息であるアンリとシャルル兄弟。
合計20人である。

もはや何が何だかわからないほどの混沌とした状況だった。
ハルマゲドンとまはいかないが、カオスというのは充分正解だった。
オスカルは、誰と何を話したか、誰に誰を紹介したか判然としなくなり、挙げ句にアンドレにノエルを紹介して露骨に嫌な顔をされた。
だが、そのアンドレもオスカルの甥や姪にどう対応すべきか懊悩していて、ル・ルーとニコーラやニコレットには対等にふるまいつつ、ルイ・アレクサンドルとアンリ、シャルルには使用人としてしか接することができず、頭の中は混乱を極めていた。
多かれ少なかれ、バルトリ邸に居る者はすべて同様の状況だった。

こうした中で、ひとり泰然自若としていたのはジャルジェ将軍である。
将軍は、ノエルとミカエルを見たときだけ、少し反応したほかは、バルトリ侯爵の歓迎の辞にも、クロティルドやオルタンスといった娘の挨拶にも、ただ黙ってうなずくだけだった。
一方で、将軍夫人のほうは、初めて見る双子に涙腺が緩みっぱなしで、六人の娘たちに次々と近況を聞いたり、孫たちの成長ぶりに目を細めたりと、かつてないほど生き生きとした表情をしているのが対照的であった。

そして、バルトリ侯爵主催で使用人総動員のもとに歓迎晩餐会が催されたその席上、将軍から驚くべき言葉が告げられた。
繋累のものと再会を果たしたこと、そのために多大の労をかけたバルトリ侯爵、また大いなる決断をしてくれたパンティエーブル公爵とブラマンク伯爵には深く感謝するが、自分は明日にも単身ベルサイユに戻る、というものである。
これには、一同のけぞるほどに驚いた。
バルトリ侯爵はあっけにとられて声も出ない様子である。
あれほど説得し、承諾を得、旅程を整えて迎えた今日の日である。
一体なぜ…。
「はじめに断っておくが、戻るのはわし一人だ。妻は予定通り出国する。」
名指しされた夫人の顔は蒼白で、一切聞かされていなかったことが明白だった。
「ジャルジェ家は、国王陛下に最後まで忠誠を尽くす。ただそれだけだ。」
淡々と述べて、将軍は食事を始めた。
だがほかの誰一人として、フォークとナイフに手を付けるものはない。
「それならば…、それならば、わたくしも共に戻ります。」
ようやく言葉を発したのはやはり将軍夫人だった。
「それには及ばぬ。」
とりつく島もない。
「あなたを置いてひとり他国に渡れる道理がありません。」
「ならば、ここに残れ。バルトリ侯爵、すまないが、妻はここに置いてやってほしい。」
次女の夫君にほんの少し頭を下げた。
「お母さまがこちらにお住まいになるのは一向にかまいませんけれど、それならお父さまもこちらにお留まりくださいませ。ねえ、あなた。よろしゅうございましょう?」
クロティルドが夫に懇願する。
「もちろんだ。英国がお気に召さないなら、当家にてお過ごし下さればよい。」
バルトリ侯爵はすぐに賛同してくれた。
混乱の地に岳父を戻すことなどどうしてできよう。
「いや、わしはいい。気持ちだけいただく。なにとぞ妻をよしなに…。」
そう言って再び軽く頭を下げてから、皆に向かって言った。
「せっかくの馳走がもったいない。皆も手を付けられよ。」
だが、その指示に従うものはなかった。

「頑固者の父上のことだ。帰りたいと仰せなら、そうなさるがよかろう。」
オスカルの凜とした声が響いた。
「こんな時代だ。誰もが自分の信じる道を行くしかない。」
父は、おそらく一族を無事にここへ送り届けるために同行したのだ。
自分が亡命する気ははじめからなかった。
だが、それをベルサイユで表明すれば、きっと妻も残ってしまう。
妻や娘たち、その家族を自分の意地につきあわせるつもりはない。
守りたいものたちを守りつつ、自分の信念も貫く。
だからここまで来たのだ。
それがオスカルには理解できた。
オスカルはアンドレを促し、礼儀正しく食事を始めた。


「わかりました。では、わたくしどもだけで出国いたしましょう。」
オスカルに続いて腹をくくったのはマリー・アンヌだった。
ブルボン家と血筋のつながる公爵家である。
すでにヴァレンヌ逃亡と時を同じくして王弟たちは亡命を果たしているのだ。
今までこの国に残っていたこと自体、危険の極みだった。
もはや猶予はない。
パンティエーブル公爵家の行くべき道は亡命しかなかった。
マリー・アンヌと公爵は、ルイ・アレクサンドルとともに極めて優雅な作法で食事に手を付けた。

「お姉さまが出国されるのでしたら、わたくしどももご一緒に参りましょう。当初の予定通りにね。」
もとよりベルサイユには知人も親戚も残っていない。
父ひとりを帰すのは忍びないが、二人の息子の将来を考えれば、留まる選択肢はなかった。
ジョゼフィーヌが心を決めた時点で、一家の将来は定まった。
「仕方ありませんわね。ではお母さまだけこちらにお住まいということで。あなた、英国のお屋敷は一軒キャンセルですわね。」
姉妹の言葉に、クロティルドが父に逆らうことをあきらめた。
「承知した。明日にも手続きを始めよう。」
バルトリ家も、どうやら意思統一ができた。
こうなった以上、オルタンスにもカトリーヌにも口を差し挟む余地はなかった。
合意ができはじめていた。

覚悟が決まらないのはジャルジェ夫人だけである。
今の今まで、夫とともに国外へ出るつもりでいたのだ。
ひとりで行けと言われても、またそれが嫌ならノルマンディーに残れと言われても、すぐに決心できようはずもなかった。
夫人の前だけ食事が減らない。
給仕のものが次の皿を出せずに困惑している。
するとル・ルーが隣に座るアンドレに何やら耳打ちした。
アンドレはうなずいてそっと席を外した。
オスカルがどこへ、と声をかけると、今度はアンドレがオスカルに小さく耳打ちした。
それでオスカルもさりげなく立ち上がった。

しばらくして二人はそれぞれに双子を抱いて戻ってきた。
そしてジャルジェ夫人の席に近づいた。
夫人が驚いて振り返り、双子を見つめる。
いつの間にかル・ルーがオスカルの横に来ている。
「おばあさま。ねっ、かわいいでしょう?こちらにおいでなら、いつでもこうして二人に会えるのよ。お隣の州にはわたしもいるし…。おじいさまはもうきっとテコでも動かないにきまっているのだから、こちらにいらっしゃるのが最良だと思うわ。」
オスカルは抱いていたミカエルを母の膝に座らせた。
穏やかで愛くるしい蒼い瞳が、まっすぐに夫人を見つめ、こぼれるように笑った。
夫人の目尻から一筋の涙がすーっと流れた。
柔らかい頬に夫人は自分の頬を寄せた。
小さな手がその頬に伸び髪に触れた。
夫人は、ミカエルを抱いたまま、夫の方に向き直った。
「わかりました。わたくしはここであなたが再びおいでになるのをお待ちいたします。そしてもしベルサイユに平穏が訪れましたなら、すぐにもおそばに戻りましょう。それでよろしいのでごさいますね?」
将軍の手が一瞬止まり、満足そうにうなずいた。

「父上、お年がお年でございますからな。明日のご出立は無理ではないかと拝察いたします。もはや誰も引き留めませぬゆえ、お疲れを落とされてからゆっくりご出発されるのがよろしかろう。」
オスカルが、自分では珍しく孝行心で提案したつもりらしかったが、将軍はフン、と顔を背け返事すらしなかった。
一同は笑いをかみ殺していたが、結局将軍の出発は一週間後になり、同じ日、パンティエーブル家とブラマンク家も英国に向かって出航した。











         
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ジャルジェ家一族の大移動

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