異 邦 人

 

子供たちは順調に育っていた。
無論四人そろってである。
平穏な時代ならばともかく、このご時世に、それは奇跡といってもよかった。
いや平穏なときでも、子供というものは育ちにくいものだ。
王家ですら、四番目に生まれた内親王は早世している。
そしてあの聡明だったルイ・ジョゼフも7歳で旅立った。
医学の進歩が、生まれた子供たちすべてに健康を与え保証してくれる時代は、そう簡単にはやってこないのだ。

「つけた名前がよかったのだな。神のご加護があるのだろう。」
オスカルは大層満足の表情で、絨毯の上を這いずり回る4人の子供たちを見ている。
ノエルとミカエルはともかく、フランソワとベルはそれぞれの親がそれぞれの思いをこめてつけたのだ。
まるで自分が全部名付けたかのような言葉にアンドレは笑ってしまう。
だが、オスカルによれば、フランソワはロザリーが自分の名前からとったものだから、名付け親といってもなんら問題ないらしい。
そしてベルも、なぜかこの子が一番オスカルになついているので、親権は自分にあるような気がする、というのが言い分だ。

だが、屋敷に住むものたちは知っている。
ベルがオスカルになついているように見えるのは、他の三人がそろってアンドレにべったりだからで、要するにオスカルから見て、アンドレっ子でないベルだけが自分になついていると勝手に解釈しているだけなのだ。
乳をやる役目を完璧に果たしているエメとロザリーはすっかり仲良くなり、何をするのも一緒である。
二人して乳母兼侍女の務めに嬉々として取り組んでいる。
子育ては、大先輩のばあやがいるし、アゼルマもコリンヌもいる。
また、ただ見ているだけならオスカルでもできる。
つまり子育ての人手は足りているのだ。
乳飲み子が4人もいるのに…!

毛足の長い絨毯の上を這い回り、時にぶつかり、泣いたり奇声を発したりしながら、子供たちは夢中で遊んでいる。
そしてオスカルはそのかたわらで今アンドレが持ってきたばかりの手紙に目を通していた。
手紙は2通。
パリの情勢を知らせるジョゼフィーヌからのものと、相談したいことがあるから午後から訪ねる、というバルトリ侯爵からのものだ。
まもなくバスティーユ陥落の日から一年がたつ。
パリは一月後に迫った一周年記念式典の準備に追われているらしい。
革命のより良い前進のためにはフランス人すべての団結が必要だとされ、あらゆる階級の人々が式典のために協力し奉仕しているという。
貴族も市民も僧侶も、そして踊り子も娼婦も、会場とされたマルス練兵場に石を運んでいるのだ。

−手押し車というものは、大変便利ですが、一方で大変力がいるものだと知りました。屋敷で軽々と庭仕事をしているものたちは、随分力持ちだったのですね。−

ジョゼフィーヌは、ひな壇に玉座が据えられるという式典のため、自身も労働奉仕を買って出たようだ。
「ジョゼ姉が手押し車を押す風景など、まさに革命の象徴だな。」
こうして全国民が1つの心で良きフランスをめざす。
姉からの手紙によって、革命の理想は混乱の中にも明るい兆しをもったものと理解され、それがオスカルを深く安堵させた。

一方でバルトリ侯爵からの手紙も、オスカルを暖かい気持ちにしてくれた。
この義兄からの手紙は、いつもそうだが、まずは相手の健康を気遣い、暮らしぶりを案じ、できる助力があれば遠慮無く言うよう促していて、どんぐり屋敷の後見人としての立場を遺憾なく発揮するものだった。
ただし、今回は相談事があるという文節が短く添えられていた。
ついでのように書いているが、そのための訪問というからには、手紙では書けない込み入った事情があるのだろうと推察された。

アンドレは、侯爵が午後から来邸するなら、その前に一仕事片付けてくる、と言って屋敷を出て行った。
作付けの気になる畑があるらしい。
オスカルも同行を希望したが、今日の午前の子守当番はオスカルだったから、断念せざるを得なかった。
馬に乗って出て行くアンドレの姿が心なしか嬉しげに見えて、オスカルは少なからずうらやましい。
領地関連の仕事のかなりの量を共同でするようになってはいるが、やはり主導権はアンドレが握っている。
オスカルがつわりと切迫流産のせいで、こちらに来たときから出産までまったく領地に顔を出せなかったため、領民との関係がアンドレほどに構築できていないのだ。

「おまえたちが、誰の監視の目もなく、無事に過ごせるようになるには、あと何年かかるのだろうな。」
ため息混じりの母の独り言に、ノエルがケタケタと笑った。
「おまえ、わたしにケンカを売るとはなかなか良い根性だ。ほめてやるぞ、ノエル。」
どちらかというとオスカルからケンカを売っているようで、その怖い顔が面白いのか、ノエルが一層笑う。
つられて他の子供たちまで笑い出した。
離乳食を持って部屋に入ってきたロザリーが、機嫌の良い子供たちを見て顔をほころばせた。
「オスカルさまも、随分子守りがお上手になられて…。」
そう言おうとして、オスカルを見たロザリーは、その眉が険しく寄せられているのに気づき、あわてて口をつぐんだ。
そういえばさっきアンドレが出て行った。
ベルサイユではあれほど仕事に専念していたオスカルが、どんな気持ちで彼を見送ったかを想像し、ロザリーは軽率な言葉をかけようとした自分を反省した。

授乳をしなかったせいか、オスカルは出産後もまったく体型が変わっていない。
ロザリー自身、もしオスカルが双子を連れてベルサイユに戻ってきても、決してオスカルが産んだとは信じなかっただろう。
実際に目の前で見ているからこそ信じられる話である。
それほどオスカルには出産後の変化は見られなかった。
鋭いまなざしも、真面目な性格も、真摯な生き方も…。
何一つ変わっていない。
女には二通りあるのだとつくづく思う。
母になって変わる人と、変わらない人と…。

アントワネットは変わる人だった。
母になってから、生活態度が一変した。
ハプスブルグ帝国の末の皇女として生まれた彼女は、常に庇護される存在であり、自分が身をもって守ってやるべき存在を持たなかった。
国母としての意識を持つことができれば、あれほど退屈することはなかっただろうけれど、そういう、いわば帝王学のようなものがまだ身につく前に、フランス王太子妃となり、王妃となってしまった。
不幸な巡り合わせとしか言いようがない。
長く子供に恵まれなかったがゆえの浪費三昧だったとしたら、あまりに気の毒だった。
しかも、そのときのツケが回ってきたかのような現状は、アントワネットの善良な人柄を知るロザリーには、どうにもならないもどかしさを感じさせる。
もしもっと早くアントワネットが母になっていたら、ポリニャック夫人などに籠絡されることも、賭博に熱を上げることもなかっただろう。
良き母として、そして良き王妃として、今もベルサイユの花として幸せな日々を送っていたのかもしれない。
荒れ果てたチュイルリー宮で、衛兵の監視を受けながら囚人のような日を送るアントワネットに、ロザリーは思いを馳せた。

そして変わらない人がオスカルである。
たぶん変わる必要がないから、変わっていないのだ。
目下のものをいたわる気持ちは、もともと誰よりも強い人だった。
見ず知らずの自分を引き取りかわいがり教育を授けてくれた一連のことからみても、オスカルのそういう性質は明らかだ。
荒くれ者の衛兵隊も、見事に手なずけた。
日頃決してオスカルを褒めないベルナールも、その一点だけは賞賛していた。
どんな男が来ても治まらなかったという無法地帯だった隊をまとめ、バスティーユ陥落の殊勲者に育て上げたのだ。
愛情のなせる業に他ならない。
そういうオスカルが我が子を産んでも、なにほどに変わる必要があるだろう。
もちろん、ロザリーや衛兵隊員たちと我が子が同じもののわけはないが、もともと愛情を込めて育てることに長けた人なのだ。

「ベルナールから帰ってこいという手紙は来ないのか?」
オスカルは思い出したように、ロザリーに声をかけた。
「一週間ほど前に手紙が来ましたけれど、まだしばらくこちらにいる方がいいとありました。パリは記念式典の準備で大変だそうで…。」
ロザリーは、実に器用に4人の赤子に離乳食をとらせている。
「ああ、そうか。ベルナールも大忙しというわけだな。」
少年のように頬を紅潮させ式典成功を市民に呼びかけているであろう彼の姿が目に浮かぶ。
きっと自宅には寝に帰るだけの日々だろう。
「たまに時間がとれると家には帰らず、ラソンヌ先生のお宅でお世話になっているようです。」
「ほお…。確かアランもそうだと以前クリスの手紙にあったが…。」
「アランは、お母さまも妹さんもいるのですから結構ですが、ベルナールがどうして寄せていただいているのか不思議です。」

アランとベルナールの複雑な男の心情は、決してオスカルとロザリーには理解されまい。
革命の理想を共有しているだけでなく、愛するものを安全な場所に置いて安心を得つつ、独りであることを骨身にしみているもの同志としての相通ずるものが2人にはあるのだ。
疲れ果てた身体をひきずって、待つ人の一人もいない家に誰が帰りたいか。
2人で酒盛りするとき恨み言の対象になるのが、アンドレであることも一緒だった。
アランにとっては片恋の完敗の対象として、ベルナールにとっては妻子とともに幸せに暮らしている上に、自分の妻子までとりあげてしまっているヤツとして、僻まずにはいられないらしい。
オスカルはアランとベルナールがうらやましい。
アランとベルナールは、アンドレがうらやましい。
そして、アンドレは…。

アンドレは領地の農民と天候不順について真剣に討議していた。
不作は収入減につながり、それが領主への不満になる。
どこから火種がとんできて猛火に覆われないとも限らない。
領民の訴えは、できる限り早く、そしてとことんまで聞かねばならない。
解決できるかどうかではなく、聞くことが大事なのだ。
うんうん、とうなずきながら、だが、彼の頭には、午後から訪ねてくるという侯爵のことが、ずっとひっかかっていた。
いいとか悪いとかの類ではなく、何か重大なことのような気がしてならないのだ。
農民が納得するまで丁寧に話を聞いた後、アンドレは何かに追われるように馬をせかしてどんぐり屋敷に戻った。













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