悲喜こもごも
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ラソンヌ邸での夕食はめずらしい人物を迎えいつになく毛色の変わったものとなった。
医師とクリスとディアンヌ、ソワソン夫人、ここまでは常の顔ぶれである。
そこにアランとベルナールが加わったのだ。
医師の家に軍人と記者が来ていることになるわけだから、自然、会話は昨今の政治情勢が中心となる、とアランは席に着いた面々を見渡してそう予想した。
クリスやソワソン夫人も最近では一家言持っていて、なかなか鋭い意見を言うのだ。
だが、日頃うるさいくらい饒舌に政治談義にふけるベルナールの顔色が青く、一言も発しない。
そして、そんな彼を思いやってか、誰も乾杯の音頭をとろうとしないのだ。
待ちきれずアランは食事に手をつけ始めたが、明らかに異様な雰囲気にとまどい、ストレートに質問した。
「なんだか随分静かだが、何かあったのか?」
彼もまたベルナール同様仕事に忙殺されていて、母や妹と顔を合わせるのは年明け以来初めてだった。
というか、降誕祭だけはかろうじて自宅に帰り家族水入らずで過ごしたが、それからというもの、屋敷にもラソンヌ邸にも顔を出さず、軍本部に詰めたままだったのだ。
「ベルナールが来てるとは思わなかったぜ。どうせ忙しいんだろう。こんなとこに来る暇があったら家に帰れよ。どうせ子どもの顔だってそんなに見てないんだろうし。奥さん、待ってるんじゃないか?」
からかい半分ではあるが、素直な気持ちだった。
ベルナールの奥さんは、アランから見ても良妻だ。
ディアンヌが、まずい、とアランの袖をひこうとしたが遅かった。
「家には誰もいないよ。」
ぞっとするほど寂しげにベルナールがつぶやいた。
「奥さん、どっか行ってるのか?」
ディアンヌの手をうるさそうにアランが払いのけた。
「ノルマンディーだとさ。」
「ノルマンディー?また随分遠出してるんだな。何しに行ったんだ?」
「乳をやるんだそうだ。」
「なんだって?」
「乳母になるんだそうだ。」
「乳母〜?誰の?」
「オスカルとアンドレの子どもが,乳が足りないって泣くらしい。だから、ロザリーが…。」
アランは食べかけていたパンを喉に詰まらせた。
ゲホゲホとむせ、ディアンヌが背中をさすり、ソワソン夫人が水を渡してやった。
「う、うまれたのか?」
目がこれ以上ないほど開かれている。
「あら、そういえばお兄さまには話してませんでしたわね。男女の双子ですってよ。」
ディアンヌが歌うように答えた。
「公現祭の日にお生まれだとか…。神のご加護があふれるようにお二人に注がれたのね。」
ソワソン夫人が厳粛に十字を切った。
「ベルナールもアンドレもめでたく父親となったのだ。アラン、おまえもそろそろ身を固めたらどうかね?」
ラソンヌ医師が親切顔ですすめた。
「い、いや…、おれはまだまだ…。今はそれどころじゃないんで…。」
アランがいかにも困惑している。
「先生、女性にも選ぶ権利はあるんですから、こんなむさ苦しいのと一緒になってくれる奇特な人はいやしませんよ。」
母ならではの痛烈な一言にアランはうつむいた。
そうか、無事生まれたのか。
あの人が母親に、そしてあいつが父親になったのか…。
どうしても想像できないが、事実なのだろう。
元気で暮らしているのだ。
子どもに囲まれて…。
それでロザリーが乳母か…。
では一層賑やかだな。
切なさとうれしさと懐かしさと哀しさが一度に押し寄せてきた。
そんな気持ちをもてあましつつ顔を上げると、ベルナールの意気消沈した顔が目の前にあった。
「元気出せよ。」
とりあえず自分のことは置いて、励ましてみる。
だがベルナールは黙ったままだ。
相当重症らしい。
「パリよりはずっと安全じゃねえか?」
相変わらずの食糧不足でもめ事が絶えないパリよりは、きっと暮らしやすいに違いない。
半ば本気の発言だ。
ベルナールがすっと頭を起こした。
「そう…か?」
「ああ、そうさ。あんたが帰れないならなおのこと用心が悪いんだから。かえってよかったじゃないか。ノルマンディーはまだ、随分落ち着いているんだろう?」
クリスに話をふってみた。
「ええ、あちらはオスカルさまのお姉さまの領地があって、治安はいいそうよ。」
「そら見ろ。」
アランはベルナールに笑って見せた。
しかしいかにベルナールをなぐさめるためとはいえ、結局すぐれた領主のいる土地がうまく治まっているという事実にアランは皮肉を感じざるを得ない。
全員が平等だけれども争いが絶えない世界と、領主と領民がいて階級があるけれども平和な世界があるとしたら、人々はどちらに住みたいと思うのだろうか。
ふと自分のしていることに懐疑的になってしまう。
そして慌てて否定する。
いや、今、パリが混乱しているのは、真の平等が成立していないからだ。
過渡期ゆえに一層混乱しているだけで、いずれ人権宣言の概念があまねく世界に行き渡れば、きっと人々はもっと幸福な暮らしを保証されるはずだ。
でなければ、バスティーユ陥落の意味がないではないか。
クリスがロザリーの置き手紙をベルナールから取り上げて皆の前に披露した。
昔気質のソワソン夫人は簡素な内容に絶句している。
「こんな紙切れ一枚で旦那様を置いて行くなんて…。まあまあロザリーさんたらかわいい顔をして、なかなか肝っ玉が座っていること…!」
「あら、夫は夫、妻は妻。必要とされる場所に行ってこそ、人生の価値はあるのですわ、おかあさま。」
ディアンヌが経験談をふりかざす。
以前には考えられないほどたくましくなった娘にソワソン夫人はそんなものかと首を振る。
「なんだか、女に振り回されて、哀れだなあ。おまえもアンドレも…。」
先ほど医師に結婚を勧められたアランはここぞとばかりに反撃に出た。
「だがな、それでもロザリーやフランソワが無事で、元気にやってるんなら、おれは…。」
ベルナールが勢いよく言い始めて、やがて言葉に詰まった。
理性と感情は誰だって一致するものではない。
頭ではわかっていても、妻子のいない家を想像すると、心の中を冷たい風が吹き抜ける。
「そうですよ。それが男の甲斐性というものです。ベルナールさん。あなたの肩にフランスがかかってるんですから。」
ソワソン夫人が叱咤激励した。
いつもならこれで浮上するはずのベルナールは、まだ沈んでいる。
「みなさん、男や女やと言わず、どっちも人間に変わりはないのですから、あまり落ち込まず、また気負わず、日々の仕事に励みましょう。さあ、とりあえず今夜のささやかな晩餐を堪能いたしましょうよ。」
クリスの一言で、皆は目の前のごちそうにほとんど手をつけていなかったことを思い出し、ナイフとフォークを握り直した。
「よお、今夜はおれがつきあってやるから、飲み明かそうぜ。」
アランの誘いにベルナールはようやく気を取り直す。
「そうだな。ここならつぶれても介抱してくれる医師がいるんだからな。よし!アラン、つきあえ!!」
威勢のいいベルナールの言葉に皆が笑った。
そして翌朝、クリスとディアンヌが食堂をのぞくと、飲みつぶれた二人が、それでもグラスを握りしめたまま、床に転がっていた。
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