悲喜こもごも
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国王をパリに迎え、国民議会を発足させ、国民衛兵隊も結成し…、と新体制に移行しようとするフランス国家は、大勢の人間を未曾有の混乱と喧噪のるつぼに引きずり込みながら、生みの苦しみに耐えていた。
コミューンの一員として、また記者として、新国家建設に関わりつつ、それを市民に知らせる役目も負ったベルナールの日々は、並大抵のものではなく、妻が生みの苦しみに襲われているときも、その枕辺に付き添うことはままならなかった。
それどころか初めての我が子の顔すらまともに見に帰れない毎日だった。
けれども、そのような彼の支えは、いつもニコニコと笑顔で迎え、そして送り出してくれる妻の存在だということは、言葉にしないながらも夫婦共通の認識であると彼は信じ、疑ったことはなかった。
したがって久しぶりに帰宅した彼が、テーブルの上に置かれた妻からの手紙を見たときも、例によってラソンヌ邸にかり出されたためだろうと考え、すぐには読まなかった。
夫が大きな政治に関わり、妻が日々弱者たる病人の救済のため医師のもとに通うことは、彼にとってなんらの不都合もなく、むしろ夫婦そろって人のため、ひいては社会のために貢献しているのだという自負心すら与えてくれていたのだ。
だが、いつもなら暗くなる頃には帰るはずの妻子が一向戻ってこないので、さすがに不審に思い、手紙を開いた。
子どもをつれてノルマンディーに行く、とあった。
しばらく、とあるだけでいつまでとも書かれていない。
理由はオスカルさまのお乳が足りないから、となっていた。
意味不明だった。
ベルナールは何度もオスカルに会っているが、大概は軍服姿の彼女しか知らない。
だから胸が大きいか小さいかを判断する根拠を持ってはいない。
ただあのような軍服を着るならば、胸は小さい方が都合が良かっただろうことは想像がつく。
だが、それにしても、なぜオスカルの胸が小さいとロザリーが助けに行かねばならないのだろう。
わざわざノルマンディーまで…。
ベルナールはオスカルさまのお乳、というのが母乳だとはまったく想定していない。
彼女はあくまでも彼にとって妻の初恋の人で、恋敵で、今もって妻が最も慕う人物という意味では、なかなか認めがたいヤツなのだ。
そんな人間が、頭では女だと知っていても、結婚したり妊娠したり、ましてや出産して母乳が足りないなどという生活を送っているなど、絶対に思いつかなかった。
文末に、困ったことがあればラソンヌ先生のところのクリスとディアンヌに相談してください、と添えられていた。
彼は早速ラソンヌ邸に駆けつけた。
手のひらには置き手紙を握りしめている。
クリスとディアンヌは一日の診察を終え、片付けにかかっているところだった。
息せき切って、ハアハアと肩で息をしているベルナールを見て二人ともそろって手をとめた。
「ロ…、ロザリーとフランソワが…、ど、どうしてノルマンディーくんだりに…行、行かねばならないんだ?」
かすれた声でようやく質問した。
クリスとディアンヌが目を見合わせた。
「ひょっとして、その手紙、今読んだばかりなの?」
とりあえず年長者のクリスが二人の率直な疑問を口にした。
答えを期待していたベルナールは思わぬ反問にびっくりして、手紙の日付を確認した。
あんまり度を失っていて、日にちを確認していなかった。
それは一週間前に書かれたものだった。
「あきれた…。」
クリスがため息をついた。
「ロザリーさんの言ってたとおりね。」
ディアンヌも賛同する。
「忙しかったのだ。半月ほど帰れなかった。」
「まあ…!半月…!!」
「あのね、ベルナール。オスカルさまがノルマンディーで双子を出産なさったの。それで母乳が足りないから適当な乳母がいないか、と問い合わせがあって、ロザリーさんなら適任だと思って声をかけたら、二つ返事で引き受けてくれたのよ。」
クリスが丁寧に説明した。
けれどもベルナールには全く理解できなかった。
「オスカルが出産?」
「ええ、そうよ。公現祭の日に男女の双子ですって。素敵ねえ…。」
ディアンヌはわがことのように嬉しそうだ。
「どうして…?」
ベルナールはきょとんとしている。
「どうしてって、オスカルさまだって女性なんですから…。」
「えーっ!!!」
大声を上げたきり、ベルナールは手近にあった椅子に座り込んでしまった。
ロザリーに子どもができたと告げられ、心底嬉しかった。
これで自分も父親だ、と思うと何となく一人前になったようで面はゆくもあり誇らしくもあった。
だが時を同じくして人権宣言の草案作りに忙殺され、ゆっくり話す暇がなかった。
ロザリーも新たに知り合ったクリスやディアンヌに頼りにされて、「動いている方が体調もいい」といって外出がちになり、二人が会話をする時間はめっきり減ってしまっていた。
しかし、遠い記憶をたどると、オスカルさま、という言葉をロザリーが何度も口にしていた気はする。
子どもがどうとか言っていたのもかすかだが覚えている。
だがてっきり自分たちの子どもの話だと思っていた。
オスカルとアンドレが結婚したらしい、という話はさすがに驚いたので記憶の片隅に残っていたが、あとは家でもほとんど仕事のことを考えていて、すっかり抜け落ちてしまっていた。
いきなりこんな形で自分に降りかかってこようとは…。
あのバスティーユ陥落の日、オスカルとアンドレはセーヌを下りノルマンディーにおもむき、そこで新しい命を育み産んだのだ、ということを、ベルナールはクリスとディアンヌの説明で、やっと理解した。
そしてロザリーが乳母として呼ばれたのだということも…。
ベルナールは天を仰いだ。
衝撃の大きさに言葉もない。
そんな彼に、クリスとディアンヌもかける言葉が見つからない。
「あの、よかったらお酒でも持ってきましょうか…。」
ディアンヌがようやく思いついたように言った。
「ああ、そうね。そういえば今夜はアランがめずらしくこちらに寄ると言っていたわね。あなたも久しぶりでしょう?よかったら一緒にこちらでお夕食を取って行きなさいよ。」
クリスが優しく誘った。
うつろな目をしたベルナールは、何も答えない。
だが帰る気もなさそうなので、クリスはソワソン夫人に今夜の会食のメンバーが一人増えたと伝えに行くことを、ディアンヌに目配せで合図した。
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