異 邦 人
バルトリ侯爵は、長い話になるので、と前置きし、しばらく誰も室内に来ないよう使用人たちに命じた。
そして、オスカルとアンドレには、今から話すことは決して他には漏らさないでほしいと念を押した。
現時点で、ことのあらましを知っているのは自分とクロティルドの二人だけであり、ニコーラとニコレットにも詳細は告げていない、とのことだった。
侯爵の真剣な顔にオスカルとアンドレは居住まいを正した。
以前、一度だけ話題にしたナポリの女性のことだという。
アントワネット付き女官であったが、やがてフランスからナポリに居を移した女性、実は鹿の園で生まれたのではないか、と推測される女性である。
彼女の名前は、アンリエット・ド・ブリエ。
ナポリではブリエ男爵夫人と呼ばれていた。
「最初に宮廷で会ったとき、彼女は鹿の園で生まれたことは言わなかった。アントワネットさまのおそばに仕えていたとだけ言ったのだ。当然といえば当然だが…ね。」
おそらく彼女とて隠しておきたいことだったのだろう。
国王の庶子であるという出生にも関わらず、彼女は女官として生きることを決意していたのだから。
そんな彼女が、心をこめて尽くしていた王妃の側を離れたのは、不測の事態が起きたためだった。
あろうことか、王妃の兄、神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世の子供を身ごもったのである。
「まさか…!!」
オスカルは絶句した。
そしてあわてて記憶の糸をたぐる。
ヨーゼフ2世の来仏は1777年である。
マリア・テレジア女帝が、子宝に恵まれぬ末娘を案じて派遣したのが彼だった。
義兄のアドバイスが良かったのだろう。
国王夫妻はまもなく第一子の懐妊という慶事を迎えた。
しかし皮肉なことに、このときヨーゼフ2世自身は独身だった。
彼は若いときに迎えた妃との幸せな結婚生活を、妻の出産時の死という最悪の結末で終えた。
胎児も産声を上げるまもなく母の後を追った。
その後、継嗣を望む母帝の強い要請で再婚したのだが、こちらもまた数年もせぬうちに病死していた。
以後、彼は生涯妃を迎えず、従って彼の後継は弟であるトスカナ大公になっていた。
そんなヨーゼフ2世が、ベルサイユ滞在時に身の回りの世話を担当したアンリエットを懐妊させたのである
兄を信奉するアントワネットは、この懐妊をアンリエットが誘惑した結果であると断じた。
厳格な母のもとに生まれた自分たち兄妹である。
庶子を設けるなど考えられない。
アンリエットが鹿の園で生まれたことも、王妃の判断に大きく影響した。
鹿の園は健全なハプスブルグ宮廷では考えられないいかがわしい場所であり、そこに住まい、王の寵愛を受けた女性は、言うまでもなくそういう種類の女性であり、そこに生まれ育った彼女もまたそうだとの思い込みがあったのだ。
それまで真心こめて仕えてきたアンリエットの功績は全く考慮されなかった。
皇帝を惑わせた女として、アンリエットは誰にも知られずフランスを去り、ナポリに行くよう命じられた。
ナポリ王妃はアントワネットの姉である。
自分で始末のつけられないアントワネットが、信頼する姉にやっかいなものを押しつけた格好である。
もちろんアンリエットの妊娠は極秘とされた。
おそらくルイ16世すら知らないはずである。
失意のアンリエットは、しかしナポリ王妃によって救われた。
国王に変わって実質的に国を支配するナポリ王妃は、アントワネットと違い、兄といえども男であるという、正しく常識的な認識の持ち主であり、このような結果が生じた場合、ほとんどは身分の高い男の遊び心が原因であると知っていた。
したがって兄の子を宿したアンリエットを暖かく迎え入れた。
男爵夫人の称号を授け、瀟洒な邸宅を用意してくれた。
こうして目の届くところに置いておくのは、彼女の深謀遠慮ではあったが、かといって冷たい措置というわけではなく、アンリエットが男児を出産すると、養育費として所領も与えた。
「アントワネットさまはお若い頃から潔癖で、デュ・バリー夫人との対立もまさにそういうご気質のたまものだった。かわいがっていた女官だけにかわいさ余って憎さ百倍ということになったのだろう。」
オスカルは10数年を経てあきらかになった事実に胸を痛めた。
「男児が生まれたのですね?」
アンドレがさりげなく確認した。
侯爵がうなずいた。
アンドレはオスカルとは全然別のことを考えていた。
その子供は、紛れもなくヨーゼフ2世の血を引き、さらには母を通してルイ15世の血も受けているのである。
ハプスブルグとブルボンの2つの血。
ヨーロッパで最も権威ある王朝の血を引く男児が、イタリアの小国ナポリで、男爵夫人の子供として育っているというのだ。
「今年の1月の末、ブリエ男爵夫人が病に倒れた。わたしはたまたまナポリを訪れていて、その知らせを聞き、見舞いに行った。」
思いやり深い侯爵の資質がこんなところにも表れている。
病床のブリエ夫人は、自身の寿命の長くはないことを察知して、すべてを息子に話すことを決心したらしい。
そしてその話をするにあたって、侯爵にどうか立ち会ってもらえないか、と懇願したというのである。
もし自分に何かあったら、この子の将来はどうなるのだろう。
まだ12歳である。
ひとりで所領を統治することも、社交界へ出て行くこともかなわない。
彼の運命はナポリ王妃の胸三寸なのだ。
どうかこの子を父のいるウィーンに連れて行き、父子の対面をさせてやってほしい。
母と別れたあとにこの子が頼れるのは、父である神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世ただひとりである。
結局、この言葉は夫人の遺言となってしまった。
そして、侯爵がナポリ王妃に少年のウィーン訪問を申請しようとした矢先、ヨーゼフ2世崩御の報せがナポリに届いたのである。
夫人の遺言はかなわなかった。
少年は母を失い、そして一度も相見ることなく父を失った。
「父上がおられないならば、ウイーンに行く意味がない。そして母上がおられないなら、ナポリにいる意味もない。」
少年は、母の故郷、フランスに連れて行ってほしい、とバルトリ侯爵の目をまっすぐに見つめて言った。
「では、その少年は今…。」
オスカルの顔が凍り付いた。
「お察しの通り、わたしの屋敷にいる。」
侯爵は静かに答えた。
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