面会日の翌日はあいにくの雨だった。
「昨日でなくてよかった。足下が悪いと、高齢の家族はどうしても面会に来にくいからな」
晴天のもと、大勢の家族が来た昨日は、オスカルもディアンヌと会話をかわし、楽しい時間を過ごした。
兵士の母親の顔を見ると、なるほどよく似ていると思われるものが多く、それがほほえましくもあった。
彼らの大半は独身である。
衛兵隊は基本的に官舎住まいであるから、それは当然といえば当然だった。
官舎に入ることで、衣食住が最低限保証されるわけで、貧困層の出身が多いのもそれが理由だった。
したがって面会に来るのは親兄弟が中心だ。
妻子という場合は少ない。
たまに若い女性が来ているのは恋人だろう。
だが結婚すれば隊をやめることになり、やめれば食べていけない。
彼らのもっとも葛藤するところだ。
ただ、最近は軍籍のまま結婚し、妻と別居するものも出てきているらしい。
年齢が高くなって兵士としてつとまらなくなるギリギリまでつとめ、俸給をもらって家族を養うのだ。
「軍隊なんてのは体力仕事だ。動けなくなれば無用の長物。使い捨てというところだな」
アンドレはめずらしくシニカルに突き放した。
「おえらい方々はそろってご高齢だがな」
ブイエ将軍はじめ、家柄で高位についている面々を思い浮かべ、オスカルも苦々しさを隠せない。
「おれもここでは年長者だ」
「ではわたしもだ」
そう言ってから、一兵卒と士官であることに気づいた。
家柄で高位についているのはオスカルとて同じなのだ。
「そろそろ除隊したいか?」
さりげなくアンドレにさぐりを入れてみた。
「おまえが辞めるというなら今すぐにでも辞めるさ」
うってかわって明るい口調だ。
ということはオスカルがいる限り辞めないということだ。
少し安心する。
だが、アンドレはいつまで軍隊にいられるのだろう。
第一線に立たされる兵士という役目を、あとどれほど続けさせるつもりなのか。
馬に乗って行軍し、指示を出すだけなら、それこそジャルジェ将軍やブイエ将軍のように生涯軍籍でいることができる。
オスカルが望めばいつでも将軍にする、と王妃が断言したこともある。
だからオスカルには辞める理由がない。
しかし、その場合アンドレはどうなるのだ。
オスカルが辞めない限り辞めないというアンドレは…。
銃剣をかつぎ、肉体労働ばかりの兵士がつとまるのは血気盛んな若者だけだ。
いずれアンドレの体力が衰えてきたとき、平民の彼を士官にして馬に乗せるのか。
いや、それは難しい。
よほどの軍功があれば別だが、平時において一人だけ抜擢することはかえって彼の立場を悪くする。
ジャルジェ将軍の命令で、突然軍隊に放り込まれたアンドレ。
10代で入隊するものが多い中で、随分遅い入隊となった彼の苦労がどれほどのものだったか、今さらながら胸が痛い。
それでも…。
「わたしは軍隊でしか生きていけない人間だ」
オスカルはひとりごとのように小さくつぶやいた。
斜め向かいに座って書類にペンを走らせているアンドレは、あえてこのつぶやきが聞こえない振りをした。
自分自身、いつまで兵士がつとまるのか定かではない。
年齢のこともある。
視力の問題もある。
隊長付きということで、様々に特権を与えられ、宿舎住まいも免除されている。
今でこそなくなったが、はじめのうちは、ひいきだ、ずるいとさんざん陰口をたたかれ嫌がらせも受けた。
それをただ努力で補ってきたのだ。
もし適当な時期がきて除隊できれば…。
だがオスカルを置いてどうして自分だけが辞められるだろう。
宮殿に向かうオスカルを、屋敷に残って見送るなど考えられない。
どれほど老兵となっても、オスカルが残る限り、自分も除隊を申し出るわけにはいかないのだ。
そしてオスカルが軍隊でしか生きていけないことは、アンドレが一番よく知っていた。
「そろそろ警備の交代の時間だ」
アンドレは置き時計を指さした。
オスカルが椅子から立ち上がり、アンドレもそのあとに続いた。
扉を開けると、ちょうどダグー大佐も副官室から出てきたところだった。
「ご苦労様です」
大佐が慇懃に頭を下げた。
アンドレは大佐の一歩後ろに下がった。
オスカル、ダグー大佐、アンドレの順に縦に並んで廊下を進んだ。
「ダグー大佐、今いる最高齢の兵士はいくつだ?」
いきなりの質問に驚いた様子で大佐は口ごもった。
そしてちらりとアンドレを振り返った。
ひょっとしてアンドレが最年長なのか?
オスカルは立ち止まった。
「たしか…、38歳のものがおりましたが」
アンドレではない。
「そうか。その兵士は独身か?」
「いえ、既婚です。去年結婚しました。現場ではきついだろうということで、事務方に配属させています」
「なるほど…」
再びオスカルは歩き始めた。
そういう残り方もあるのだ。
ダグー大佐の配慮だろう。
「さすがに40歳までには仕事を紹介してやらねばと思っているところです」
大佐は兵士の再就職の世話までしていたのだ。
兵士が大佐の言うことを聞くはずだ。
オスカルは感心した。
「この分だとダグー大佐は結婚の世話もしてくれそうだな」
ニヤリと笑うオスカルに大佐は真面目な顔で応じた。
「そうですな。まとめた縁談は片手では足りません」
「ほう…!立派なものだ」
「アンドレ・グランディエにも探しましょうか?」
ほめられて気をよくした大佐は満面の笑みを浮かべた。
再びオスカルの足が止まった。
「アンドレ、どうだ?大佐がこう仰せだぞ。頼んでみるか?」
いたくトゲのある言い方に大佐が目をパチクリさせている。
「いや…、おれはまだまだ…。結構です…。どうぞお捨て置き下さい」
アンドレは深々と頭を下げた。
どうして話がそこに行くのかと冷や汗が流れる。
それでなくとも屋敷では祖母が早く結婚しろとうるさくてかなわないのだ。
職場でまで縁談を出されてはたまったものではない。
「そうですな。アンドレの結婚は隊長のご結婚が決まらない限り難しそうですからな」
ダグー大佐は目を細めてひとりうなずいた。
今度は二人そろって冷や汗だ。
口が裂けても、実は結婚しているとは言えなかった。
「今日の当番は何班だったかな」
オスカルは話題を変えた。
「1班です。昨日の朝に夜勤明けして、一日休憩し、またこれから入ります。少し長く休めたはずですので、大丈夫だと思いますが」
「そうか。1班は比較的若いからな。大丈夫だろう」
アランが班長で束ねる1班は20代前半のものばかりだ。
アランだけがその中ではいささか年かさだが、それでも十分に若い。
広場に出ると、雨の中、すでに勤務の終わった2班と、これから入る1班が整列していた。
警備は衛兵隊だけでなく他の隊も入っているが、手薄にはできない。
すぐに交代しなければならなかった。
オスカルは簡単な訓辞を述べると直ちに配備につくよう命じた。
1班全員が水たまりを蹴散らすように元気に走っていく。
「確かに若いな」
アンドレの口からポロリと本音が漏れた。
「何を言う、君なんかわたしに比べればまだまだだ。若い者をうらやましがるのは白髪の一本でも生えてからだよ」
ダグー大佐はぬれてしまった自慢の口ひげをしきりに引っ張ってのばしていた。
「たしかに大佐の言うとおりだ。アンドレ、せいぜい白髪が生えないように髪の手入れをするんだな」
オスカルは高らかに笑った。
「わたしは議場の様子を見に行ってきますので、これで失礼します」
ダグー大佐はその場を去った。
フランスがこの先どうなるのか。
自分がどうなるのか。
そしてアンドレがどうなるのか。
そんなことは誰にもわからない。
まるで今日の空模様だ。
暗くて見通しが悪い。
こんな日に遠くを見ようとするのは時間の無駄だ。
くよくよしても始まらない。
目の前にやることが山積しているのだから。
オスカルは豪華な金髪を雨に濡らしながら再び司令官室へと歩き始めた。
その背後をアンドレはいつものように影のごとく付き従う。
太陽は厚い雨雲に隠れて日の光はささない。
それでもオスカルにはアンドレという影があるのだ。
晴れていても降っていても影は影だった。
※こちらはは第一部の「面会日」と「ばあや編」の間の挿話です。
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