すべてのものが眠りについた深夜。
じめじめとした塔内の階段は真っ暗で、何も見えない。
その中を人影が静かに上がっていく。
先頭は女性。
そして少年。
その背後に長身の二人。
タンプル塔での手引きはすべてシモン夫婦、すなわちフランソワ・アルマンとディアンヌがすることになっていた。
王妃処刑ののち、いつ役目を解かれるかわからない状況ではあったが、とりあえずはまだタンプル塔で起居し、ルイ・シャルルの世話役をつとめている。
チャンスは今しかない。
その緊張感に、小さなろうそく持ったディアンヌの手が震えていた。
この明かりだけが頼りの暗闇で、炎が小刻みに揺れ、一層不安をあおるようだ。
だが、ルイ・ジョゼフは暗い階段をしっかりとした足取りで上がっていった。
後方からオスカルとアンドレが付いてきているのだ。
何も恐れることはなかった。
むしろずっと恐ろしい思いをしているのはアンドレで、オスカルは当初の反対もどこへやら、事ここに至っては完全に腹を固めたのだろう、すっかり落ち着いているのが、そっと背中に添えられる手のひらから伝わってきた。
いくつかの曲がり角を過ぎ、古い木製の扉の前で、ディアンヌが止まった。
小さく一回ノックすると、ギイっといやな音をたてて扉が中から開いて、男が顔を出した。
フランソワ・アルマンだ。
随分と油をさして置いたのだが、やはり無音でというわけにはいかなかった。
心臓がわしづかみされたようで、ディアンヌは思わずろうそくの火を吹き消した。
そしてしばらく様子を窺う。
どこからも音は聞こえてこない。
どうやら牢番に気づかれずにすんだらしい。
四人は急いで室内にすべりこんだ。
フランソワが燭台をひとつ持って来た。
これで互いの顔くらいは見える。
オスカルがアンドレに目配せすると、アンドレはつかつかと寝台に近づき、眠っているルイ・シャルルを抱き上げた。
今日一日、フランソワがこの部屋でさんざん鬼ごっこをして遊ばせたから、ちょっとやそっとでは起きないはずだ。
おそらく普通の八歳児に比べれば随分小柄なルイ・シャルルは軽々と抱かれ、オスカルが小さなからだがすっぽり隠れるように、アンドレの背後からマントをかけた。
そして抜け殻になった寝台には、ルイ・ジョゼフが横たわった。
「行って下さい」
ルイ・ジョゼフが小さく、けれどしっかりと言った。
オスカルはその額に唇を寄せ、それから耳元でささやいた。
「いずれ、きっと!」
ルイ・ジョゼフがにっこりと微笑んだ。
「隊長、急いで下さい!」
フランソワ・アルマンが扉の前で無声音で叫ぶ。
オスカルは踵を返し、廊下に出た。
ディアンヌが燭台から再び火を取り直したろうそくを持って、アンドレ、オスカルの順で来た道を戻る。
塔の出口でディアンヌとは別れた。
「ルイ・ジョゼフを頼む」
オスカルの言葉にディアンヌはこっくりとうなずいた。
もう明かりはない。
下見で確認した道を勘を頼りに進み、表通りに出た。
人通りはない。
すぐに裏通りへ回る。
古ぼけた店先に馬車がとめられている。
乗っているのはラソンヌ医師だ。
オスカルは御者台に飛び乗り、アンドレは医師が開けてくれた扉から馬車の中に入る。
ルイ・シャルルはよく眠っていた。
オスカルは馬に鞭をあて、すぐに走り出させた。
もしも咎められれば、子どもが急病で医師を呼んだが、とりあえず医師のところへ連れて行くことにした、と説明するつもりだった。
だが、運良く誰にも会わずに医師邸にたどりついた。
馬車の音に気づいたクリスがソワソン夫人とともに迎え入れてくれた。
アンドレは無言のまま、奥へ進み、2階へ上がるとすでに開け放たれた扉を抜けてルイ・ジョゼフの部屋へ入った。
続いて入ってきたオスカルがアンドレの黒いマントを脱がせた。
小さな寝息が聞こえてきた。
二人は思わず顔を合わせた。
ルイ・シャルルは寝台にそっと降ろされた。
昨夜までルイ・ジョゼフが使っていた場所だ。
オスカルがその枕元の椅子に座る。
どうか、ルイ・シャルルが自分を覚えていてくれますように。
そして怖がらずにここで過ごしてくれますように。
オスカルはただ祈った。
アンドレは一度オスカルの手をぎゅっと握ると、すぐに階下におりた。
そしてラソンヌ医師とクリス、ソワソン夫人にすべてが計画通りに進んだことを報告した。
誰からともなく大きなため息が漏れた。
とにかく第一章は無事に終わったのだ。
決して気を緩めることはできないが、ここでつまずけば全ては終わりだったことを思えば、恩寵に感謝してもしきれない。
「ありがとうございました。どうか休んでください」
アンドレが頭を下げると、三人はそれぞれの部屋に引き上げていった。
そして最後にアンドレもオスカルの元へ戻った。