父がミルクとパンを持ってきてくれる…はずだった。
というか、ミカエルはそう思い込んでいた。
だのに、トレイを持って目の前に立っているのは朝日に豪華な金髪を惜しげもなくきらめかせている母だった。
なんで…。
ミカエルの落胆は激しく、ために日頃こういうことに鈍感な母にも察知された。
「おまえ、わたしが持ってきたのが不服か?」
ノエルそっくりの直球質問。
いや、違う、ノエルが母にそっくりなのだ。
いや、今、そんなことはどうでもいい。
「ち、違います!」
全力で否定しようとして声がひっくり返った。
そしてそれを言い直そうとして、口中にたまった唾液を一気に吸い込み、結果、恐ろしいほどむせた。
ゲホッ!!ゲホゲホ!!
驚いた母がサイドテーブルにトレイを置いてから、枕辺に座り、背中をさすってくれた。
美しい金髪がミカエルの鼻先をかすめる。
喉の奥に小さな虫がいるかのような違和感があり、それを吐き出そうとして体が勝手に反応し、いつまでたっても咳がとまらない。
だんだん息苦しくなってきた。
涙と鼻水も出てくる。
ミカエルはパニックになった。
自分のことなのに自分で制御不能に陥っている。
ゲホ、ゴホ…!
どうしたらいいのだろう。
鼻先の金髪が眼前から消えたと思ったら身体が浮き上がった。
母がミカエルを膝の上に抱いていた。
そして背中をトントンとたたいている。
「ミカエル、落ち着け。大丈夫だ」
ゴホ、ゴホ…
「あわてるな、息をとめて、それから浅く、ゆっくり息をしろ」
ゴホ、コホ…
咳の感覚が間遠になってきた。
引き込み方も浅くなっている。
コン、コン…
大きく吸うとまたむせそうで、母の言うとおり小さくそっと吸う。
フー…
まだ時々ケホっと小さくむせるがとりあえず咳が止まった。
顔はビショビショだ。
そして気づく。
母の膝の上に居ることに。
「す、すみません」
あわてて降りようとして、頭をつかまれた。
「相当具合が悪そうだな。アンドレは医者は要らんと言っていたが、ちゃんと診てもらった方がいいのではないか」
母の額が自分の額とひっついた。
「咳いたためかもしれんが、ちょっと熱いな」
ミカエルはえーっと叫びそうになってあわてて必死にこらえた。
ああ、もう、大丈夫です。医師は要りません。熱もありません!
そう叫びたかった。
だが、叫べなかった。
「おまえが咳き込むので忘れていた。食事はどうする?」
母がサイドテーブルに置いたトレイを指さした。
ミルクとパンが載っていた。
「食べられそうか?」
空腹は感じていた。
咳き込んで体力を消費したのか、パンを見ると一層空腹感が増したようだ。
コクンとうなずいた。
「そうか、それはよかった」
母はミカエルを寝台に戻すと立ち上がりサイドテーブルを引き寄せた。
「まだ咳が残っているからな、あわてて食べるなよ」
またコクンとうなずく。
想定外の展開でもう声も出ないのだ。
母が見つめる中、ミカエルはむせないよう、ゆっくりと、しかしこの緊張感から一刻も早く解放されるためできる限りさっさと食事をすませた。
母はそれを見届けると満足そうにトレイを持ち、優しくミカエルを諭した。
「くやしいだろうが、今日は剣の稽古はあきらめろ。また治れば存分にできる」
ミカエルは今度は大きく首をふって二回うなずいた。
母がその頭をくしゃっと撫でた。