庭に出るオスカルを見送り、アンドレはもう一度子ども部屋に向かった。
ミカエルは寝台の上に座って庭を眺めていた。
アンドレはまたも錯覚にとらわれる。
子どもの頃、ごくたまにオスカルが風邪を引くと、こうしてぼんやりと寝台から外を見ていた。
いかにもつまらなそうに。
そして元気なアンドレを見てくやしがるのだ。
「なぜわたしだけがこんな目にあうのだ!」
そんなオスカルを慰める時の祖母の台詞も決まっていた。
「オスカルさま、オスカルさまは賢くていらっしゃるからお風邪を召すんですよ。アンドレは馬鹿でございますからね。風邪なんてものは寄りついてこないんですよ」
大概な言われ方だったが、あまりにも当然のように言われるので、自分でもそんなものかと思っていたところが我ながらいじましい。
もちろんそんな取りなしを真に受けるオスカルではなかったから、それで機嫌がなおるわけでもなく、つまりアンドレは言われ損であった。
「ミカエル、随分咳き込んだそうだな?大丈夫か」
父親の言葉に振り向くミカエルは、当時のオスカルとは違ってくやしがったりはしない。
むしろホッとした表情を見せてくる。
「ノエルは?」
ミカエルは自分の体調を答えず、妹の様子を聞いた。
「母上と剣の稽古だ」
ホーッとため息をつく。
「おまえはしばらく休憩だ。剣の筋は良いそうだが、人間、筋の良いものが好きとは限らんからな」
ミカエルはハッとした顔でアンドレを見た。
「まして、オスカルの言う筋が良いは、その気にさせるための方便だったりするからな」
「父上…?」
「俺もその手に載せられて随分苦労したんだ」
アンドレは遠い目をして微笑んだ。
「剣がとても嫌いか?」
ミカエルはあわてて首を横に振った。
「そうか。ならいい。おれもそうだ。嫌いじゃない。でも大好きでもない」
ミカエルはまなじりが熱くなるのを感じた。
どうしてわかるんだろう。
どうして父上はぼくの気持ちと同じ事を言葉にできるんだろう。
「大好きなものというのは、そんなにたくさんあるわけじゃない。だからこそ出会えた時は幸運だし大切にしなきゃいけない。剣でも物でも人でも、みんなそうだ。ノエルは母上とよく似ている。剣が大好きだ。だが、ミカエルもそうでないといけない、ということではない。ミカエルの大好きなことはきっとほかにあるんだろう。剣はほどほどでいいんだよ」
ミカエルはこくんとうなずいた。
心がふんわりとしている。
自分が大好きなもの、それが見つかるまで、剣の稽古をしていよう、という気になってきた。
だって嫌いではないから。
間違いなくノエルのことは大好きだし、母上のことも大好きだ。
大好きな二人と一緒の時間が嫌いなわけはないのだ。
「明日には元気になっているな?」
「はい、大丈夫です」
ミカエルはしっかりと答えた。
「良い子だ」
アンドレはくしゃっとミカエルの頭をなでた。
そこにノエルが駆け込んできた。
「父上!」
「どうした?」
「おじいさまが来た!」
「えっ?誰?」
「おじいさま…!」
「バルトリ侯爵?」
「違う、おじいさまだって。母上が父上におじいさまが来たって伝えてきなさいって」
アンドレはがばっと立ち上がった。
そして廊下に出る扉ではなく、外に出るフランス窓を開け、そのまま飛び出して行った。
ノエルがハーハーと肩で息をしている。
ミカエルはびっくりして言葉も出なかったが、ようやく自分を取り戻した。
「ノエル、おじいさまって?」
「こわそうな白い毛の男の人」
「ぼくたちのおじいさまなの?」
「母上が父上って叫んでたから、そうなんだろ。とってもえらそうな人だった」
廊下で大きな声や音がし始めた。
ミカエルは耳を澄ました。
父と母の声。
そして聞いたことのない男の声。
続いて扉が閉じる音が響く。
さらにまた開く音。
パタパタとしたかわいい足音はコリンヌだ。
大勢の足音が近づいてきて、ついに子ども部屋の扉が開いた。
ジャルジェ将軍が娘夫婦と使用人夫婦を引き連れるようにして入ってきた。
「父上、ミカエルは今朝から体調が優れぬのです…!」
オスカルの制止も聞かず老将軍は枕辺に陣取った。
ミカエルは呆然と寝台に座っている。
そしてノエルがミカエルをかばうように両手を広げた。