「まったく…、われながらみっともないな。」
オスカルは消え入りそうな声でつぶやいた。
司令官室の奥に設けられた仮眠室の寝台に彼女は横たわっていた。
その顔色は、アンドレの心を凍り付かせるほど青ざめている。
「何もしゃべるな。」
アンドレがきつい口調でたしなめた。
練兵場でしゃがみこんだオスカルの様子は、尋常ではなかった。
いつもの吐き気だけではないことはひとめで明らかだった。
「アンドレ、下腹が痛い…。」
オスカルは両手で腹を押さえていた。
この際、人目は気にしていられなかった。
すぐに抱き上げ、大切に、けれども一刻を争うように本部に戻り、ここに連れてきた。
そっと寝台に下ろしたとき、自分の腕に赤黒い染みがついているのに気づいて、アンドレは全身の血の気がひいた。
「じっとしていろ!いいか、絶対に動くな!」
叫ぶと同時に医務室に走り、アランを探した。
だが、アランの姿はなかった。
こんなときにどこへ?と普段なら訝しむところだが、今はそれどころではなかった。
すぐに診察を終えたばかりのジャンの肩をつかんで廊下に引っ張り出した。
「ディアンヌの勤め先、おぼえているか?」
「な、なに?いきなり…。」
「いいから。ディアンヌの勤め先だ。一度クリスを迎えに行ってもらっただろう?」
「ああ、あの怖いお姉さん。よく覚えてるよ。」
「すぐに連れてきてくれ。オスカルが倒れた。」
「え!!」
「ここの軍医ではだめなんだ。頼む、すぐにクリスを連れて来てくれ!」
「わ、わかった。」
ジャンはもう一度医務室に戻ると、服を来ている最中のミシェルに何か耳打ちし、それから二人で外へ飛び出していった。
アンドレの心臓の音が、すれ違う人にも聞こえそうな程激しく打っていた。
オスカルが出血している。
それは月のものではない。
オスカルは月のもので腹痛を起こしたことはない。
いちいち痛みが起きていたら軍務などつとまらない。
いつだって、絶対それとはわからないほど普通にふるまっていた。
つまりふるまえるほど、通常と変わりないものだった。
月のものではない出血となれば…。
本能のような、直感だった。
できるだけ平静を装って、ダグー大佐のもとに顔を出した。
そして謹慎中の疲れが出て、オスカルが仮眠室で臥せっていることを伝えた。
「ほっとされて、お疲れが出たのだろう。わたしでさえ、気が気ではなかったのだ。隊長のご心痛は察するにあまりあるものだったに違いない。」
大佐は、隊長の謹慎中、ずっと留守を預かってきていたから、今日一日隊長が不在でも別段支障はない、ゆっくり休養されるように、と言ってくれた。
心からの礼を述べて退室し、廊下に出ると自然に早足になった。
司令官室に駆け込み、仮眠室への扉を開けた。
言いつけ通り、オスカルはおとなしく横たわっていた。
自分で脱いだらしく、掛布の上に裏返しのまま軍服が置かれていた。
「まったく、われながらみっともないな。」
とオスカルが言ったのは、このときである。
「何もしゃべるな。」
アンドレの口調の厳しさにオスカルは押し黙った。
「声を出すと腹に力が入る。血が止まらなくなる。」
「…?」
オスカルはあわてて掛布をめくり、自身を見た。
「なんだ。始まったではないか。」
さもおかしそうに、気の抜けたような声を出してオスカルは笑った。
「まいったな。こんなところで…。なんの仕度もしてきていない。」
月のものがはじまったと信じて疑わないオスカルの様子に、アンドレの眉間の皺がきつくなった。
「今、クリスをよびにやった。本当に月のものかどうか確かめてもらう。」
アンドレの声はとても低く、冷たく感じられた。
おさまっていたと思っていた吐き気が、その声に触発されたように襲ってくる。
下腹部の痛みも引かない。
「違うと思うのか?」
無理をして声を出した。
「この際、思う思わないの問題じゃない。事実を知りたい。」
「事実は明らかだ。現にこうして月のものが始まった。やはり母上の策謀だったのだ。」
オスカルは額に脂汗をにじませながら気丈に言い返した。
「ではその吐き気は?」
アンドレはしゃべるな、と言いながら、つい詰問口調になった。
オスカルに当たるのは筋違いだとわかっている。
すべては自分の配慮不足だ。
妊娠を疑いながら、部下釈放の知らせを聞いて馬に飛び乗るオスカルを止められなかった。
鞭をあて、全力疾走を愛馬に要求するオスカルのあとを追いかけるのに精一杯だった。
なんということだ!
アンドレは頭を抱え、どっかりと寝台の端に座った。
「アンドレ、おまえも随分つらそうだぞ。大丈夫か?」
自分の吐き気を一旦おいて、オスカルはアンドレに声をかけた。
「もし、もしおまえに何かあったら…。」
「何があるというんだ?心配するな。確かに吐き気はあるし腹も痛いが、そこまでおまえが悲愴になるほどのものではない。」
だが、アンドレは顔をあげようとはしなかった。
両膝に肘を置き手のひらで顔を覆い、微動だにしなかった。
仕方なくオスカルは黙った。
敷布が汗でじっとりと濡れていく。
掛け時計のコチコチという音が、嫌になるほど大きく響いていた。
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