1789年6月30日、4000余名の大群衆が、パレ・ロワイヤル広場からなだれのようにアベイ牢獄へとおしよせた。
投獄されていたフランス衛兵の釈放を要求する人々の群れであった。
知らせを受けた国王は、日頃の優柔不断にはめずらしく釈放を即断した。
もとより、この件はブイエ将軍の個人的、感情的な一存によるところが大きく、とりあえず処分保留としていたことに加えて、各地から軍隊を召集している状況下で、お膝元のフランス衛兵を収監しているのは、いかにも格好がつかなかったからである。
衛兵隊の本務たる王宮警護に一層勤めさせ、民衆の暴動に備えさせねばならない。
いずれは武装して戦わせなければならないのだ。
牢獄で飼い殺しにしておく必要はなかった。
オスカルは、アンドレからの知らせを受けて、すぐさま衛兵隊の本部に駆けつけた。
そして司令官室で釈放された兵士たちの到着を待った。
長い間、自室にこもって待ち続けたことを思えば、なにほどのこともない、むしろ幸福な待ち時間だった。
しばらくして屋外から歓声が聞こえた。
オスカルは、司令官室からゆっくりと立ち上がった。
絶対に来ると信じ、祈っていた日が、やっと来たのだ。
自然、早足になる。
だがあわてることはない。
彼らは帰ってきたのだ。
はやる心をおさえながら、オスカルは練兵場に向かった。
アンドレが他の兵士とともに、釈放された兵士たちを出迎えていた。
仲間たちの大歓迎でもみくちゃになった彼らは、衰弱している様子が否めないものの、想像よりはずっとましだった。
「元気だったか?」
「かわいそうに、こんなにやつれて」
あちこちで暖かい会話がかわされ、誰もが幸福を感じていた。
銃殺と、ブイエ将軍が宣言したとき、だれがこの日を想像できただろう。
間違いなく、死が見えていた。
一班は全滅だと、皆が思った。
だが、彼らは戻ってきた。
全員そろって…。
衛兵隊の仲間の感激は計り知れない。
全員が出迎えに出ていた。
ダグー大佐も、ユラン伍長も、将校から一兵卒まで、すべてのものの顔がそろっていた。
だが、何かが足りない。
誰かが足りない。
アンドレの顔を見た彼らは、瞬時に思い出した。
「アンドレ、隊長は?」
「隊長はどこ?」
アンドレはゆっくりと兵舎の扉の方に眼をやった。
その視線の先に、オスカルが立っていた。
梅雨の晴れ間に吹き渡る風が黄金の髪を揺らして、その一点に光りが差し込んだようにキラキラと輝いていた。
オスカルはゆっくりと両腕を広げた。
「隊長〜!」
まるで子どものように、兵士達は、隊長の下に駆け寄った。
オスカルは一人ずつと固い握手を交わした。
心なしか頬が紅潮している。
口元が自然にほころんで、瞳は慈愛に満ちていた。
最後に握手をかわしたのははアランだった。
オスカルはなんのためらいもなく手を差し出した。
アランは、一瞬の間をおいて、それからそっとオスカルの手に触れた。
オスカルはぎゅっとその手を握った。
「よくがんばったな」
オスカルはアランの眼を真っ直ぐ見つめて言った。
アランは黙ってうなずいた。
「アンドレ、全員に健康診断を受けさせてくれ」
オスカルはユラン伍長と話しているアンドレに声をかけた。
アンドレは急いで駆け寄ってきた。
「医務室ですでに用意ができている」
「そうか。では、皆、しっかり診てもらえ。ひどい時間を過ごしたのだ。念入りに診てもらうんだぞ」
「はい、承知しました!」
そろって敬礼し、彼らは医務室に向かった。
途中でアランがアンドレを振り返った。
アンドレが、微笑んだ。
それを見て、アランもほんの少し微笑み、くるっと踵を返した。
「よかったな」
アンドレは傍らのオスカルに声をかけた。
「ああ」
広場を埋め尽くしていた兵士達に、ダグー大佐から持ち場に帰るよう指示が出て、三々五々人影は散り始めた。
オスカルは、その姿をじっと見つめている。
名残を惜しむかのように…。
部下は釈放された。
ベルナールは約束を果たした。
次は自分が約束を果たす番だ。
たった今、感激にうちふるえながら自分の手を握り替えしてくれた部下たちと別れなければならない。
自分はここを去るのだと、伝えなければならない。
深い深い喪失感がオスカルを襲った。
確かな絆を確信したも直後、それを断ち切るのだ。
足下から世界が崩れていくような気がした。
誠心誠意築き上げてきたものを、自分の手で砕かねばならない。
ふいに強い吐き気が襲ってきた。
オスカルは口元を押さえるとその場にしゃがみこんだ。
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