クリスは、アンドレから説明を聞くと、目をつり上げ恐ろしい形相で二人をにらみつけた。
そしてアンドレを仮眠室から追い出した。
司令官室にはクリスを連れてきてくれたジャンとミシェルが心配そうに立っていた。
「助かったよ。また用を頼むかも知れないが、とりあえずは大丈夫だと思う。疲れているところに本当にすまなかった。ありがとう。」
頼むだけ頼んで事情説明がひとつもないのは失礼なことだったが、場合が場合だから、アンドレはあいまいに述べて、丁寧に頭を下げた。
「何かあったらいつでも言ってよ。隊長のためならなんでもするからさ。」
ジャンが明るく返答して、二人は司令官室から出て行った。
アンドレの額をいやに汗がつたう。
まるで判決を待つ被告のような心境だ。
じっとしていられず。うろうろと室内を歩き回った。
しばらくしてクリスが仮眠室から顔を出し、手招きでアンドレを呼んだ。
すぐに仮眠室に入ると、オスカルは掛布を頭までかぶっている。
「わたしの診断を信じなかったんですってね。まったくその方が信じられないわ!」
クリスが怒りを含んだ声で言った。
「端的に言います。いわゆる切迫流産ね。下手をすると流産だわ。」
「…!!」
最悪の想像が当たってしまった。
「それで…?」
かすれた声で聞いた。
「絶対安静よ。いいわね。」
「大丈夫なのか?その…、子どもは…。」
「ええ、さいわい、今のところはね。言ったでしょう。切迫流産だ、と。流産ではないわ。でも、もし無茶をしたら…。母子ともに危険な場合だってあるのよ。」
「させない。絶対に…。」
「当然ね。」
「ああ。当然だ。」
「見てのとおり、ご本人はまったく自覚がなくていらっしゃるようだから…。」
クリスは掛布をかぶりこんでいるオスカルを見下ろした。
「俺のせいだ。オスカルは悪くない。」
アンドレはそっと手をのばし、掛布からはみ出した金髪に手を添えた。
「わたしも同感よ。だからあなたに頼んだのですもの。」
ほとんどの女性にとってオスカルは憧憬の対象だが、このクリスにとってだけは、単なる患者であり、その観点からすると手に負えないほど手がかかるという、ある意味非常に珍しい対象であった。
アンドレは体中の力が抜けていくと同時に悔恨の情がどっと押し寄せ、誰もいなければ自分で自分の頭を殴りつけたい心境だった。
オスカルの体調管理は、自分の仕事だった。
クリスから厳に指示されていた。
奥さまに指摘されるまで気づかなかった、指摘されても信じなかった、などと、どの面下げてクリスに言えよう。
あれほど念押しされていたのに…。
「とにかく、当分ここから動かすことはできないわ。毎日様子を見に来るから、しっかり監視して、絶対安静にしてちょうだい。」
「そうすれば大丈夫なのか?」
「とりあえずはね。応急の手当てはしてあるから、とにかく、いいわね、安静第一よ。」
クリスはしつこいほど安静を強調し、忙しいから、とさっさと出て行った。
「絶対口外はしないから安心してちょうだい。ジョゼフィーヌさまと固くお約束しているから。」
別れ際の言葉は、クリスならではの思いやりで、そこに他ならぬジョゼフィーヌがからんでいることが、アンドレには有り難くも申し訳ないことこの上なかった。
普通なら、こんなに冷静に事務的に対処してもらえることではない。
現職武官が、従僕と結婚して妊娠など、どこの医者が平常心で受け止めてくれるだろう。
だが、ジョゼフィーヌはどのようにしてかはわからないが、完全にクリスを取り込んでいて、おかげでクリスも完全に職業人としてのみ対応してくれていた。
感謝とともにクリスを廊下まで見送って、ふたたび仮眠室に戻ったアンドレは静かに寝台に腰を下ろした。
「着替えるか?」
掛布の下でオスカルが首を振った。
「しばらくここから動けない。それは納得できるな?」
今度は縦に首を振っている。
「では俺は今から色々と手配してくる。とりあえずダグー大佐に軍務について相談しなければならないし、それからだんなさまと奥さまにも事情をお話しせねばならんだろう。だが、お屋敷の方はすぐには行けないな。」
何も言わないオスカルの心中ははかりしれないが、こういうときにひとりにはできないから、ダグー大佐との調整が終わればすぐに戻るつもりだった。
お屋敷には、オスカルの様態が落ち着いてから帰って説明しようと決めた。
「できるだけ早く戻るから、絶対に動くなよ。」
そう言って立ち去りかけたとき、掛布からそっとオスカルが手をがさし出した。
白く細く、けれど武人として鍛えられた手が自分を探している。
アンドレはその手をしっかりと握りしめた。
そして白い甲に唇を寄せ、それから心を鬼にして、部屋を出た。
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