決 闘
〈1〉
ル・ルーは、きょとんとして豪華なエントランスに古参の侍女をズラリと従えた叔母を見つめた。
母に似ているが、やや若い。
そして華やかだ。
都会暮らしと田舎暮らしの差か。
いやおそらく性格の差もあるのだろう。
ル・ルーはとりあえず無難に挨拶をこなした。
先日の王太子殿下お見舞いにあたって、いやというほど練習させられたことが功を奏して、美しい叔母の目に明らかに、ほう、という感想が見て取れた。
最古参の侍女が、これはなかなか、という風に他の侍女を見た。
値踏みされている、とル・ルーは直感でかぎ取った。
理由はわからない。
だが、短い人生ではあるが、この第一印象は狂ったことがない。
母から受け継いだこの天性の勘が、さらにル・ルーにおとなしくふるまうよう忠告してくれた。
「ようこそ、ル・ルー。お久しぶりね」
ジョゼフィーヌの声は、これまた母に似ていたが、やはり幾分若く張りがあり、音楽のような心地よさを持っていた。
「あちらにお茶とお菓子を用意してうちの子どもたちが待っているわ。ついていらっしゃい」
ジョゼフィーヌはにっこり微笑むと、くるりとドレスの裾をひるがえし、奥に向かって歩き始めた。
ル・ルーはできるだけ上品に、先日母から泣くほど仕込まれた歩き方であとに続いた。
その後ろに、品定めをする鑑定人のように三人の侍女が付き従った。
第一段階合格、とうなずきあっている様が、ル・ルーの背中に感じ取れた。
導かれた部屋はすっきりとした空間に、邪魔にならない程度の家具が置かれ、南の窓から明るい光が差し込んで、中央のテーブルを囲んで座る二人の従兄弟が絵のようだった。
彼らは、ル・ルーの姿を認めると、さっと立ち上がった。
ひとりはいかにも貴公子、というジョゼフィーヌの長男アンリ、そしてもう一人はジャルジェ家の養子に、と本人のまったくあずかり知らぬところで頻繁に名前があがるシャルルだった。
アンリは15歳、シャルルは10歳、どちらも美しい顔立ちと父親譲りの優しい気性で、
「やあ、ル・ルー、良く来たね。元気だった?」
と口々に声をかけてくれた。
このように麗しい少年を見れば、かつてのル・ルーならばあんぐりと口を開け、麗しいー!と叫んだところであるが、オスカルがアンドレとロザリーを伴ってローランシー家を訪問した際には6歳だった彼女も8歳になり、時と場合を考慮する知恵がついていた。
ル・ルーは口を大きく開けるかわりに、深く腰を折り、久しぶりに従兄弟に会えた喜びを丁寧に述べた。
アンリとシャルルは驚いて駆け寄り、こんなに素敵な淑女にはそれ相応の挨拶をしなくては、と言って、次々にル・ルーの手を取り、膝を曲げて正式な挨拶をした。
ことにアンリはまもなく社交界デビューをすることになっているのだが、すでに、あちこちの舞踏会で彼の初登場はどこのお宅か、と噂になるほどの美形であり、それが際立って優美な仕草で挨拶をしてくれたものだから、ル・ルーは最大限に口をあけてあんぐりしたいところを懸命に耐えた。
ル・ルーの苦衷など露知らぬジョゼフィーヌが目を細めて言った。
「ル・ルーは先だって、ムードンの王太子殿下のお呼び出しを受けて参上したのですよね。ぜひそのときのお話をきかせてちょうだい」
値踏み第二弾だ、とル・ルーの脳内信号に赤い点滅がついた。
これが灯ったときは、慎重にしなければならない。
そこで彼女は、まずは殿下のご様子を心底いたわしそうに語った。
これは本心だったから、別段の演技は要らない。
かけてくださったお言葉、ご返答の内容など、オスカルにチャチャをいれられたこと以外はすべて話した。
そしてきわめつけに、今度お元気になられたらプチ・トリアノンを案内してくださるとのお約束を頂いた、今の一番の楽しみはそのことだ、と嬉しそうに付け足した。
ジョゼフィーヌの美しい瞳にうっすらと涙が滲んだ。
王子の病状に快復の見込みがほぼないことは周知の事実である。
同じ子を持つ親として王妃さまのご心中いかばかりか、と日頃よりご同情申し上げていた彼女にとって、ル・ルーが語って聞かせる殿下のご様子は、あまりにけなげでいたいたしく、平静に聞き流すことは到底できなかった。
そばに立つ侍女たちも鼻をグズグズいわせている。
おそらく二人が並んでプチ・トリアノンを歩く日は訪れない。
オスカルが言うような、ル・ルーが王妃になる日はやってこないのだ。
ジョゼフィーヌは手にしていたティーカップをそっと置くと、ハンケチを目に当てた。
「お母さま、大丈夫ですか?」
シャルルが気遣わしげに聞いた。
「ええ、ありがとう、シャルル。大丈夫ですよ」
優しい息子に答え、それからル・ルーに向かい
「王子さまは、あなたにそんなお約束をしてくださったのですね。いつかそんな日が来るよう、わたくしも毎日神に祈りましょう」
と言った。
ル・ルーの脳内信号に青色がついた。
このまま進め、という合図だ。
「ありがとうございます。叔母さま。やっぱりジョゼフィーヌ叔母さまはお優しいわ」
ル・ルーは声を弾ませた。
「オスカルお姉ちゃまはね、殿下に、姪の一匹や二匹いつでも連れて参りますが、こんなのでよろしいのですかっておっしゃるのです」
「ンまあ!」
ジョゼフィーヌが先ほど耐えたル・ルーの身代わりのように口をあんぐりと開けた。
そして貴婦人らしからぬふるまいに気づき、気まずそうに、涙で濡れたハンケチを口にあて、コホンと咳払いをした。
二人の息子も、意味がわからない、というようにそろって小首をかしげた。
「わたしは、確かにジャルジェのご親戚の皆さまのように美しく生まれはしなかったけれど、人として数えてもらえないほどひどいのでしょうか?」
伏し目がちに、つらい仕打ちに耐えるいたいけな少女そのものの顔を作った。
「そんなことはないよ」
シャルルが即座に否定した。
「ねえ、お兄さま」
と促され、アンリも大きくうなずいた。
ジョゼフィーヌが
「ル・ルー、人は決して見かけで判断すべきものではありませんが、それを横に置いたとしても、あなたは立派なジャルジェの一員です。でなければ王子さまがお妃になどとおっしゃるはずがないではありませんか」
二人の貴公子が同時に叫び声をあげた。
「ル・ルーがお妃に〜?」
ハッとしたジョゼフィーヌは引っ込みが着かなくなり、仕方なく、オスカルの手紙の件を告白した。
ル・ルーは悟った。
このわたしをお妃にふさわしい女性にしこめ、とジョゼフィーヌに頼んだのだ、あの軍服を着た叔母は…。
高級軍人の叔母のたくらみの全容が今、明らかになったのだ。
上等じゃないの。
そっちがその気なら受けて立とうじゃないの。
小さい丸い目がクリクリと動いた。
そして一瞬の間に頭を最高速で回転させ、返答した。
「よほどオスカルおねえちゃまの目にはわたしがひどい子どもに見えるのね。ご挨拶にジャルジェのお屋敷に伺ってから、まだ一度もゆっくりお訪ねしていないので、もう一度おばあさまにお会いしたいと思っていたけれど、ジョゼフィーヌおばさまにみっちりしこんでもらえ、というのなら、せっかくベルサイユに来ていても、おじいさまやおばあさまにはもうお会いできないんだわ」
しおらしい風情に、ジョゼフィーヌはすっかり同情した。
ル・ルーがなかなかのお転婆だとは母からも少し聞いていた。
またオスカルの手紙ではケチョンケチョンに書かれていたから、どんな子かと、まだ幼いときのル・ルーを思い出して推測していたが、どうしてどうしてかわいいものではないか。
公平に見て、祖父母を慕う姪を、例の忙しがりたい病のオスカルが疎んじて遠ざけようとしたというところだろう。
このような小さい子になんと大人げない。
なまじ根がまっすぐのジョゼフィーヌが義憤にかられ、しかも相手があの憎たらしい妹となれば、俄然、ル・ルーへの助力にも力が入る。
「ル・ルー、心配はいりませんよ。おばあさまのところにはわたくしが連れて行ってあげます。ええ、ええ。安心なさい。オスカルの言うとおり、みっちり仕込みましたよ、と言って、二人であの子をギャフンと言わせてやりましょう」
ジョゼフィーヌはきっぱりと言い切った。
そして侍女に命じて紙とペンを持ってこさせ、オスカルに手紙を書き始めた。
それから、ハタと気づき、アンドレ宛にしなければまた文箱の中に忘れられるのがオチだわ、と改めて書き直した。
スラスラとペンを走らせる母にシャルルが言った。
「僕も久しぶりにおばあさまにお会いしたいな。一緒に行ってもいいですか?お母さま」
ジョゼフィーヌは美しい息子ににっこり笑って言った。
「もちろんよ、シャルル。そうだわ、アンリも一緒に行きましょう。そしてこのようなことを考えるほどお暇なジャルジェ准将にゆっくりご挨拶いたしましょうね」
ジョゼフィーヌは嬉々として手紙を書き終えると早速封筒に入れ、急ぎジャルジェ家のアンドレ・グランディエに届けるよう侍女に命じた。
つづく
ジョゼフィーヌからアンドレへの手紙