岐 路
〜それぞれの…〜
アランと別れてから、アンドレはすぐにオスカルを司令官室に連れて行き、椅子に座らせた。
そしてしばらくじっとしているようオスカルを説き、自分は副官室に出向いた。
オスカルみずからが現場に出向くため、かわって上層部との連絡がつくよう部屋で待機するダグー大佐に事情を説明して後事を託した。
心配顔をしつつ、大佐は快く了承し、ただちに部下を連れて現場に向かってくれた。
それだけの用をこなしアンドレが再び司令官室に戻るとオスカルはすでに復活し、濡れた髪を拭いていた。
上着も脱いで乾かしたいところだが、またいつ出動せねばならないかわからないため、こちらも上から雫を拭き取るだけにとどめた、と笑い、それからいかにもくやしそうに皮肉った。
「ジョゼ姉、執念の復讐だな。」
事態を深刻に受け止めがちなアンドレに向かって、軽いジョークでかわそうとしているのが明らかで、アンドレはその話にはのらなかった。
たとえいかにジョゼフィーヌの差し入れがひどいものだったとしても、飲んだのは一昨夜のこと。
経験者だからこそわかるのだが、あれは口に入れたとたんに反応せずにはいられないほど強烈なものだ。
そのとき無反応であったのに今頃になって吐き気がしてくるとは思えない。
大体、ジョゼフィーヌの名誉のためにも強調するが、あれは材料自体に悪いものは一切入っていないのだから、とアンドレは考える。
たんに口当たりがすさまじく酸っぱいゆえに、はき出してしまうにすぎないのだ。
「とにかく、もうなんともないのだからそんな顔をするな。おまえのそういう顔をねらっての姉上の深謀遠慮かという気すらしてくるではないか。」
オスカルがあくまで大したことはない、という形で納めようとしたとき、扉がノックされ、ブイエ将軍からの呼び出しが告げられた。
二人は顔を見合わせ、そろってしかめっ面をした。
「これに比べれば、姉上などかわいいものだ。」
ぼやきつつ、将軍の待つ部屋に向かった。
オスカルだけが入室し、アンドレはなぜか消えない不安を抱えて、扉の前で銃を持ち待機した。
やがて頭から湯気を出さんばかりの将軍が出てきた。
将軍は脇に控えたアンドレには見向きもせず足早に歩き出す。
とっさに室内をのぞこうとしたが、すぐに内側から扉は閉められ、アンドレはなすすべもなく立ちつくした。
一体何が起きたのか。
オスカルの身に何が起きたのか。
不安は増長するばかりだった。
湯気どころか今度は噴火直後で猛煙があがっているかのような将軍が、怒濤の勢いで戻ってきた。
お付きのものたちの顔色は皆一様に蒼白で、言葉を発するものはひとりもいない。
立場をわきまえず突然入室などできるはずもなかったが、そうしたい思いに駆られ、アンドレはいてもたってもいられなかった。
もう限界だ!
扉の取っ手に手をかけたとき、突然内側からオスカルが自分を呼ぶ声がして、扉が激しくたたかれた。
アンドレは、即座に扉を開けた。
オスカルは、一瞬険しい目をゆるめ、アンドレの持つ剣を取り上げると
「剣を借りるぞ、ついてこい!」
と叫び走り出した。
室内から
「謀反人だ、逃すな!」
という将軍の怒声が響いた。
アンドレは詳細については一切理解しないものの、大筋だけはざっとつかんだ。
何か理不尽な命が下され、オスカルはそれを断固拒否したのだ。
そして拘束された。
かわって自身で命を下しに行った将軍からの報告を受けて、オスカルは部屋を飛び出した。
とにかく、ついて行くしかない。
アンドレはオスカルの後ろを必死で追いかけた。
幸い雨はやんでいた。
馬屋に駆け込んだオスカルは馬を引きずり出すと、飛び乗った。
アンドレも同様に続いた。
方角からして向かう先は議場だ。
オスカルは馬にむち打ち、速度をあげさせる。
アンドレもひたすらむち打ち、引き離されないよう追いかけた。
議場前広場では、近衛隊と少数の貴族が剣を交わしていた。
近づくにつれ、顔が見えてくる。
近衛を率いているのは、ジェローデル少佐であり、馬上の彼に剣を向けているのは、ラ・ファイエット侯ら、平民議員に近いとされる貴族議員だった。
「ひけ、ひけ〜い!」
オスカルの声が響き渡った。
「ここから先は一歩も通さん。」
それはまるで神託のようだった。
敵も味方も、一瞬にして、沈黙した。
オスカルは続けた。
「ジェローデル、わたしの剣を受ける勇気があるか。近衛隊の諸君、わたしの胸を砲弾で貫く勇気があるか。さあ撃て!武器も持たない平民議員に手を出すというのならわたしの屍を超えていけ、わたしの血で紅に染まっていけ!撃て!!」
もはや誰一人言葉はおろか、ピクリと動くものすらなかった。
軍神が降臨し、今、その場に立ち会っているのだ。
鳥肌がたつような瞬間だった。
やがてジェローデル少佐は頭を垂れ、ゆっくりと答えた。
「マドモアゼル、剣をおおさめください。もと近衛連隊長であられたあなたをどうして撃つことができるでしょうか。あなたのまえでどうして武器ももたぬものに手を加える卑怯者になれるでしょうか。彼らが武器を取る日まで…その日まで待ちましょう。」
「退却!!」
ジェローデル少佐の号令が下された。
近衛隊は整然と去った。
オスカルは、やや紅潮した頬をしてそれを静かに見送った。
そしてアンドレを振り返り、
「我々も退却だ。」
と短く言うと、来たときとは正反対にゆっくりと馬をめぐらせた。
オスカルの行動の結果を何があってもともに受け止める覚悟をアンドレは迷うことなく決め、自分もまた馬をめぐらせた。
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