岐 路
〜それぞれの…〜
オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ准将謀反、というとんでもない一報が、父ジャルジェ将軍の耳に入ったのは、近衛将校に与えられたベルサイユ宮殿の広い一室で、仲間や部下達と談笑しているときだった。
国王陛下が召集された議会にご出座になり、平民議員の独断で結成された国民議会なるものの解散と、各部会ごとの討議を命ぜられてのち退席されたのに伴い、陛下直近の近衛隊も宮殿に戻ってきていた。
そこへ衛兵隊を統括するブイエ将軍から、信じられない要請が宮廷にもたらされたのだ。
「陛下より、議場占拠者たちを武力によって追討せよとの命令を賜ったが、ジャルジェ准将の命令拒否、及び衛兵隊士の命令拒否により、衛兵隊にての任務遂行は不可能となった。ついては替わりの軍勢を議事場に向かわせて欲しい。」
この驚愕の申請により、すぐさま礼服で陛下の護衛をつとめたばかりの近衛隊に出動命令がくだされた。
将校控えの間は当然ながら騒然となった。
平民議員が、陛下の命令に反し、議場に居座り続けるなどというのは、もってのほかであるが、それに加えて、陛下の軍隊が、その追討命令を拒絶するなど、あり得ない事態である。
およそ軍隊に属していて命令拒否というのは、処罰志願者と同義語であり、まして国王陛下からのご命令を拒否するなど、驚天動地、謀反人と断定されても何ら反論の余地はない。
その謀反人が、今ここで談笑している近衛の重鎮の嗣子であり、当人もつい先年までは近衛の連隊長であった人物なのである。
あまりのできごとに伝令への返答もすぐにはできず、うろたえるばかりの一同のなかで、ジャルジェ将軍が大声で命令を下した。
「ジェローデル少佐、即刻一個中隊を率いて出動せよ。国王陛下のご命令である。逆らうものに容赦は無用だ。」
日頃の冷静さに似合わず、同僚とともにいささか動転していた少佐は、この一言で瞬時に我に返り、部下とともに退出した。
それを見届け、ジャルジェ将軍は、呆然としている将校たちに向かい静かに言った。
「火急の事態ゆえ、一存で命を下したが、ご了承いただきたい。また謀反人はどうやらわが身内のようであるが、一切の配慮は無用である。おそらく軍法会議が開かれるであろう。出席される面々には、どうか公平なる処断を願いたい。わたしはただ今より別室にて謹慎する。あとはよしなに…。」
軽く一礼すると、将軍はざわめく控えの間から退出し、宮殿内でジャルジェ家に与えられている一室に向かって歩き出した。
側近の士官が2名、「将軍、お待ち下さい!」と叫びながらあわてて付き従った。
「あの馬鹿が!!」
将校控えの間にくらべれば幾分小さい部屋に将軍の怒声が響いた。
「かりにもジャルジェ家の嫡子が謀反だと!話にならんわ!!」
机にバーンと音を立てて両手をつき、それからがっくりと椅子に座り込んだ。
二人の若い士官はオロオロするばかりで、入口近くに控えたままである。
大概こわい将軍で、怒声など聞き慣れていたが、今回ばかりは並の事態ではないことが明らかで、どこ吹く風と流すなど到底できず、しばらく無言で立ちつくしていた。
が、やがて二人はヒソヒソとなにやら小声で相談をはじめ、それからひとりがそっと部屋を出て行った。
残るひとりは、机に顔を伏せた将軍をじっと見守っていた。
こう言うときにかける言葉はない。
将軍から話しかけてくるまで無言でいることを、彼は自身に課した。
どれほど時間がたったのだろう。
「おまえは、あれのもとにいたことがあるか?」
将軍がぼそりと尋ねた。
とっさに意味がつかみかねたが、我が身かわいさで、頭をフル回転させ、ジャルジェ准将の旗下にいたことがあるか、という意味だと理解し、直立不動で答えた。
「はっ、ごく短期間ではありますが、馬廻りの役をつとめておりましたっ!」
声が恐怖で裏返ったが、とにかくまともな返答ができて、彼は泣きたいほど嬉しかった。
「そうか…。それはご苦労だった。」
信じられないほど優しい声音で労われ、彼は絶句し、だがしかしまたもや気力を振り絞って返答した。
「と、とんでもございません!准将は非常に素晴らしい上官であらせられました。自分はお側にお仕えできたことを大変名誉なことと思っております!」
これは我ながら上出来の答えだ、本当にそう思っているから、嘘偽りがない、と士官は頬を紅潮させた。
「一途であることを正しいことだと教えたのが間違いであったのかも知れん。一本気というのもまた同様だ。周囲が見えないというのと同義なのだ。おまえくらいの年ならともかく、いまだ気づかぬというのは未熟以外のなにものでもない。だが、責任はわしにもある。」
そう言うと将軍は再び顔をおこし深々と椅子にもたれた。
人望もあり、才能もある、だが…。
視野は広く持つべきだが、広げすぎると収拾がつかなくなる。
広い視野を持ちつつ、視点は一点に保たねばならない。
ジャルジェ家の視点とは、いうまでもなく王家の守護者としての視点である。
それ一筋に育てたはずの嗣子であった。
将軍は重いため息をついた。
カチャリと扉が開き、先ほど退出した士官が戻ってきた。
「ご報告いたします。ジェローデル少佐が戻られました。」
「そうか…。任務は無事遂行したか?」
「それが…。」
「どうした?」
士官が答えに詰まっていると、再び扉が開き、当のジェローデル少佐が現れた。
将軍は驚いて立ち上がった。
「何があったのだ?」
少佐は優雅に一礼すると、居住まいを正し静かに返答した。
「今日の軍法会議にかかる人間がひとり増えました。」
「なんだと?」
「わたくしは任務を遂行できませんでした。」
「どういうことだ?」
それから少佐が語ったことは、将軍を地獄の底に突き落とすほど衝撃的ことだった。
控える士官二人も青ざめた顔でつったっている。
「では、君は命に反して兵を引き上げたというのか?」
「さようでございます。」
「ジャルジェ准将の指示にしたがって?」
「卑怯者にはなれませんでしたので。しかし准将のご命令に従ったのではありません。わたくしは、すでにかの方の部下ではございませんので。あくまでわたくしの一存でございます。」
そうではあるまい。
自身の矜持のため、というのは表向きの理由だ。
かつて足繁く娘の元に通い、真摯な求婚をしてくれた彼である。
「その屍を超えて行け。」という言葉に諾とはいえなかったのだろう。
なんということだ。
娘が謀反人になるのは、本人の決断だ。
屍となることも…
だが、ジェローデル少佐は違う。
彼をあの場に向かわせたのは、他ならぬ自分だ。
別のものを行かせるべきだった。
そして、たとえわが娘が屍となろうとも、蹴散らして任務を遂行させるべきであった。
将軍は、士官に向かい直ちに命じた。
「国王陛下に火急の謁見を…。いいか。仕度をすませてすぐ参るゆえ、必ずお目通りがかなうようはからえ。」
士官は二人そろって部屋を飛び出した。
将軍は、少佐に対し深々と頭をさげた。
「なんとしても君への処分は取り下げてもらう。たとえわしの命にかえても…。」
少佐は驚いて言った。
「将軍、これはすべてわたくしひとりの決断であります。たとえ断頭台に立ちましょうとも、悔いはございません。」
「君は完全なる紳士として対応したにすぎない。まさかあの馬鹿が近衛隊を止めに走るとは想定できなかったが、そこへ君を派遣したのはわたしの一存だった。したがってすべての責任はわたしにある。今から陛下にそのこと、しっかり申し上げてくる。どうかそれにて…。」
「将軍…。」
少佐は、言葉に詰まった将軍の手を取った。
「お止めしてもお聞きになる方ではございますまいから、この場は黙ってお見送り申し上げますが、たとえどんな処罰が下りましても、わたくしは潔く拝受いたします。決してご自身をお責めになりませんように。ましてご息女をお責めにはなりませんように…。」
少佐の慈愛に満ちた言葉に目頭が熱くなるのをこらえ、将軍は少佐の手を振り切って謁見室に向かった。
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