岐  路
 

〜それぞれの…〜

フランス国王ルイ16世は、王としての義務の中でももっとも敬遠したい、大勢の人々の前での演説、という仕事を、なんとかかんとか終わらせ、さっさと宮殿にひきあげた。
そして王妃の居間に出向き、よっこらしょ、と定位置の椅子に腰をおろしかけたとき、ドルー・ブレゼ侯からの緊急報告を聞いた。
平民議員が退出を拒み、居座り続け、あまつさえ、注意に行ったドルー・ブレゼ侯に威嚇までした、とのことだった。
結局、腰を落ち着けることなく、国王夫妻は重臣の集まる執務室に急遽移動し、対応を協議した。

「まったく身の程知らずもはなはだしい。銃剣のみが動かせる、と啖呵を切るのなら、望み通り、銃剣にておっぱらうまでだ。」
重臣の意見は一致して強硬手段に出ることだった。
面目まるつぶれの国王も、否のわけはなく、日頃から平民議員を無礼者の集まりと公言してはばからない王妃も諸手をあげて賛成し、平民議員武力排除の命令が、即座に衛兵隊に下された。

これで思い上がったものたちも、王の偉大さに目を覚ますことと高をくくり、一同は緊張を解き、歓談に移った。
だが、まもなく衛兵隊のブイエ将軍から寝耳に水の報告があがり、なごやかな雰囲気は吹き飛んだ。
ドルー・ブレゼ侯に次ぐ、本日二度目の緊急報告である。
衛兵隊ベルサイユ駐屯部隊司令官ジャルジェ准将の命令拒否と、衛兵隊士の命令拒否により、即刻替わりの軍隊派遣を要請する、との依頼であった。

「オスカルが?馬鹿な…。」
王妃は絶句し、重臣一同も蒼白になった。
大臣のひとりが、とりあえず、かわって王とともに戻ってきている近衛隊に出動命令を出すよう提言し、王の同意のもと、伝令が近衛隊に走った。
「オスカルが…。」
王妃は呆然と同じ言葉を繰り返している。
重臣たちも、ジャルジェ准将への王妃の寵愛を知るだけに、うかつなことを言うわけにはいかず、全員針のむしろの心境で、ただ各々の前に置かれた書類をパラパラとめくるばかりであった。

が、やがて長い沈黙に耐えきれず、どこからか声があがった。
「ジャルジェ准将は謀反人ということですかな…。」
謀反…。
誰もがその言葉を心の中で反すうした。
そして一人残らずその意味に気づいて愕然とし、目を泳がせた。

「オスカルが謀反?」
王妃が小さくつぶやいた。
「馬鹿なことを…!オスカルはいつでも命がけでわたくしを警護してくれていたのですよ。謀反人など、とんでもないことです。」
次第に声を大きくしながら王妃はすがるように夫を見つめた。
「ね、陛下、陛下もご存知ですわね。オスカルが謀反など…。きっと何かの間違いですわ。」
王妃の陳情に、重臣達は一様に口を閉ざした。
王妃がここまでかばう以上、あからさまにジャルジェ准将の罪を問うわけにはいかない。
さりとて、おとがめなしとすれば、直属の上司であるブイエ将軍の面子が立たない。
ブイエ将軍は、皮肉なことにジャルジェ将軍とともに王家守護の双璧なのだ。
彼の機嫌を損ねるのは王家にとって決して得策ではない。
重い沈黙があたりをおおった。

そこに本日三度目の非常事態の報告が届いた。
「近衛隊のジェローデル少佐は命を受けて出動したものの、ジャルジェ准将やラ・ファイエット侯爵の抵抗にあい退却。議員は議場を占拠したまま事態は動かず。」
伝える使者の声も、緊張でこわばっていた。
なんということ!
誰もがあまりのことの展開に、気持ちを平常に保てなくなっていた。
「どういうことだ?」
「何があったのだ?」
「ジャルジェ准将は何を考えているのだ?」
「衛兵隊に続き近衛隊まで命令違反とはいかなることか?」
口々に怒声が飛び交った。

「オスカルは身柄を確保されていたのではないのですか?」
王妃は誰ともなく疑問を口にした。
「命令を拒否したオスカルは、その後一体どうなっていたのです?」
誰も返答できるものはいない。
互いに顔を見合わせるばかりである。

「ブイエ将軍をここへ。」
ようやく国王が口を開いた。
「将軍から直接報告を受けたい。」
決断力の欠ける王と言われているが、決して統治能力が皆無というわけではない。
要所要所でそれなりの判断は下しているのである。
先ほどの議場での国民議会解散命令となった大嫌いな演説も、それなりの体をなしたものだった。
「これほどまでに良いことをしているのに、余を見捨てるならば、余は、われ一人を国民の代表と見なし、一人でも国民の幸福をはかろう。」
この言葉には、彼なりの責任感と国民に対する愛情が、たとえ建前だけだとしても、いささかなりとも含まれていることは認められる。
ただ彼の価値観がとらえる時代の速度が現実の時代の速度よりはるかに緩慢だということが、皆の不幸であった。

やがて血相を変えたブイエ将軍が入室してきた。
「ブイエ将軍、ジャルジェ准将が命令拒否をしたとき、身柄を拘束しなかったのかね?」
王がおっとりと尋ねた。
将軍はかっと眼を開いた。
「即座に部下に命じて拘束いたしました。」
「では、なぜ近衛隊の前に准将が現れたのだ?」
「制止をふりきって駆けだしていったのでございます。」
苦々しく将軍が答えた。
「大の男が何人もいて、オスカルひとり止められなかったというのですか?」
王妃が口をはさんだ。
言外に女のオスカルひとりを…という批判がふくまれているのは明らかだった。

「はっ…。」
将軍の顔を汗がつたう。
事情を聞かれるとは思っていたが、まさか自分が叱責を受けるとは想像していなかったのだろう。
くやしさがにじみ出ている。
「恐れながら、近衛隊もジャルジェ准将やラ・ファイエット侯爵の前に引き下がったと聞き及んでおります。決して衛兵隊の不手際というだけでは…。」
「もちろん近衛隊の不首尾は承知していますが、あなたがオスカルをもっとしっかり監視していれば、近衛隊の任務を妨害することなどなかったのではありませんか?」
王妃の追究の手は緩まない。
将軍はてのひらで汗をぬぐった。
このままでは謀反人の幇助者として、自分まで罪に問われかねない。
予想外の展開だった。
王妃のジャルジェ准将への信頼がここまで厚いものだと読み切れなかった。
ブイエ将軍は返答につまり押し黙った。

「ジャルジェ将軍より火急の謁見の申し出でございます。」
侍従長が国王の側に駆け寄り進言した。
誰もがハッとする。
「通しなさい。」
国王より先に、王妃が命じた。
侍従に伴われ、ジャルジェ将軍が御前に進み出た。
彼は礼法通りの正式な挨拶をし、それから謁見許可への礼を述べた。
「申し分をどうぞ。」
またも王をさしおき王妃が促した。
「では、申し上げます。」
ジャルジェ将軍は跪いたまま、国王と王妃の顔を交互に見つめ堂々と述べはじめた。

「このたびの娘の行動によってひきおこされましたすべての罪はわたくしと娘本人の責任でございます。従いまして、処罰はわたくしと娘にのみお与えいただきたく、お願いに参上いたしました。」
「どういう意味です?」
今度も尋ねたのは王妃だった。
「ブイエ将軍は陛下の御意のままに命令を下しました。拒否したのは娘の勝手でございます。また将軍は武人とはいえ女である娘のため、あえて縄をかけたりはせず、軟禁という手段をもって謀反人たる娘を拘束しました。わたくしは親として、その情けに深く感じ入っております。その厚情を裏切り、制止も聞かず飛び出し、あまつさえ、近衛隊の任務の妨害を働きましたことは、ひとえに娘の一存。しかも近衛隊のジェローデル少佐に出動を命じたのはほかならぬわたくしの一存でした。ご承知の通り、少佐はかつて娘の部下であり、事情があり破談にはなりましたが、許婚者でもありました。成敗することしのびなき情をもって、処罰覚悟で退却した少佐の心中を察するに、親として慚愧の念に耐えません。したがいまして、この一連の咎はすべてわたくしども親子が負うべきものでございますことを、なにとぞ国王陛下にお認めいただきたいのでございます。」

国王と王妃は顔を見合わせた。
誠実な人柄に絶大の信頼を寄せてきたジャルジェ将軍の言葉は、夫妻の胸を打った。
言葉のひとつひとつに誠意があり、情があり、真心があった。
すべての罪を自分たち親子で負うという潔さは、並み居る重臣にも深い感銘を与え、皆微動だにせず、将軍を見つめていた。
まさかジャルジェ将軍にかばわれるとは思っていなかったブイエ将軍ですら、いかにもバツの悪い顔で突っ立っている。

が、生来の気質は変えがたく、ブイエ将軍は我が身を励まして、王に上申した。
「命令拒否の衛兵隊士12名は、すでにアベイ牢獄に収監し、銃殺刑に処すよう命を下しました。ジャルジェ将軍は、この者らの罪も負うと言われるか?」
銃殺刑、という恐ろしげな言葉に王妃は身を震わせた。
「そのような残酷な刑を…。」
「反逆罪でございますぞ。」
ブイエ将軍は先ほどの仕返しとばかりに語気を強めた。
彼は、ジャルジェ将軍に負けず劣らぬ王党派だが、人間としての国王夫妻ではなく、制度としての王室にのみ心が向けられているようで、それが実力ほどに王家の信任を得られない原因ともなっていた。

「どうであろう。兵士12名については、まだ詳細がわからぬゆえ、おって沙汰するとして、ジャルジェ将軍と准将、ブイエ将軍、ジェローデル少佐については、今回に限り、処分はなし、ということで…。ただいまのジャルジェ将軍の申し条は、いたく余の心を揺り動かした。将軍と准将が、これまで余と王妃に尽くしてくれたことに免じて、今回のみとの条件付きで処分なしとしたいと思う。」
国王はとつとつと意見を述べ、それから皆を見渡した。
王の慈悲により罪を問われぬ者の中に、自分の名が入っているため、ブイエ将軍は兵士銃殺の無期限延期に異を唱えることができない。
彼は、苦虫をかみつぶした顔で「御意」と頭を下げた。

一方、ジャルジェ将軍にとっては信じられないほどの慈愛に満ちた王の決断であり、ただただ感涙にむせびつつ、「御意のままに」と繰り返した。
自分たちの親子の無罪よりも、ジェローデル少佐が処分なしとなったことが、将軍には何より有り難かった。
重臣達は、突然の反乱騒ぎが、めずらしく王の裁定によって結論にいたったことに驚きつつ、ややこしいことに首を突っ込んで責任を問われるよりは、はるかに気楽でよい、とばかりに、「陛下の仰せの通りに…。」と一同賛意を表した。

「ああ、陛下。なんとお見事なご決断でしょう。」
静かに頭を下げる廷臣たちと対照的に、大げさに感嘆したのは王妃である。
優柔不断な夫への日頃の不満もどこへやら、信頼するオスカルとジェローデルの処分が無しというのはまさに望み通りであった。
もともと気に入った人物を、功績に関係なく取り立ててきた王妃のこれまでを見れば、むべなるかな、という反応だった。

「平民議員の横暴に対処するためにも、軍隊はできるかぎり集めねばなりません。各地に点在する軍を召集しようというときに、お膝元での反乱などあってはなりません。まして給料を出して養ってきた兵士を殺してしまうなど、経費の無駄遣いです。生かして王家の為に働かせてこそ、値打ちがあるというものです。ただし、二度とこのようなことをせぬよう、当分は牢獄で反省させるべきでしょう。まさに王のご裁可は神のご裁可に等しいものでございますわ。」

自分の今までの浪費は棚に上げての発言に、しらけた顔を見せる重臣も少なくはなかったが、国王夫妻が同意見であれば、あえて反論するものはなく、兵士の処分は無期限禁固とし、ただしこらしめのため、当人やジャルジェ准将には、当初の通り、いずれ銃殺、としたままにしておくことが決定された。
これは、いわばジャルジェ准将にとっては部下を人質にとられた形である。
今後の准将の動静次第で、兵士の刑が確定する、ということにすれば准将もこのたびのような血迷った行動は二度と起こすまい、というのがブイエ、ジャルジェ両将軍の一致した意見でもあった。

御前を下がった二人の将軍は、黙って宮殿の長い廊下を歩いた。
日が落ちてきて、外の光がささなくなり、あちこちの燭台に女官たちが灯りをともし始めている。
「ジャルジェ准将は、近衛を退却させたあと、自分で司令官室に戻って来た。そして自分はどんな処分も受けるから部下を釈放してほしい、と泣きついてきた。今度こそ縛ってやろうかと思ったが。親子そろってまったく…。」
前を向いたまま、ブイエ将軍が一人語りを始めた。

「迷惑をかけた。」
ジャルジェ将軍は率直に謝罪した。
「本当にそう思うなら、早く軍隊など辞めさせろ。」
あくまで視点は前方に向けたまま、ブイエ将軍は語気を強めた。
「ああ、わしもそうしたいのはやまやまだ。」
答えるシャルジェ将軍の言葉にはいつもの迫力がない。

短い沈黙ののち、ブイエ将軍が再び口を開いた。
「あの結婚話も結局流れたのだな。」
「頑固なやつでな。」
「そういうところもおまえにそっくりだ。とりあえず今日は家に帰してやる。おまえが育てた娘だ、おまえの手で何とかしろ。早く手を打たんといずれこの程度ではすまなくなる。」
ブイエ将軍は立ち止まって、はじめて旧友に目を落とした。
「忠告、肝に銘ずる。このたびは本当にすまなかった。」
ジャルジェ将軍も立ち止まり、頭を下げた。

「もういい。おまえのそういう姿は見たくない。奥方が…気の毒だ。おまえは自業自得だがな。」
ブイエ将軍は顔をしかめながら言った。
ジャルジェ将軍は、驚いて顔を上げ、白髪まじりの武将の顔を見つめた。
思えば士官学校以来の長いつきあいだ。
互いに張り合い、ぶつかり、腐れ縁以外のなにものでもないと両人そろって思ってきた。
だが、だからこそ、互いに精進し、切磋琢磨し、おのおの近衛隊と衛兵隊の将としてひとかどの地位を築き上げたとも言える。
今になって、娘のことでこのような状況に追い込まれようとは想像だにしなかった。
ほんの一瞬、老いた二人にあい通じるものが漂った。
蝋燭が揺らめき、光と影が交錯する中、ふたりはまた黙り込み、やがて背を向けそれぞれの部下の待つ部屋へと戻っていった。




back
 next  menu  home  bbs