玄関の車寄せに馬車が止まると、すぐに中から扉が開いた。
ぞろぞろと人が出てくるのでは、とオスカルは一瞬嫌な予感がしたが、幸いなことに今回は大きくはずれた。
出迎えたのは執事のラケルと女中頭のオルガの二人だけだった。
ほっとしつつオスカルはアンドレの手を借りて馬車を降り、なじみの二人に「ただいま」
と声をかけた。
静かに顔をあげたラケルが言った。
「お帰りなさいませ。皆さまお待ちでございます」

再び嫌な予感がした。
皆さま、とは誰だろう。
父上、母上のほかに誰かいるのか?
ジョゼフィーヌは息子が熱を出したからあわてて帰宅した、とソワソン夫人が言っていたはずだ。
マリー・アンヌやカトリーヌがまだ残っているのだろうか。
オスカルの危惧など歯牙にもかけず、クリスがさっさと馬車から降りて、中に入っていった。

長期間床についていたため、まだ少し足下がふらつくオスカルをアンドレが肩を抱くようにささえて、クリスに続いた。
オルガが二人のわずかばかり前方を誘導する。
「とりあえずオスカルさまのお部屋に…。皆様方はあとからのぞくとおっしゃっていますので…」
とのオルガの言葉に、アンドレが即座に反応した。
「二階まで上がれるか?」
「無理です」
即答したのはオスカルではなく、クリスだった。
「ゆっくり行けば大丈夫だろう」
オスカルが階段に足をかけた。
「アンドレ、運んで差し上げて…!」
クリスが間髪入れず指示した。
「わかった」
アンドレは、肩に廻していた腕はそのままにして、反対の手をオスカルの膝下に差し入れ、さっと抱き上げた。

「お…、おい!」
とまどうオスカルを無視して、アンドレは軽快かつ慎重に階段を上り、オルガが開けてくれた扉を抜け、いとも簡単にオスカルを彼女の寝台に送り届けた。
クリスが満足そうにうなずいた。
「これでようやく落ち着けますわ。過酷な環境によくご辛抱なさいましたこと…」
思いがけずクリスに優しい言葉をかけられ、アンドレの大胆な行動に赤面していたオスカルは、ようやく気を取り直し、
「いいや、それほどでもない。皆がよくしてくれたから、あれはあれでなかなかのものだった」
といつになく殊勝に周囲への感謝を表した。
するとクリスはきょとんとした目でオスカルを見つめた。
「あら、ご辛抱なさったのはお腹のお子様のことでございますわ。母体の保護意識が極端に少ない中、本当によくご無事で…」
「…!」
オスカルの目が険しくとがった。
「さあ、皆さまをお呼びしてまいりましょう」
クリスは嬉々として部屋を出て行った。

「オルガ、皆さまとは誰のことかな?」
オスカルは怒りの持って行きどころを失い、仕方なくオルガに声をかけた。
「オスカルさまをご案じ申し上げていた全ての人のことでございましょう」
オルガは淡々と返答する。
仕事熱心だが決して入れ込まず、引くべき所は引く。
そういうオルガはジャルジェ夫人の一番のお気に入りだ。
合点のいく答えを得られず、オスカルはしかたなくラケルに視線をうつした。

だが、こちらもまた完璧な執事であるため、主人を見つめるなどという失礼なことは決してしないので、主人の視線の先が自分であるとは全く気づいていなかった。
使用人というものは、気を利かせすぎてはならない。
命令がある前に動くのは、気働きできているようで、実は主人にとっては出過ぎた行為にしかうつらないことが多いのだ。
呼ばれたら即返事、下命があれば即実行。
それまでは空気のように待機。
これが長い歳月の果てにラケルが身につけた執事の極意だった。
したがって彼はオスカルに名前を呼ばれない限り、オスカルの視線に気づくことはなかった。

オスカルは力なく首を振り、アンドレを見つめた。
アンドレは、使用人ではないから、いつだってオスカルを見つめている。
正確に言うと、使用人だったのが、夫に昇格したのだが…。
彼は夫として、オスカルの答えを求める視線にすぐに気づいてくれた。
けれど、長期不在はオスカルと同様であるから、彼にもオスカルの問かけの答えはわかりようがなく、従って彼はただ黙って微笑んでいた。


静かだった。
兵士の声がいつもどこかで聞こえていた衛兵隊と違い、ジャルジェ家は大いなる静寂の中にあった。
もともとそんなにざわついた家ではないが、今日はまた一団と静かだな、とオスカルが思ったとき、再びクリスが戻ってきて扉を開けた。
そのまま彼女は廊下で待機している。
先頭切って入ってきたのはジャルジェ夫人だった。
そしてマリー・アンヌ、カトリーヌ、ジョゼフィーヌが続いた。
もはや三点セットのようないでたちである。
深い紫のマリー・アンヌ、薄い黄色のカトリーヌ、そして鮮やかな赤のジョゼフィーヌの衣装は、それぞれの個性を引き立てつつ、他を侵さない品性を保っていた。

それから、この部屋にはいるのは初めてではないかと思われる料理長とその妻。
古株の侍女が3人と庭番夫婦。
門番一家と厩番の2人。
厩番の年長者のほうはオルガの夫である。
この面々にラケルとオルガが加わって、貴婦人方の後方に整列した。
寝台から身体を起こしたオスカルとその脇に立つアンドレは、一体何事が始まるのか、と固唾を呑んだ。

「オスカル」
ジャルジェ夫人が呼んだ。
「そしてアンドレ」
続いてマリー・アンヌが呼んだ。
二人はそろって、はい、と返事をした。

居並ぶ全員が一斉に言った。
「おかえりなさい。そしておめでとうございます!」

「あ…」
オスカルは口を開け、目を見開き、何かを言おうとして、言葉に詰まった。
アンドレも同様だった。
帰るべきところに帰ってきた。
そして迎えてくれるべき人に迎えられた。
帰るべき所とは、単なる場所ではなく、人の和が醸し出すものなのだ。
人がいてこその場所なのだ。

生まれ育ったところに帰ってきて、そしてこれ以上ない祝福を、もっとも受けたい人たちから受けた。
二人は、ゆっくりと視線を交わすと、皆に向かって言った。
「ありがとう」
「ただいま」





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  絆

きずな

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