あいにくダグー大佐が不在だったので、アンドレは先に面会場となっている庭に出ること
にした。
面会室もあるのだが、天候に恵まれたため、希望者の数が多く今日は庭も面会場にあて
られていた。
長身の彼はすぐに一班の連中の目に止まり、フランソワがディアンヌの所へ引っ張ってい
ってくれた。
「ディアンヌが隊長とアンドレに会いたいって言ってたんだ。でも忙しそうだから無理じゃな
いかって…。ちょうどよかった。アンドレにだけでも会えれば喜ぶよ」
それなりに苦しい環境で育ってきたであろうに、このように無心に他人の幸福を願い動け
るこいつは、いや、こいつだけではない、あいつたちは、俺なんかよりずっといいヤツなん
だろう、と、ディアンヌを囲む男たちをながめながらアンドレは思った。
だが、その思いも仏頂面を隠そうともしないアランを見るまでのわずかな瞬間ではかなく
消えた。
「なんだ、おめーは!隊長と司令官室にこもりっきりだったんじゃねーのかよ!」
こちらこそそれなりの教育を受けて正しい言葉遣いも習得しているはずなのに、なんだっ
てここまでひねくれた言い方しかできないのか、とにらみつけようとしたが、頬を薄桃色に
染めた春風のような少女がにっこり自分に笑いかけてくれるのを眼にして、アランの面白
くない顔がかえって面白く、アンドレもとびっきり優しい笑顔でディアンヌに挨拶した。
アランは完全に背を向けてしまっている。
この際、徹底的に無視してやろうと決心し、アンドレは
「クリスはなかなか厳しいだろう?」
と、ディアンヌに聞いた。
「いいえ、いつも必要な厳しさと十分な優しさで接してくれます。私が少しでも早く仕事を覚
えられるようにって…。本当にとても感謝してます」
この返答でディアンヌがとても聡明な子だとアンドレは理解した。
「そういう感想はとてもいいね。クリスも喜んでいるだろう。いつも人手がたりないとこぼし
ていたからね」
実際、アンドレがラソンヌ医師宅で世話になっている間もクリスは馬車馬のような働きぶり
だった。
この仕事量をひとりでこなすのは超人的な業だと感心したものだ。
そのクリスのもとで、楽しみながら仕事ができるということはディアンヌも相当な働き者なの
だろう。
オスカルがロザリーに似ている、と言っていたが、それは外見だけのことではなく、心のあ
り方が似ている、ということだったのかも知れない。
「この間、初めてひとりで赤ちゃんを取り上げたんです。もちろん先生はおられましたけど、
クリスは留守だったから…。命の誕生に立ち会えて、そのお手伝いができるなんて、ほん
とに嬉しかった」
命の誕生、という言葉がアンドレの胸を打った。
許婚者の裏切りに一時は錯乱状態になり、自ら命を絶とうとしたディアンヌが、このように
明るく日々の生活を送り、新しい命の誕生を喜んでいる。
このディアンヌの笑顔をオスカルにも見せてやりたい。
アンドレは純粋にそう願った。
「そう。がんばっているんだ。もし時間があるなら隊長にも会っていかないか?きっと喜ぶ
よ」
と言われたとき、ディアンヌは周囲がびっくりするほど大きな声を出した。
「えっ!お目にかかってもよろしいんですか?とてもお忙しいとうかがってましたのに…」
その顔は紅潮し、キラキラとし、まるでこれから恋人に会いにいくような様子だった。
「まあ、忙しいのは忙しいけれど少しくらいならかまわんさ」
と答ながら、ふとアンドレの胸を小さな不安がよぎった。
この子はロザリーに似ている。
ロザリーは今でこそシャトレ夫人だが、初恋の相手はオスカルだった。
もちろん女性と知りつつ慕っていた。
いじらしいくらいに…。
オスカルも、もし自分が男だったら、きっとロザリーを妻にしたよ、と言っていた。
ロザリーのオスカルへの思慕は結局憧憬の域をこえるものではなかった。
苦しいほど慕ったとはいえ、所詮、女同士。
失恋したといえるかどうか。
だが、逆に考えれば、失恋の痛手のない恋だともいえる。
失恋とは、成就を願ったのにかなえられなかった事態をいう。
当初から成就をのぞまなければ、決して失恋はない。
ひょっとしてディアンヌは第二のロザリーになろうとしているのか…。
失恋の絶望から男性不信に陥り、決して傷つかない相手に恋しようとしているのか…。
「あの、このまま司令官室へ伺ってもよろしいんでしょうか?」
突然黙ってしまったアンドレにかまわず、上気した面持ちでディアンヌが尋ねた。
「あ、ああ…。もちろんさ。俺は用があるから、アランに案内してもらうといい。アラン、
オスカルも喜ぶだろう。ディアンヌの顔を見せてやってくれ」
と言うと、アンドレは何を馬鹿なことを、と頭を振りながら足早にその場を立ち去った。
〈2〉