…
(2)
mokoさま 作
昨日とは打って変わり快晴の空の下、車を会社へ走らせる。こんな日はもっと
遠くまでドライブしたい。
高校生の自転車が信号待ちをしている私の前を横切る。今日は自転車も気持ち
がいいだろうな。
ふと、数年前の同じ季節に行ったサイクルセンターを思い出す。おかしな動き
をする自転車に三人で笑い転げた。むきになって競争したあと、うっすら汗を
かいた体に秋風が心地よかった。
暫くはこうして「彼ら」とのことを何かにつけ、思い出すのだろう。だって二
十代、青春のすべてだったのだから。
今朝は大変だった。垂れ下がるように腫れた瞼を鏡で見た瞬間、深山さんの顔
が浮かんだ。昨日よりひどい顔、何を言われるか。なんとかしなければ・・
・。温タオルで温め、なんとか化粧が出来る目になった。早起きして正解だっ
た。
タイムカードを押し、給湯室に向かうと恒例の女子バナに入る。
「おはようございます。昨日、新井さんどうでしたかね?」
「おはよ。結果はまだ聞いてないけど営業部の雰囲気が悪くないし部長も機嫌
よさそうだからOK出たんじゃない?」
「篠塚さんのナイスフォローのお陰ですね」
「たまたま受話器をとったのが私だっただけよ。深山さんが電話に出たって持
って行ってあげるでしょ」
「それは、営業部のエースですから・・・」
あなたの基準はそれ??
お茶を出し、部内の全員がデスクに着くと部長が話し始めた。
「昨日、新規2台契約成立した。当社の今期最高売上高を更新だ。新井、よく
やったな!!」
フロア全体から拍手が起こる。努力が実績に替わる瞬間。これで彼もさらに自
信がついたはず。
「おめでとうございます、新井さん。やっぱり新井さんてステキです」
深山さん・・・露骨すぎだわ。
「今日は私と課長のおごりで一課の飲み会になるそうだ。加減してくれ」
新井の後ろを通りそっと囁いていく。部長、やっぱりあなたは素敵な上司で
す。
飲み会は課内だけだから気遣いがなく、とっても明るい雰囲気だった。
新井は明日仕事になるのかしら?と思うほどみんなから酒を注がれていた。テ
レながらお礼を言ってグラスに口をつける。かわいい私の弟分、これからも期
待しているぞ!!
「あれ〜篠塚さん、新井さん見つめて・・・もしかして惚れちゃいました?」
「かわいい弟分の手柄を喜んでいるのよ。深山さんも同期が彼でよかったでし
ょ?」
「別に同期だからって私が得をするわけじゃないですけど・・・でも、彼は将
来有望ですよね。今からしっかりチェックしとかなくちゃ。ほかの部署にも狙
っているコたくさんいるんですよ」
「まったく、あなたは会社に結婚相手を見つけに来ているの?酒の席だからい
けど、あんまりそんなことばっかり言ってると物欲しげに見えるわよ」
「だいじょーぶです!!お仕事も私なりに頑張ってますし。篠塚さん、飲んで
ますか?」
「ビールを注いでくれるのはうれしいけど泡ばっかりよ。深山さん酔って
る?」
自分で言うのもおかしいが、私はめっぽう酒が強い。
『酔っ払って介抱されるなんてみっともない、男の人を介抱するくらいになり
なさい』成人する前から母に言われ続け、自分でもそうだと思い鍛えてきた。
たぶん母はそういう意味ではなく『お酒はたしなむ程度に』と言いたかったの
だろう。
しかし鍛えたおかげか酒の席で恥をさらしたことは一度も無い。記憶もいつも
しっかりしている。
昨夜も自分の部屋で『浴びるように』飲んだが朝食は美味しかった。重たい瞼
と酒の強さが悲しかったけれど。
平日のため一次会でお開きとなり、代行車を手配した。いっぺんに揃うはずも
なく遠い順に乗ってもらったら私と新井は最後まで座敷に残ってしまった。
「新井、私に感謝してね。お礼は・・そうね明日のランチ、長寿庵の上天ざる
そばでいいわ。もちろん深山さんと一緒にね」
「そんなのでいいんですか?そのくらい余裕でOKです。本当に感謝していま
す」
「ずいぶん素直ね、大人になったじゃない」
二十代後半にもなれば男も一人前になるのかしら。先輩風をふかしておどけた
顔で新井の顔を覗き込む。真剣な顔をして私を見つめ返すから、体を引いてし
まった。
「あ、あの。篠塚さん、昨日、変、でしたよ・・・」
そっぽを向いて、でも真剣な顔のまま。あれ、気付かれてた?私ってそんなに
分かりやすい女だったのかしら。
「あぁ、昨日は体調が悪かったから・・・」深山さんと同じ言い訳をする。
「篠塚さん、目が充血してました。泣いた後、みたいに・・・気になって仕事
が・・・」
今度は怒りを隠すような目で見つめられて、あわてて言葉を返す。
「熱っぽかったから、その所為じゃない?もしかして書類忘れた言い訳に使う
気?それに、この歳になると簡単には泣けないわ」・・・・嘘。
「!!」急に手を引かれ、新井に抱きしめられる。
「あんなに悲しそうな顔をして。篠塚さんを悲しませるなんて許せない。どこ
のどいつですか、俺がぶんなぐってやる」
「君もその一人になりそうよ」
「かまいません。誰に殴られても、俺は篠塚さんを守りたい・・・」
「新井・・じゃ・・・ない・・の。・・・・君じゃ・・だめ・・なの」
心の中の声をそのまま口にする。
「やっぱり、『あいつ』なんですか」
「えっ・・・」
「なんでもありません。申し訳ありませんでした。手柄に浮かれた酔っ払いの
悪ふざけだと流してください」
体を離して新井は荷物を持ち出口へ向かう。
「出来れば忘れてください、それと・・・思い出さないでください」
背中に「お疲れ様」と声をかけると新井は戸を閉めた。一人になった居酒屋の
座敷で今の出来事を振り返る。
同じことを大木にされたらと思うと虫唾が走るがやっぱり新井は「彼」とは違
う。
『やっぱりあいつなんですか?』新井は「彼」の事を知らないはず。なのに
「あいつ」とはっきり誰かを指していた。そして、最後の『思い出さないでく
ださい』。明日からの仕事に差し支えないようにとの言葉だと思うが、なにか
引っかかる・・・。
店の人が代行車の到着を知らせてくれるまで、ぐるぐるとそんなことを考えて
いた。
レジの人に聞いたら代行車は余っていないと言う。新井、先に来た車に乗った
のね。よかった、明日も仕事よ、ゆっくり休んで。今日のことは忘れてあげ
る。あなたも忘れなさい。
その夜見た夢は不思議な内容だった。めったに出てこない真澄兄がいた。いつ
ものやわらかい笑顔で「もうすぐだよ」と言った・・・なにがもうすぐなの?
そうか、食事の約束したっけ・・・
翌日、何事も無かったように出勤すると、新井は部長に昨夜のお礼をいって営
業に出かけるところだった。お互い大人の振る舞い方を知っている。
もちろん、長寿庵の上天ざるそばは私の胃袋に納まった。午前中の商談を終
え、オフィスに戻った新井が約束ですからと私たちを連れ出してくれた。あん
なことの後なので、まさかとは思ったが律儀な新井らしい。
深山さんは食事そっちのけで新井が焼け焦げるかのような熱視線を彼に向けて
いた。おかげで気まずさはなかったが、新井はそばの味、分かったのだろう
か?
人生の転機かと思うほど一度にいろいろあったのに、うそのようにあとはいつ
もの毎日だった。そうだ、もうじき真澄兄が帰ってくるんだっけ。
森 真澄は一つ年上の幼馴染。小さい頃からずっと「ますみにぃ・にぃ」と呼
んでいる。近所で親同士も仲がよく、小学校に上がってすぐに引っ越してきた
私をいつも気にかけてくれた。真澄兄が東京の大学に行くまで勉強も見てもら
っていた。
なかなかのイケメンで下校時一緒に帰るときは鼻高々だった。幼いころから
「妹」として見てきたので恋心は無かったが周りには「幼馴染カップル」と噂
されていたようだ。にぃも否定すれば彼女ぐらい簡単に出来ただろうに、一度
も女の子を家に連れてこないと小母さんは嘆いていた。ごめん、私のせい?
真澄兄が東京へいってから「彼ら」と知り合ったのだが、いつも私の話に出て
くるから大体の人物像はわかっているだろう。もしかしたら「彼」への思いも
気づいているかもしれない。無理に悟られないようにとしたわけではないが、
切なそうな私は見せたくなかった。たまにしか会えないのだからいつもの
「妹」を見せたかった。心配性の真澄兄。
真澄兄は大手メーカーの研究室にいる所為か、なかなかこちらには帰って来な
い。年末以外には、数年に一度有給休暇の処理で連休が取れるとこちらに帰っ
てくる程度。大人になってからなかなか顔を合わせることが出来なくなった。
たまに会っても聞き上手のにぃは、私にばかりしゃべらせて自分の近況はほと
んど告げない。そういえば何度か、彼女の影は感じたことがある。今はどうだ
ろう・・・。やきもちではないが、それなりに美人でやさしくて私に嫉妬せ
ず、一生涯真澄兄を愛してくれる女の人じゃなきゃ許さない。だって、私の真
澄兄なのだから。
振り返ると「大丈夫だよ、放さないから」と自転車の後ろで励ましてくれた。
ずっとあの瞳に励まされ生きてきたと思う。温かいやさしい瞳。
今でもあの瞳で励ましてくれるだろうか?「彼」のこと話してみようかな・・
・・。
「真澄兄!!お帰りなさい」
真澄兄の運転する大型高級ミニバンの助手席に乗り込みながら、久しぶりに見
た優しい笑顔に向けて私も最上級の笑顔を送る。
「ただいま。元気にしてたか?おい、飲みすぎの所為か目の下に隈がある
ぞ!!」
「うそっ・・・」「う・そ」「もうっ、にぃのバカ」
こんなやり取り久しぶり、やっぱり安心する。
・・・・・『ここが私の帰る場所』・・・・・
えっなに・・・頭の中でこだまする声。
「どうした、本当に怒ったのか?十分きれいだよ」
「ありがとう、それが聞きたかった。それよりこの車すごい、いつ買った
の?」
考えても埒の無いことを忘れるようににぃに話を振る。
「うん、こっちに帰ってくる数日前に納車になったらしい」
「え、らしいって、にぃの車じゃないの?」
「親父ももう歳だろ、遠出するときは俺が運転することになるから俺の意見は
入ってる。東京じゃ乗らないけどこっちは絶対必要だし買ってやってもいいか
なと、たまには親孝行だ」
「そう、じゃあ恒例の正月旅行はこれで行けるね」
私とにぃの家族はいつのころからか一緒に正月旅行をしていた。幼いころは一
人っ子同士、良い子守が出来て両親たちは羽をのばしていた。
「六人ならゆったりだ、おまえ飲んでばかりいないで運転交代しろよ」
「やだ、こんな大きいの。こすりそうだもん」
「高速だけ運転すればいいじゃないか。なにかしら言い訳つけて結局飲んでる
じゃないか?三十過ぎたんだぞ、体のことも考えてくれよ」
「え〜、私の心配?ほんとはにぃがゆっくりしたいだけでしょ」
「こいつっ」
「あはははは・・・・」
途切れない会話が心地よく、目的のパスタハウスにはあっという間に着いた。
男子校に通っていた真澄兄となんどか待ち合わせした店。駅から遠いから学生
が少なくゆっくり話が出来た。あの頃からにぃは聞き役だった。そうそう、駅
に向かうバスの中でいつも居眠りをして揺り起こされたな。
運転免許を取ってから噂のお店ばかり足を運んでいたからここへは何年振りだ
ろう?
そういえば看板犬だったラブラドールはまだ居るのかな?ヨチヨチ歩きと、か
わいいおしりにちょこんとついた尻尾。まん丸の真っ黒い瞳で私の顔を覗き込
んできた子犬。あぁ、真澄兄の瞳に似ている。
車から降りて建物の脇にあるはずの犬小屋へ向かう。あれ、いるけど・・・何
か違う。
「やあ、いらっしゃい。しばらくだね」
オーナーシェフに声をかけられ、慌てて二人で頭を下げる。
「ライは一昨年亡くなったんだ。この子はボブ。ライの息子だ」
「そうですか。うん、男の子らしい顔してますね」
「さあ、寒いから店にどうぞ。二人がよく食べていたティラミスまだ作ってい
るよ」
覚えていてくれたんだ。たいして会話もしたことがないのに。
あれから十五年、変わることばかりだと思っていたけど変わらないものがここ
にあった。
オーダーを済ませ会話が再開される。たわいのない日常生活だがそれなりに思
うところもあり、話題は尽きない。「彼」のこと話してみようか。でも、心配
かけてしまうか・・・・。
デザートのティラミスをつつきながら窓の外を眺めると、ふとフォークを持っ
た手をにぃにつかまれる。
「おまえ、今日おかしいな。なんか空元気って感じだぞ。なんかあったか?」
さすが幼いころより一緒にいるだけある。鋭い!
「う・・・ん。なんでもない」
「なんでもない訳ないだろう?俺に隠し事は無理なはずだ?失恋でもした
か?」
「そうね・・・。そうかも」
「なんだ、《かも》って、それに男と別れたのは報告受けたぞ」
「そう、夏に別れた人じゃない。誰と付き合っても彼を思っていたわ。でも告
白して今の関係が壊れるより黙って友達でいるほうがって思って・・そのまま
過ごしてきた。最近はっきり分かったの、彼は私を見ることはないって」
「そうか・・・・苦しかったな、香」
「・・・う・・ん・・・」
後は声にならない。涙があふれて止まらない。お店の人に気づかれたら、ほか
のお客さんに気付かれたら・・・そう思えば思うほど涙があふれてくる。
それがテーブルの上で真澄兄に優しく手の甲をなでてもらっているうちすーっ
と涙が止んだ。そしてなんだか心の中にあった重苦しい塊が涙と一緒に流れて
行ったようだった。やっぱり真澄兄に話してよかった。
そうだ、子供のころからにぃに相談すればすべて気が済んだ。気が済むまで話
して、泣かせてくれた。包み込むように優しく傍に居てくれた。いつの間に、
にぃは私から遠くなっていたのだろう。ずっと傍にいてくれたらよかったの
に。
「(もっと早く思い出していれば)・・・こんなに苦しむことはなかったろう
に」
「ん?・・・」
「いや。さあ食っちゃえよ、憂さ晴らしに行くぞ」
「うん」
真澄兄の大きさはずっと知っていた。だけどこんなに心穏やかにしてくれる人
物がにぃ以外に、私の傍にいただろうか。たよるにたる心温かい男性が。
店を出ると風がもうじき秋ではなくなることを告げた。すぐに冬が来る。33
回目の誕生日もすぐそこ。
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