連鎖の輪
夏の名残の残る朝、アンドレが新調した馬車が、どんぐり屋敷の車寄せに着いた。
華美な装飾は一切施されていない。
馬車と呼ぶのに最低必要と思われる御者台と乗り口と、窓はあるが、それ以外には夜間走行のための灯明台が若干装飾的といえばいえる程度である。
だが随分と頑丈そうだ。
かなり厚めの木材が使用されている。
オスカルはコンコンとノックするように外壁をたたいて、それを確認した。
「これだと重量が相当あるな。馬がかわいそうなくらいだ。」
おとなしく車部につながれている馬の側に寄り、頭を撫でてやった。
「確かに。だから二頭立てにしている。場合によっては四頭立ても可能な工夫をしてもらった。乗員の数に応じて馬の数を決めるんだ。」
アンドレが扉を開けて、中を見るようオスカルに促した。
「これはまた…!」
堅固なだけの外装に相反して、車内は緩やかなカーブを多用した瀟洒な装飾に包まれていた。
色調は押さえられているが、丁寧な彫刻が施され、スプリングの効いた座椅子には見事な刺繍の布が使われている。
背もたれも心地よい柔らかさである。
「まるで小さな客間だな。」
オスカルは長い足を組みながら天井に目を移した。
心なしか普通の馬車より余裕がある。
「背をかがめて座らなくていいように、車高を若干高めに取った。」
「なるほど。これはありがたい。」
かつてアントワネットが奇抜な髪型に凝った時には、そのまま乗れる馬車がないため、天井を取り外せるものが発明されたが、それだと当然雨の日には使用できない。
単に背が高いだけならば、その分天井をあげればすむことだ。
アンドレの発想は常に合理的である。
「おまえにしては思い切って金を使ったな。」
オスカルが再び車外に出てアンドレの横に来た。
「馬車は、頑丈が一番だ。すぐにたおされて中の人間が引きずり出されたりしないよう、まずはそれが第一条件と考えた。」
パリでの苦い体験が骨身にしみているらしい。
市民が暴徒とと化して襲ってきたとき、ただ打ち据えられるままであったことは、アンドレにとって痛恨の出来事だった。
あの日、出発の際、アランが代われ、と声をかけてきたのを自分は歯牙にも掛けず断った。
だが、もし、あのときアランと代わっていたら…。
アランならば、あのような結果にはならなかったかもしれない。
アンドレはずっとその思いを引きずっていた。
「このノルマンディーで、こんな無骨な馬車を襲うやつはないだろうな。」
オスカルは、アンドレの深層の思いをすぐに察し、優しく受け止めた。
「で、中のこの豪華さの理由は?」
「チビ達を乗せるためさ。」
「…!」
アンドレは目を細めて外から、馬車の窓を開け、中をのぞきこんだ。
「あれを連れてどこかへ行こうというのか?」
オスカルが明らかに引いているのに対し、アンドレはいたって上機嫌だ。
「ああ。今日にでもバルトリ家のお屋敷に、と思っている。」
「本気か?」
「ここで冗談を言ってもなんの利益もないと思うが…。気乗りしないのか?今日は家庭教師の日だろう?」
「子連れで行くのか?」
オスカルはアンドレの問いには答えず眉をひそめた。
ここしばらく、ルイ・ジョゼフから依頼され続けていたのは事実だ。
「先生のお子さんに会いたい。」と…。
この目で見なければ信じられないそうだ。
オスカル・フランソワが母親だということが…。
だが、オスカルにはどうして母親だと証明する必要があるのかわからない。
自分は、教師としてルイ・ジョゼフに接しているのであって、母親としてではない。
自分の私生活において子供がいようといまいと、弟子であるルイ・ジョゼフには何の関係もないはずだ。
だが、このかわいい生徒の願望は、アンドレに伝えられた時点で、俄然現実味を帯びてしまった。
子供たちの初の遠出にはバルトリ家を置いてあろうはずがない。
ぜひとも一家で訪問せねば…、と勝手にアンドレは決意してしまった。
「我が家には一人乗りの馬車しかないぞ。」
水を差すつもりで指摘すると、それなら作ろう、ということになり、早々に職人を見つけてきて、今日の納品となったわけである。
妻子の安全を図りつつ、オスカルの弟子の願いもかなえ、またそろそろ外界に興味を持ち始めた子供たちのためにもなる、という器用なことを、アンドレはいともたやすくやってのけた。
オスカルはため息をついた。
仕方がない。
今日は子連れで仕事だ。
授業の間はアンドレが子守をするはずだから、差し障りはないと思うが、果たして双子と出会った弟子が、真面目に授業を受けるだろうか。
オスカルは浮かない顔で首を振った。
無理だな。
なぜかあいつらは人の興味を著しく惹きつけて放さないものをもっているらしい。
結局、今日は顔合わせだけで終わるのか。
昨夜遅くまでかかって考えた授業計画を次回に持ち越すのはしのびないが、アンドレは頑固だから、こうなっては従うしかない。
オスカルは、アンドレが両腕に双子を抱えて出てきたのを見て、再び大きくため息をついた。
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