連鎖の輪
どちらが御者を務めるか夫婦で散々口論した挙げ句、結局馬に鞭をあてているのはオスカルだった。
見かねたマヴーフが、おずおずと「わたしが…、」と申し出たのを機に、オスカルが御者台を占領し、てこでも動かなかったのだ。
アンドレは、あり得ない、と抗議したが、とにかくバルトリ家に子供たちを連れて行くことを認めさせた以上、それ以外のところでは自分が折れるしかなかった。
金髪をなびかせて気持ちよさそうに馬を御するオスカルと、興味津々で車内外を見回す子供たち、そしてその世話をするアンドレ。
マヴーフは、ある意味、これは日常の延長の当然の帰結だと思った。
他家では、使用人が御者を務め、一家はそろって車内におさまる。
誰からもどこからも異論が出ようはずのない規定のことだ。
そして、バルトリ家では、御者は主人や御曹司が務める。
これでもたいがい異質なのだが、当家ではさらに特異なことに、奥さまが御者を務めるのだ。
「だが、道ばたで馬車とすれ違う人々は、誰もあれが奥さまだとは思うまい。」
マヴーフは妻にことの顛末を報告しながら頬をゆるめた。
「きれいな御者だと思うだけのことだ。だが、バルトリの奥さまがなんと思われるか…。」
夫婦は顔を見合わせやれやれとため息をついた。
マヴーフの想像は的中だった。
バルトリ侯爵夫人は破顔しつつ、妹一家を出迎えに出てきて、アンドレに抱かれた双子の柔らかい頬に代わる代わる唇を寄せながら、オスカルを探した。
そして馬車をつなぎに行っていると聞かされ、まなじりをつり上げた。
「御者はどうしたのです?」
「あの…、皆、忙しそうだったものですから…。」
「て゜、オスカルが馬を御して、あなたが子ども係というわけ?」
「まあまあ。うちでもわたしやニコーラが御者をするのはよくあることだ。オスカル・フランソワが馬を操ってもなんの不思議もなかろう。」
バルトリ侯の助け船にアンドレはとびついた。
「はい。わたくしが、と思ったのですが、何せ生来の馬好きですので…。」
「馬好き、というより、子供の世話嫌いが本当のところではなくて?」
さすが姉上、とアンドレは思わず口走りそうになった。
「こんなかわいい子供たちと車内で過ごせるなんて、幸福以外の何物でもないのに。ねえ、ミカエル、ノエル。」
クロティルドは、二人に向かって扇で優しい風を送ってやった。
「やあ!やっと会えた!!」
階段の上から声変わり前の美しい少年の声が聞こえてきた。
「ルイ・ジョゼフ!起き上がって大丈夫なの?」
クロティルドが心配そうに駆け寄る。
だが、スラリと華奢な少年は、軽い足取りで階段を下りてくると、双子の前にまっすぐに立った。
そして丁寧な自己紹介をした。
「君たちの母上からあらゆることを教わっている弟子のルイ・ジョゼフです。どうぞよろしく。」
「ルイ・ジョゼフ。こちらが長男のミカエル。そしてこちらが長女のノエル。二人になりかわって挨拶させてもらうよ。どうぞよろしく。」
アンドレが両腕に子供を抱いたまま、ぺこりと頭を下げた。
侯爵夫妻が目を細めてうなずきあった。
馬車をつなぎ終えたオスカルが合流し、全員で客間に移った。
ニコーラとニコレットも途中から同席した。
ニコーラは来客中、ニコレットは教会慰問に出ていたのだ。
「ジャルジェ家の血だねえ。」
ニコーラが、小さな従弟妹の髪を見て感心する。
「わたしもバルトリの血よりジャルジェの血の方が色濃く出たが、ミカエルとノエルは典型的だな。」
「いや、本来バルトリ家も金髪碧眼なのだよ。わたしが母上からの血でこうなっただけなのだ。」
ナポリから来た母上の肖像画を指さしながら、侯が言った。
「なるほど。不思議なものですね。」
一人の人に流れる血。
父方、母方、そしてさらにそれぞれの父方、母方。
遠い先祖にさかのぼれば、一体何人の血が一つの体内をめぐっているのだろう。
その場にいたものすべてが、ルイ・ジョゼフに流れる血を思った。
ブルボン家とハプスブルグ家にきらめく代々の王や皇帝たち。
間違いなくそれらを受け継ぎながら、彼には何一つ輝かしいものはないのだ。
だが、結局の所、人を輝かしめるのは血筋ではない。
アンドレには貴族の血は流れていないが、彼が輝いていないと誰が言えるだろう。
クロティルドから譲られた領地を治め、どんぐり屋敷の当主として家内をまとめ、そして父として夫としての務めも完璧に果たしている。
ルイ・ジョゼフの人生に栄光が訪れるとしたら、それは本人のたゆまぬ努力によってのみだ。
オスカルは日々の講義の根源に、いつもそのことを置いている。
彼のような境遇であればこそ、自分の足で立つこと、自分で自分を鍛錬することが肝要なのだ、と。
その思いをまだ若い彼がどれくらい受け止めているかは定かではないが、教育というのは時間のかかるものだ。
慌てる必要はない。
だから、たとえ今日の講義が、この賑やかなお茶会にすり替わってしまったとしても、決して苛立ってはならない。
オスカルは自分に言い聞かせた。
双子たちは、すでに床の上を這い回り、手の当たるものをよすがにつかまり立ちをし、そこから伝い歩きをはじめては、ストンとお尻を落とし…、と完全な自由を謳歌している。
そしてその一挙一動に周囲が反応し笑い声がわいた。
ルイ・ジョゼフははじめて見る幼子への興味が尽きないようで、ついには双子の間に交じって、その行動をまね始めた。
「これはすごい運動量だ。」
たちまち汗をかいたルイ・ジョゼフはハアハアと肩で息をした。
立つ、座る、移動する。
手をあげる、振る、ものをたたく、つかむ。
ときに自分の手で自分の足をつかみ、くわえさえする。
「絶対無理だよ。」
ルイ・ジョゼフが悲鳴をあげる。
どっと皆が笑う。
幸せが伝播していく。
笑顔が連なっていく。
人は人とつながりながら生きていることを、どうかこの孤独な少年が感じてくれますように…。
オスカルは、これもまたひとつの教育だと思いながら、そっと神に祈った。
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