バルトリ侯は、帰港後ほどなくしてオスカルのもとを訪ねてきた。
8月半ばのことである。
訪問を請う手紙をもらったことももちろん理由のひとつだが、候自身が,一刻も早くオスカルに会いたい、もしくは会うべき、と判断したからでもあった。

通されたのは、日当たりのいい一階の客間だった。
身内なのだから寝室でも良いようだが、やはり、元が上官と部下でもあり、そのような失礼は絶対嫌だというオスカルの主張を、このときばかりはアンドレが受け入れた。
といっても、広大なジャルジェ邸と違って、こちらはいたってこじんまりとしており、寝室も一階だから、階段の昇降をする必要がなかった。
アンドレが客間の使用を許可した最大の理由は、むしろこちらによるところが大きい。

アンドレが煎れてくれた紅茶を挟んで、侯とオスカルは向かい合って座っていた。
侯の記憶の中のオスカルは、常に毅然としていて、紅潮した頬とキラキラした瞳の持ち主だった。
ことにあたったときの判断も驚嘆するほど早く、かつ適切だった。
自分より10歳以上年若い、しかも女性の彼女の根幹に、どういうものがあって、これほどの力量を軍隊という異質な世界で発揮できるのか、常々不思議でありつつ、敬意を抱いていた。
無聊を囲っているとはいえ、今、自分と向かい合う彼女の眼光に当時と違うものは何もない。
久々に世情の話が聞けるというので、瞳は常よりも一層輝いていた。

侯は、オスカルの求めに応じて、知りうる限りの情報を伝えた。
自分たちの船がパリを離れた7月15日、国王は議会へ出向き、軍隊の撤収を宣言、続いて16日には罷免した蔵相ネッケルの再任を決定し彼を呼び戻した。
さらに17日にはパリ市庁に行幸し、「人民との和解」をはかった。
「陛下は国民衛兵の創設とラファイエット候の司令官就任、さらにはバイイの市長就任もご許可なさった。」

オスカルは深く深く安堵した。
一度は銃を構えた王と国民が、再び手を取り、ともに新しいフランスを作るのだ。
これこそが自分のもっとも願ったことだった。
決して王室を根こそぎ倒したかったわけではない。
まして王や王妃個人に危害を加えたかったわけでもない。
王、僧侶、貴族、平民という身分制が、人間の本姓を侵すものであるがゆえに、その体制を打破し、より人間的な、つまり平等な社会を願ったのだ。
対立ではなく、自由な対話こそが、今後のフランスを救う唯一の手立てではないだろうか。
「国王万歳」の声がパリに響き渡ったと聞いたオスカルは不覚にも涙をこぼしそうになった。

だが、その幸福感も侯の次の言葉で一瞬にしてかき消された。
「16日には王弟アルトア伯がオランダに亡命し、その後もコンデ大公やポリニャック伯一族らが続々と国外に逃れたそうだ。」
「そん…な…!人民との和解の前日ではないですか。陛下が国民とともに新しい国を作ろうとされておられるときに、なぜご親族や側近がおそばを離れるのか…!」
次々に親しい人に去られた王と王妃の胸中はいかばかりか。
オスカルは義憤に耐えない。
無論、自分もまたお側を去ったものであることは悲しいくらいに自覚している。

「それがね…、実はこの亡命は国王陛下のご指示によるものではないかという話があるのだよ。」
「なんですって?!」
オスカルの知る国王夫妻は底抜けに人がよい。
だから、すすんで旧知の人たちを危険から遠ざけてやろうとしたのだろうか。
オスカルはあくまで国王夫妻の心情に心を寄せていた。

「外国の王室の手を借りて、革命の兆しをつぶすための密使、とも…。」
バルトリ侯は少し頬をゆがめた。
「ま…、まさか…。」
オスカルは言葉を失った。
王家が外国の力で国民に圧力を加えるというのか。
なぜ王が国民を…。
それは親が子を襲うようなものではないか。
あの国王夫妻がそのようなことをお考えになるというのか。
だが、現実に全国から軍隊をパリに向けて動員したのも国王であった。
王権が神から与えられたものと信じる王家にとって、平等などという発想自体が許すべからざるものなのだ。

絶句するオスカルに、侯は冷静に言葉を続けた。
「外国軍と手を携えて、亡命貴族がフランスを襲う、という話は、悲しいかな、ここノルマンディーにも伝わってきた。」
パリで勃発した革命の火は、地方の各都市にも飛び火し、国王直轄の地方制度は廃止され、各地でパリと似た常設委員会が設置された。
同様に市民軍も結成されつつある。
地方の市民も武器を取ったのだ。

そしてこの火は当然ながら、農村部も放っておいてはくれなかった。
「驚いたことに、私の領地でも自警団結成の動きがあったようだ。亡命貴族が襲ってくるという例の流言がとんだらしい。」
信じられないことだった。
オスカルはただただ目を見開くばかりだ。
自分が穏やかな生活に浸っている間に、祖国はそこまで乱れて、このノルマンディーのバルトリ侯領にすら押し寄せて来ていたのか。
およそ領主と領民に対立などまったくないはずのこの地にすら…。

「近隣の領主の中にはすでに館を焼かれた者もいる。どうせなら、襲われるよりも襲え、ということだな。幸い、うちは無事だったがね。」
オスカルの脳裏に、かつてパリで馬車を襲撃された光景がよみがえった。
手負いの鼠は猫を噛む。
弱き人々は、追い詰められて銃を取り、ついに初陣を飾った。
しかもその功績は、オスカルが鍛えた衛兵隊の面々の活躍に帰するのだ。

「ニコレットからは、そんな話は一言もありませんでした…。」
「ニコーラが止めていた。妊婦である人に、そのような話を聞かせるべきでない、というのが彼の判断だ。」
アンドレが驚いて二杯めの紅茶を注ぐ手を止めた。
あの青年がそのような気遣いを…。
叔父上と呼んだオスカルに対して…。
突拍子もない質問ばかりしているように見えて、実はなかなかの現実的配慮ができる貴公子らしい。
だからこそ、父が不在中に起こった各地の暴動が、ここでは最小限度にとどめられたのだろう。
実際、侯は領地内の自警団結成について、軽く触れただけだったが、それは日頃領民やその子供たちと接しているニコレットからの素早い情報をもとにニコーラが的確な応対をしたことによるもので、ひとつ対応を間違っていれば、危ういところだったのだ。

「わたしも、普通なら息子と同意見なのだが…、きみはただの妊婦ではないからね。きっと知らないでいる方が身体に触るのではないか、と思ったのだよ。なんといっても、なかなか切羽詰まった様子の文面だったからね。あの手紙は…。」
バルトリ侯はクスクスと笑った。
オスカルの頬が少し赤く染まる。
ただの妊婦ではないが、妊婦には間違いない。
きな臭くも血なまぐさい話を好んで聞くなど、もってのほかである。
だが、そのような話を耳に入れることについて、もっとも反対するはずのクロティルドが、このたびだけは、夫に妹を訪ねてくれるよう依頼してきた。
そして、侯も同意見だった。

「フランスの現状は、これでいいかね?もしよければわたしがここを訪ねてきた本当の理由を話したいのだが…。」
侯は静かにカップを置いた。
オスカルは驚いて顔を上げた。
世情説明に来たのではないのだろうか。
自分が依頼したのはそのことだった。
アンドレも同様に、まじまじと侯を見つめていた。
侯はそんな彼に着席するよう指示し、それからゆっくりと話し始めた。









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