第 七 章  父 と 娘

ノ エ ル

「お父様とオスカルは先頭の馬車に。そしてお母様とクロティルドとオルタンスが二番目の馬車。わたくしとカトリーヌとジョゼフィーヌが最後のに乗りますから」
玄関ホールに集まった家族を前にマリー・アンヌがしきっている。
めったに会えないクロティルド姉とオルタンス姉が母上と同乗するのは、おそらく母上のご希望であろうから、反論する気はないが、なぜ、わたしと父上がひとつ馬車なんだ、と小声でアンドレにささやいた。
「おまえはジョゼフィーヌさまと一緒なのもいやなんだろう? なら仕方ない。見事な采配だと思うぞ」
と、アンドレも小声で返してきた。
そっと将軍を見ると、こちらも難しい顔をしている。
だが、当主と跡継ぎならば、問題のあろうはずもなく、将軍はさっさと馬車に乗り込んだ。
オスカルはあわてて、あとに続いた。
乗ってしまってから、アンドレを振り返ろうとしたが、すでに扉が閉められていた。

何か話をとも思うが、別段あえて話す必要もなかろうとも思えて、両者黙ったまま、馬車は闇の中を駆けていく。
暗闇の中に時折窓から月光がさし、それが目の前の娘の金髪を照らして、将軍の目には少しまぶしく痛い。
この娘はいくつになったのだろうか。
後ろの馬車に乗った5人の姉娘たちと、目の前の末娘との、歩んできた道のりのあまりの違いに、今更ながら忸怩たるものが胸中をかすめる。
日常の話題に上らせるべき夫も子供も持たず、男ばかりの上司と部下に挟まれて、全身全霊を任務に捧げている娘。
しかも、その人生の選択は、今でこそ、本人の意志だと言っているが、実は父たる自分が強制したものである。
もっと軟弱で、剣も下手で、躰も小さく育っていれば、自分も途中であきらめられたのかもしれない。
だが、すべてにおいて、娘は完璧に期待に応えた。
士官学校では首席を通し、国王の御前試合でも抜群の成績を残した。
軍服が親の欲目なしによく似合う、美しい肢体に成長した。
若くして連隊長という要職に就いたときも、冷静沈着かつ、情熱的な指揮官ぶりで、鼻が高かった。
さらには同年代の国王夫妻の信任もことのほか厚かった。
男であればこれほどの誉れはない。
しかし−。
女なのだ。
今更と思われても、女に返してやりたかった。
良き理解者たる夫を迎え、安全な巣に返してやりたかった。
だが…。
見事な反撃をくらった。
正規軍のとるべき方法ではないが、ゲリラ戦法としては完璧だった。
舞踏会をぶち壊し、返す刀で、よくもこれほど好条件の花婿候補があったものよ、と神に感謝したほどの婚約者を切り捨てた。
仕方がない。
娘にとって唯一の良き理解者は、夫にはなれぬ身分なのだ。
このまま、この理解者もろとも不穏な嵐の中に飛び込ませるしかないのか…。
将軍の苦衷の表情を、闇が包んで、沈黙の帳の中に隠していった。

そんな父の気配にオスカルもひとり想いをめぐらせる。
父上は随分、お歳を召された。
お若いとはきは、暇があれば剣の稽古をつけてくださったものだが、いつ頃からだろう。
手合わせ頂くこともなくなった。
見事だった金髪も白いものに替わった。
フランス軍の重鎮であることには変わりないが、時勢の流れの中で、頑固なまでに保守を貫く姿勢は、王家からの信頼を益々厚くしている反面、王家と共に時代に取り残される危険を孕む。
しかも、この父はどのように危険な状況に置かれても、決して、王家を見捨てて逃げるような卑怯者にはならないことを、自分が誰よりも知っている。
母から聞いた、父の本音。
自分を安全な巣に戻したいというお心遣いは、そのままそっくり父上にお返ししたい。
父上こそが、職務を全うした誇りを胸に、すべてを自分にまかせて、引退なさるべきなのだ。だが、独り身の跡継ぎに任せるわけにはいかないのだろう。
次の跡目がないのだから…。
ジェローデルと結婚して男子を産め、というのは、非常に身勝手ではあるが、両親の老後や家の将来を考えれば、最善の策だったのだ。
だが、完璧に背いてしまった。
仕方がない。
自分の心に嘘はつけない。
屋敷で待つ男の顔が浮かぶ。
それだけで胸の中が暖かくなる。
オスカルのほころぶ笑みもまた、闇が包んで、沈黙の帳の中に隠していった。