第 八 章  母 と 娘

ノ エ ル

門番が、馬車の帰着を告げ、馬方のもの達がそろって表へ出た。
3台の馬車を引く6頭の馬のそれぞれの轡をとり、玄関前の車寄せに静かに停止させた。
ラケルが先頭の馬車の扉を開けると、将軍が眠そうな目をこすりながら降りてきた。
続いてオスカルが、玄関先に並ぶものたちの中で、ひときわ目を引く長身の男を確認しつつ
馬車を降りた。

教会では、寝ているのではないか、とオスカルがはらはらしたほど静かだった姉上たちが、何事が起きたのか、それぞれに叫びながら従者に手を取られて地面に降り立った。
「どうしましょう。教会に忘れ物をしてきたわ。大切なものなのに」
「まあ、あなたも、ジョゼフィーヌ。わたくしもなのよ」
と、オルタンスの声が聞こえた。
「ぼーっとなさっておられるからですよ。一体何を忘れてきたのですか?」
と、オスカルが問いかけると、なんとクロティルドまで忘れ物仲間に入っていた。
「まあ、失礼ね。わたくしは白いレースのベールよ」
と、ジョゼフィーヌ。
「わたくしは聖書。主人が一緒に行けないけれど、同じページを開いて同じ時間に読もうと言って、わざわざ付箋をはさんで印をつけてくれていたの」
と、オルタンス。
「わたくしは指輪を置いてきてしまったの。あちらで馬車を降りるときに指をひっかけて、少し傷ができたのではずしたのよ」
と、クロティルド。
「おやおや、そろいもそろって…」
と、ため息をつきつつ、関わっていられないと、オスカルが屋敷に入っていこうとすると、
「オスカル、申し訳ないけれど、あなた取りに行ってやって頂戴な」
とジャルジェ夫人が声をかけた。
「ジョゼフィーヌはともかく、クロティルドとオルタンスは明日にはベルサイユを離れなければ行けないのです。今からもう一度教会に戻って取ってきてくださらない?」
「わ…わたしがですか?」
驚くオスカルに夫人は当然という顔で続けた。
「うちのものたちは、明日も早くから仕事が待っています。こんな時間に使いに出すのはかわいそうでしょう。もちろん、ひとりで行けとは言わないわ」
と、アンドレを振り返り、
「アンドレ、一緒に行ってやってくれるわね」
と、これなら文句はないでしょう、とオスカルを見た。

将軍はさっさと屋敷に戻ってしまっており、夫人と姉上たちが玄関前で立ち止まっているため、それぞれの使用人達が身動きとれず、寒い中に立ちつくしている。
各々の主人が、これから豪華な盛装を部屋着に替えて寝台に横たわるまで、彼らは解放されない。
やはり自分が行くしかないか…、とあきらめて馬車に乗ろうとすると
「馬車を出すと御者がいるでしょう。馬で行ってくださいね」
とだめ押しされた。
言うだけ言うと、夫人は姉上たちを従えて屋敷に入っていってしまった。
ようやく使用人も寒風から解放されて中に戻った。

呆然としたオスカルとアンドレだけが残された。
「どうなってるんだ。この寒さの中、馬で行けなどと、母上の言葉とも思えない」
「しかたがないな、上着を取ってくるよ。中で待ってろ」
と、アンドレはオスカルの肩を抱いて、閉められたばかりの扉をもう一度開けると、ラケルが立っていて、奥さまに命じられたからと、アンドレのコートを差し出した。
「随分、用意がいいんだな」
と、オスカルがぼやいた。
「一刻も早く行ってこいということだろう」
アンドレが厩に向かって歩き出した。
寒さも手伝って身体が自然と寄り添う。
「寒いから、馬は一頭にして、一緒に乗ろうか?」
と、アンドレが言った。
「名案だな」
と、答ながら、それならば、この母上の無理難題も悪くはない、と思った。
二人は、今夜馬車を引くことを免除されて、厩でゆっくりくつろいでいたオスカルの愛馬を引き出すと、
「悪いな」
と声をかけながら並んでまたがった。
オスカルの背後から、風を防ぐようにアンドレが包み込んで、分厚いコートがかえって邪魔だな、と思う自分に驚いた。
「さあ、急ごう」
アンドレに脇腹を蹴られると、暗闇の中、馬は勢いよく駆けだした。