La Vie en Rose
作 オンディーヌさま
久々の家族揃っての食事だというのに、父上は最初から最期までご機嫌がうるわしくなかった。
というより、最悪だった。
私が「三部会」という言葉に目を輝かせようものなら、一段と語気は強くなり、こちらの言葉など差し挟みようがないくらいだった。
母上はといえば、いつものように政治の話に口を挟むはずもなく、父上の興奮が増してくると心配げな視線を送りそれを制するような効果を上げていた。
父上の怒りは第三身分を政治の場に参加させる「三部会」開催そのものよりも、この王制がぐらつきかかっている大事の時に「貴族が、王室をお支えすべき貴族がそんな馬鹿げたことを言い出す!」ことにはらわたが煮えくり返っているらしい。
「シモーヌ、お水を持ってきて差し上げてちょうだい」
視線だけでは抑えようがなくなってきたと判断した母上が落ち着いた声と笑顔で言った。
どうも私の冷静な態度も父上をより逆上させているらしい。
「では、父上。明日も朝早くから出勤いたしますので」
食事も早々に席を立ち、食堂の扉が閉じられようとした瞬間、「まったく・・・」という父の溜め息混じりの声が聞こえてきた。
おお、今度の矛先はきっと私だ。
階段をかけ上がると、ちょうど踊り場のところでアンドレとすれ違った。
「三部会開催の話が出ているそうだ。もしそうなったら、175年ぶりだぞ!」
オスカルはアンドレの肩をポンと叩いて、弾むように階段を昇りかけたが、また踊り場まで足を戻しアンドレの耳元で囁いた。
「アンドレ、政治の話のデザートはどうやら私のようだ。父上は機嫌が悪い。気を付けろ!ハハハッ」
オスカルは笑いながら、二階に消えていってしまった。
アンドレが食堂に入ると案の定、将軍の「あのバカ娘が!」という声が聞こえてきた。
「せっかく、お膳立てしてやった舞踏会も台無しにしてしまうわ、衛兵隊は辞めようともせんわ」
と言いかけて、アンドレの姿をみとめた将軍が聞いてきた。
「ところで、衛兵隊の様子はどうだ?アンドレ」
「はい、旦那様。オスカルは隊員達の信頼を得ておりますので」
これ以上、将軍を興奮させないよう、ジャルジェ夫人が話題を変えた。
「アンドレ、あなたがこの家へ来てどれくらいになるかしら?」
「はい、26年になります」
「おまえも、あのバカ娘のおかげでとんだとばっちりだな、アンドレ!」
結局、興奮はおさまりそうもない。
「あなた、あの娘をああいう風に育てたのも、アンドレをあの娘のために引き取ったのも私たちなのですから」
歯止めのきかない将軍を諌めるように夫人が言った。
「アンドレ、あとで私の部屋へお茶を運んでちょうだい。旦那様の分もね」
「かしこまりました」
二人は目配せを含む笑顔で挨拶を交わし、晩餐は終了となった。
夫人の部屋へお茶を運ぶ前に、アンドレはオスカルの部屋へ紅茶を持って行った。
オスカルは珍しく、ピアノフォルテに向かい、新しく手に入ったモーツァルトのソナタを弾いていた。
「どうだ?新しい響きだろう!」
将軍と違い、娘の方はえらく機嫌が良い。
「こういう曲はもうクラブサンでは無理だ」
オスカルは譜面を追いながら言葉を続けた。
「ところで、デザートの味はどうだった?」
オスカルがにやっと笑い、振り返りながら聞いた。
「ああ、おまえは代名詞以外で呼ばれることはなかったよ」
「どんな代名詞だ!?自分で勝手に娘に男の名前をつけておいて!」
娘は新体制の幕開けにふさわしい新しい調べを嬉々として奏で、父親は旧体制を死守すべく苛立ち、今は奥方の部屋で憮然とした面持ちで、お茶の運ばれるのを待っているのだろう。
「奥様の部屋へお茶を運んでくるよ。旦那様も一緒だ」
「巻き添えを食うなよ!早く戻って来い!今度は私がおまえのために作曲してやろう!」
「ああ、頼むよ」
曲を弾き続けるオスカルと一瞬、目を合わせアンドレは退室した。
夫人の部屋の前まで来ると中から将軍の声が響いてきた。
「オスカルがか!?・・・・アンドレもか!?」
オスカルと対に並べられ、非常に嫌な予感がしたアンドレはすぐに入室するのが拒まれた。
その後、夫人の優しく落ち着いた話し声が続き、いったん会話が終わったようなところでアンドレはノックした。
「ああ、アンドレ、ちょうどあなたの話をしていたところですよ」
アンドレは表情を変えることなく、二人のティーカップに紅茶を注いだ。
「おまえは、結婚する気はないのか?」
なんとなく予感していた問いではあったものの、アンドレは一瞬、返す言葉を失った。
「はい、いまのところ、その当てもございませんので」
なんとか、召使いらしく無難にかわせたと思ったが、今日の将軍はいつになく多弁であった。
「当てがないのか、その気がないのかどっちだ?」
「あなた」
当惑しているアンドレの表情を見てとって夫人が将軍を遮るように言った。
「あら、曲が変わったわね。誰の曲かアンドレ、ご存知?」
オスカルの弾くピアノフォルテがさっきまでのモーツァルトではなく、もっと甘い旋律のさらに自由な曲想のものに変わっていた。
「おそらく、オスカルの即興かと存じます」
「軍神マルスの子が女々しい曲など弾きおって」
夫人は将軍に一瞥を投げてから、アンドレに視線を移した。
「アンドレ、あなた、これからどうしたいのか希望はないのですか?」
「はい、このようなご時勢ですのでなおさらのこと、今まで以上にジャルジェ家にお仕えするのが私の望みでございます」
「聞いたか!?このような忠誠心があの裏切り者の貴族どもにあれば、王室も国家も安泰なのだ!」
話がまた、振り出しに戻ってしまったので夫人は嘆息し、目でアンドレに下がってよい旨、伝えた。
アンドレが退室しようとドアに手をかけると、気を取り直した将軍が言った。
「今日はもう遅い。明日の夜、私の部屋へ来るように」
―つづくー