La Vie en Rose

4 密談

作 オンディーヌさま

アンドレには、あまりいい話ではないような気がしていた。

オスカルのことなら、もう将軍は娘の意志を変えることには諦めがついているはず。

自分のことについてなら、これといったご勘気をこうむるようなことはしていないつもりだが。

 

ただ、オスカルと自分のこととなると・・・

夫人がなにかお気づきになられたのだとしたら・・・

これはお手打ち覚悟だな。

この代々、王家の軍隊を統率する由緒正しいフランスの大貴族の家柄と、その現当主である将軍のお気持ちからしたら、当然のことだ。

 

アンドレは背筋を伸ばし、将軍の部屋の重厚な扉をノックした。

「ああ、入れ」

将軍は先代の将軍、先々代の将軍の肖像画を後ろ手に組んで眺めていた。

「実はな、だいぶ前から話はあったのだが、プロヴァンスに領地を持つことにした。跡取りのいない友人から譲り受けてほしいと言われていたのだ」

将軍は深い溜め息をつき、また歴代の将軍の肖像画に目をやった。

「こんな時代でなければ、隠居して南仏の田舎に引っ込むというのもよいのだがな・・・」

将軍は視線を落とし、また溜め息をつくと肘掛け椅子に腰を下ろした。

「でだ、ゆくゆくはその領地の管理をおまえに任せたい。今、古い屋敷を修繕させているが、そこに私達が住むことはおそらくないだろう。おまえにその屋敷はやる。今まで、私達とあの娘によく仕えてくれた褒美だ」

将軍は目の前に立ち尽くす、隻眼の青年を眺めた。

自分の娘の命を守るために片目を失い、またその運命を嘆く様子もなくそれまで以上に我が娘と家のために尽くしてくれている。

本来なら、もっと別の人生があったはずだ。

気立てのよい娘を娶り、ささやかながらも幸せな家庭を築いていたことだろう。

我が娘の人生同様、この男の人生も結果的には自分の決断で本来の幸せからは遠いものとしてしまったのかもしれない。

 

アンドレはことの展開に唖然としていた。

言葉を失っていたアンドレだったが

「それはあまりに過分なお取り計らいでございます」

やっと声が出た。

 

「なにもすぐにというわけではない。いいか、いずれ図に乗った暴徒どもが貴族の屋敷を襲いだすかもしれん。そうなる前に、おまえはばあやとともに田舎に逃れろ。田舎の民は貧しくても、まだ王室を慕っておる。ヴェルサイユがパリが火の海になる前にそうしろ」

その声音から昨晩の興奮は消え、冷静に先を見据えるいつもの将軍の顔に戻っていた。

 

アンドレは胸がつまった。

口に出しても無駄な提案だと分かっていても言わずにはいられなかった。

「旦那様、そうお考えでしたら、どうか、どうか旦那様こそ奥様とともに国外へ亡命なさってください。お留守の間、お屋敷はお守りいたします」

 

将軍は嘲笑を浮かべ言った。

「私が王室から離れることは決してない。二度と口にするな!」

 

二人はしばらく沈黙した。

 

自分と同じ身分の者達が、この静けさと秩序と愛情に包まれた屋敷を襲い、この誇り高い主人と、自分がまだ小さい時には実の子と同じように抱きすくめてくれた心優しい奥様の命を危険にさらすというのか。そして、この主人はそうなる前に自分の従者を安全な場所へ逃す算段をしている。

今まで、新しい時代のうねりに胸を高鳴らせていただけの自分が、とてつもなく浅はかな人間に思え、アンドレは流れる涙を止めることができなかった。

 

「他になにか望みがあるか?」

将軍が聞いた。

「私は・・私はただオスカルに従うだけでございます」

「そうか。だが、あれがもし死ぬようなことがあればおまえはお役御免だ。いいな、近いうちに休暇をとり新しい領地と自分の家を見てこい。自分の住みやすいように修繕すればよい。分かったら下がれ」

 

アンドレが部屋の外へ出るとオスカルが立っていた。

話が長引いているので、心配になったのだろう。

オスカルはアンドレの様子に気づき、声をかけるのが遅れた。

アンドレはオスカルと目を合わせることなく、その場から離れた。

 

自室に戻ってもなお、アンドレはしばらく涙を止めることができなかった。

本当に物事は単純でなくなってきた、オスカル。

善良という言葉だけでは言い表すことのできないほど、自分には過ぎた主人夫婦に加わるかもしれない屈辱と暴力。

その巻き添えをくわないようにと、長年仕えた召使いを逃がしてやろうという信じられないほど寛大な配慮。

この身分制度という枠を大きく超えて示してくださるお気持ちはいったい、なんなのだろう。

 

アンドレは将軍の真意が他にあるのではと、もう一度将軍の言葉を思い返してみた。

「ばあやとともに逃げろ」というのは「オスカルを連れて逃げろ」ということか?

いや、名誉と秩序を重んじる将軍がそんなことを思うはずがない。

まして、オスカル当人が田舎に逃げるなどということに同意するはずもない。

では、平民らしく自分の人生を見つめなおせというご配慮か?

それにしても、屋敷を賜るなどもってのほかの処遇。

 

なんど考えても、堂々巡りのアンドレはいったん、主人の言いつけに従うことに決めた。

 

オスカルが遠慮がちなノックの音とともに入ってきた。

ベッドに座っているアンドレの隣に腰を下ろすと

「新しい領地の話だったそうだな」と前を向いたまま話しかけた。

「ああ」力無げなアンドレの声。

「暇でも出されたか?」今度はくったくのない笑顔で覗き込んできた。

「おかげさまで、もう少しは雇ってもらえそうだ」作り笑顔で答えるアンドレ。

「ずいぶんと遠いところに土地を買ったもんだ。老後対策かな?」

「広大な領地というわけではないそうだ。今度、休暇をもらって見てくるよ」

「そうか」あまり話したがらないアンドレの様子にオスカルは腰を上げた。

「こんな情勢でなければ、私も一緒に行ってみたいのだが・・・」

ドアの取っ手に手をかけたまま振り返り、オスカルが言った。

「おまえに田舎の風景はよく似合いそうだ、アンドレ!」

その笑顔がいつになく、ジャルジェ夫人によく似ていた。

 

 

 

―つづく-

 

 

 

 




              


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