La Vie en Rose

6 隠し扉

作 オンディーヌさま

「アンドレーッ!!」

その声の聞こえた祈祷室にアンドレは飛び込んだ。

暗闇の中にオスカルの白い左手が何かを求めるように空を掴んでいるのが見えた。

アンドレはその手を握り、自分の方へ引っ張るがその何倍もの力でオスカルの方へ、というよりもオスカルとともに反対方向へ引っ張り込まれた。

 

二人は暗闇の中を宙を浮いたような感覚にとらわれながら、強い力の方向へ誘われた。

しばらくすると、扉が開き、今度はやたら明るい部屋へ二人は着いていた。

 

二人は強く握り締めあっていた手を離し、辺りを見回すがそこはどうやら衣裳部屋らしい。

こんなところに隠し扉と隠し部屋があったのか?

そして、二人の目の前にはあの女、黒いマントの女がややうつむき加減に立っている。

 

Qui est vous?」(あなたは誰だ?)

オスカルは他に仲間がいるわけでもなく、すぐに自分達に危害を加える様子もない女に聞いた。

 

Je suis Sa Warabie.」

女は頭に被っていたマントを取った。

 

現れたのは艶やかに光るまっすぐな黒髪と、血迷ったどころか慈しみと愛情と強い意志に満ちた黒い瞳だった。

 

Est-ce que vous parle anglais?」(英語をお話になりますか?)

サ・ワラビー夫人は聞いた。

答えは分かっていたが、その言葉で始めることになっていたのだ。

 

Oui, Madame」

と即答しながらもオスカルは当惑していた。

東洋人か!?

しかも、使い古したマントとは不釣合いなほど、よく手入れされた艶やかな髪と肌はなんだ?

おそらく、マントは自分の姿を隠すためにパリで手に入れたのだろう。

 

アンドレはオスカルをおびき出した相手が意外な外見をしていたのはともかく、とにかくオスカルとはぐれることなく、今のところ安全な状態にいることにほっとしながら一歩後ろに控えて立っていた。

 

夫人はそんな二人に笑みを送り、次の扉を開いた。

細い廊下に出ると今度は突き当たりの部屋に案内した。

 

そこには客間らしい、直線的なデザインの長いすや肘掛け椅子が置かれており、奥には今まで見たこともない真っ黒い大きなピアノフォルテが置いてあった。

長いすには二人の女性が座っており、オスカル達が入ってくると立ち上がり、それぞれに挨拶をした。

「お待ちしておりました。オードリーと申します」

「ようこそお越しくださいました。オンディーヌです」

 

仲間がいた!

しかも、また東洋人!

そして、無茶苦茶な偽名!

 

「名前などどうでもいいのです。オスカルさまがお呼びになりやすいように、マルグリットとエリザベスでも」

オンディーヌと名乗る女がこちらの表情を見て取ったかのように言った。

 

「で、ここはどこで、なんの目的で私たちをおびき寄せたのだ?」

警戒の色を強めるオスカルにサ・ワラビー夫人が答えた。

「オスカルさま、あなた方は時空の扉を超えてここへいらしたのです」

このご婦人は信じようがないようなことを、なんと穏やかな笑顔で言ってのけるのだろう。

 

「なにかの比喩ですかな?サ・ワラビー夫人!」

笑顔で返すだけの夫人に、今度は他の二人に視線を送ってみた。

 

「目的はリハビリテイト(元の姿に戻す)です」

オードリーが答えた。

 

「なんとも、謎解きだな・・」

オスカルは呆れてアンドレを振り返った。

 

そこで、やっと五人はまだ立ったまま話していることに気づいた。

「どうぞ、お座りください」

サ・ワラビー夫人が声をかけ、オンディーヌが紅茶を運んで来た。

 

オスカルとアンドレは並んで座り、その対面にオードリーとオンディーヌが、一人掛けの椅子にサ・ワラビー夫人が座った。

 

オンディーヌが淡々と話し出した。

「オスカルさまは本来とても健康なお身体をお持ちですのに、過労から免疫力を低下させ肺の病を重症化させてみえます。そしてアンドレは怪我を負った目の治療の過程で安静を保つことができなかったため、右目の視力までどんどん低下し失明の危機にさらされています」

 

二人は自分達の思い当たるそれぞれ自分の症状と、お互いの症状を言い当てる言葉に驚愕しながらも、理解するとまず相手を責めた。

 

「どういうことだ!?アンドレ!!」

「どういうことだ!?オスカル!!」

 

二人は同時に叫んで立ち上がり、お互いの胸ぐらを掴み上げんばかりの勢いだった。

 

「まあ、お二人とも!本当のご夫婦になられる前から、騙し合いとはたいしたものですこと」

温かみのある声音でサ・ワラビー夫人が言った。

 

二人は顔を見合わせた。

このご婦人方は私たちの仲まで知っているというのか?

「これは夢だ、アンドレ!!」

 

「そうかもしれません。11月の午後のまどろみに見たあなた様方の夢かもしれませんし、その11月から219年経った東洋の国に住む私達の夢かもしれません」

サ・ワラビー夫人がそう言ったあと、オードリーが立ち上がった。

 

「お部屋をご案内しましょう」

二人は顔を見合わせながらもついていくことにした。

 

「ここは教会の地下ではありません。地上何十メートルかに位置するアパートメントです。この国ではマンションと呼んでいますが。下を動いている光は馬のない馬車、車といいます」

二人は窓から下を見下ろした。

はるか下方に星のような無数の光が列を作って、流れるように動いている。

 

「やっぱり夢だ。オスカル!」

二人は顔を見合わせ、信じられるわけがないというように笑った。

 

窓を離れ、今度は水道、シャワー付きの浴室、エアコン、照明のスイッチだのを説明しだした。

そして、オスカルだけを小部屋に案内し説明しているかと思ったら、急に小川の流れる音がしてオスカルの「おおっ!」という驚きの声が小部屋から聞こえてきた。

 

外で待っていたアンドレの顔を見てオスカルはくすっと笑い「アンドレ、おまえもあとで説明しもらえ!」と少年の頃(?)によく見せた悪戯っぽい笑顔で言った。

 

オスカルは召使い達がいちいち水やお湯を運ばなくてもすむ、広い洗面台や浴室がとても気に入ったらしい。

すぐにも使いたいというオスカルにオードリーはリネン戸棚のタオル類や自動でお湯をはる方法などを教え「便利にできていますので、召使いはいりません。これからはすべてご自分でおやりになってくださいませ」と笑顔で言った。

 

幾種類か用意した入浴剤から、オスカルはやはり薔薇の香りのものを選んだ。

そして、シャンプー、ヘアコンディショナー、ボディシャンプーなどオスカルの髪質と好みに合うだろうものを想像し、さんざん協議の結果、選んだ三人はオスカルが浴室から出てくるまで落ち着かない面持ちで待ち構えていた。

 

浴室の扉のカチッという音に三人は目を合わせ、オスカルが着替え終わるだろう頃を見計らって、客間から揃って出て行った。

 

「いかがでした?」オードリーが真ん丸い目をして聞いた。

「まるで、魔法だな!これではうちの召使い達はほとんど職を失うことになる!」

オスカルの頬にはうっすら赤みが差し、先ほどの警戒の色は消失していた。

 

「お髪を乾かしましょう」

つい先ほど、自分のことは自分でやるよう言ったオードリーがオスカルの髪をドライヤーという器械で乾かし始めた。

サ・ワラビー婦人も反対側からもう一台のドライヤーで同時に温風を当て始め、オンディーヌは大きなタオルで後ろの髪から水分を吸い取っていた。

三人は自分達の指をオスカルの髪に差し入れては、目をあわせ何か言い、乾かし終わると、一段とその輝きをました髪に対し、驚嘆の言葉をそれぞれに発していた。

この国の言葉でしゃべっているらしく、意味は分からないが、ばあやとロザリーがオスカルの髪の手入れをしているときの様子にヴェルサイユの貴婦人達のかしましさを少し加えたような、なんとも平和的な光景をアンドレは少し離れた場所から、腕を組み壁にもたれかかりながら眺めていた。

 

客間に戻ったオスカルはとても満足している様子で言った。

「非常に快適だぞ!おまえも使ってみろ、アンドレ!」

「アンドレの住まいは別に隣に用意してあるのです」

オンディーヌが言った。

「一緒ではないのか?他にいくつも部屋があるようだが・・」

アンドレが驚きと不満とが入り混じった表情で言った。

「ご結婚前ですし」

サ・ワラビー夫人が場の雰囲気を和ませるような口調で言うと

「まるで18世紀のフランスより封建的だな!」

とオスカルが笑いながら言った。

だが、言い終わると同時にオスカルはまたひどく咳き込み始めた。

 

一瞬にして4人の表情は変わった。

オードリーがティッシュを何枚かとり、オスカルに手渡す。

オスカルはそれを口元に当て、アンドレが背中をさする。

 

しばらくして、やっと咳がおさまるとオンディーヌが言った。

「オスカルさまの病気は空気を介してうつるのです。同じ部屋での生活はお諦めください。そして、明日の晩、診察を受けてください。この時代のこの国の専門医の診断を受けたうえで、治療を受けるか、もとの時空に戻るかをご自分でお決めください。強制したとしてもきっと聞いてはくださらないでしょうから」

 

オスカルが自分を取り戻したかのような表情で言った。

「たとえ、あなた方の言うことが真実だとしても、私に祖国を離れて病気の治療のために費やす時間の余裕などはないのだよ・・」

 

「その点でしたら、ご心配なく!過去の世界から来た人はここで何ヶ月過ごそうと、戻るときは必ず来た時点に戻りますから!」

オードリーがくったくのない笑顔で言った。

 

「本当です。何人か協力してくれる人を連れてきてみて確認しております」

サ・ワラビー夫人は犯罪行為と誤解されかねないようなことを、まるで花を愛でる言葉のように優しげに言った。

 






 

                     かたかごさま画

 

 

 

 

 

 

―つづく










            


 ←オンディーヌさまへのご感想