運命の扉

人間というものは不思議なもので、おのおの自分こそ一般的常識の持ち主であると思っている。
したがって、パリ行きの話が出ると、各方面から、様々な意見が非常に強力な勢いでオスカルとアンドレのもとに寄せられた。

まず、ばあやである。
30秒ほどの沈黙のあと、彼女は、自分の孫だけに向かって言った。
「この馬鹿!!おまえの頭はこわれちまったのかい?ミカエルさまとノエルさまを置いて、なんだってパリくんだりまで乗り込まなきゃならないんだよ!」
以後1時間にわたって説教は続いた。
まがりなりにも一家をなしているオスカルとアンドレとミカエルとノエルの家族の中で、アンドレのみを呼び捨てにし、残る三人は様づけで話すため、ばあやの話は混乱を極め、支離滅裂となり、最後には息切れ状態となってようやく収束した。
この間、オスカルとアンドレはただ黙って聞き役に徹した。
そして最後にオスカルが必殺のほほえみを繰り出した。
二人の計算通りである。
「心配してくれてありがとう、ばあや。わたしもね、もしばあやがいなかったら、子どもを預けて旅に出ようなんて、到底決断できなかった。このノルマンディーにあの子らの血のつながったばあやがいてくれるからこそ、安心して信念を貫ける。本当に感謝しているよ、ばあや。」
これでこちらはケリがついた。
ばあやはオスカルに弱いのだ。

続いて、バルトリ侯一家がすっ飛んできた。
美しい一家の勢揃いは、いつ見ても壮観である。
「オスカル!こんなに小さい子どもを置いてよくも旅に出ようなどと思いますね。仮にもあなたは母親でしょう。アンドレ、あなたもあなたよ。一体何を考えているの?」
まずクロティルドがまなじりをつり上げて詰問した。
予定通りだ。
二人は黙って聞き流す。
もちろん顔は渋面にしておくことを忘れない。
のれんに腕押しの二人にクロティルドは大げさなため息をついて引き下がった。

「ルイ・ジョゼフの願いをかなえてやりたいという君たちの気持ちは、充分理解できる。わたし自身、ナポリから彼を連れてくるのは随分危険で無謀な行動だったからね。だが、わたしの場合、自分の家族にはさほどの被害を与えていない。ここはひとつ大人として、また親として、再考してみてはどうかね。」
侯は、非常に高い見地から穏やかに訓辞を与えてくれた。
その思いやりに二人は大変感激したが、意志を撤回する気はなかった。

「思いついたら撤回できない、というのは血筋かしら、と思うのですけれど、なんというか、ものすごく思い切った決断を、随分と簡単になさったような印象を受けますわねえ。」
父親ほどではないにしても、ニコレットの反応もまた相当客観的なもので、もはやあきれはてている、という感じすら伝わった。
これには二人ともいささか憤慨した。
二人なりに悩み苦しみ出した結論である。
簡単に、といわれては身も蓋もない。
「所詮、子どもにはわからん。」
オスカルは姪っ子を切って捨てた。

「父上に連れられて生まれて初めて海に出たときは、興奮と感動で心が浮き立ったものだ。でも、今、この情勢で、ルイ・ジョゼフを連れてパリに乗り込んで謁見、という計画の前にはわたしの経験など吹っ飛んでしまうな。ねえ、もし良かったらわたしも同行させてもらえないかな。事情もわかっているし、かなり役に立つと思うんだけど…。」
ニコーラは、さすがにジャルジェとバルトリの血をひく人間だった。
すました顔で自分を連れて行けと要求してきたのだ。
「たったひとつの行動をとっても、反応というのは様々で、聞いていてあきないな。」
オスカルが思わず本音をもらした。
「馬鹿をおっしゃい!今回の場合、誰だって同じ反応をしています。何が様々ですか?!」厳しい叱責がクロティルドからとんだ。
「いや、姉上。ニコーラは反対してませんぞ。なかなか見所がある。確かにおまえは若い上に船も操れるし、色々役に立ちそうだ。アンドレ、連れて行くのも一興ではないか?」
上機嫌でオスカルがアンドレに提案した。

今度こそクロティルドの怒りが沸点を超えた。
「冗談ではありません!!ニコーラはバルトリ家の継嗣ですよ。あなたの空恐ろしい無計画な計画に連れて行かれてたまるものですか!」
度を超してしまったクロティルドの言葉は支離滅裂で、ニコレットがまず吹き出してしまった。
「無計画な計画ですって…!おかしいわ、お母さま…!」
落ち着き払ってはいるが、実は箸が転げてもおかしい年頃なのだ(箸のない国ではスプーンが転げても…というべきか)。
つられてバルトリ侯爵まで笑い出した。
諸々の反応に困惑していたアンドレは、この際とばかりに同調して、遠慮がちではあるが笑い声を上げた。
当のニコーラは、オスカルからの同行許可に気をよくして、もとより喜色満面である。
ニコレットとバルトリ侯にアンドレ、ニコーラまでが笑っているため、クロティルドの怒りにも関わらず、なぜか場がなごんでしまった。

笑顔を浮かべたバルトリ侯が静かに言った。
「ナポリからフランスに来るだけでも、いわばばくちだったのだ。彼にとっては、同じ国内、ノルマンディーからパリまでなど、訳もないのことなのかもしれないね。」
一瞬、静寂が場を覆った。
「ルイ・ジョゼフは、身体は弱いけれど、意志はわたしなど足下にも及ばないほど強い。わたしは彼の手足となって助けてやりたいんだ。きっとオスカル・フランソワも同じ気持ちなんでしょう?。」
ニコーラが、めずらしく真面目な面持ちで聞いた。
「そのとおりだ、ニコーラ。わたしはなんとしても彼がこの国へ来た目的を達成させてやりたいのだ。彼はわたしのかけがえのない弟子だからね。」
オスカルも真剣に応じた。

「わかりました。では、これだけは条件として出させてちょうだい。」
クロティルドがようやく怒りを静めて条件闘争に入った。
切り替えの早さは血筋というべきか。
「わたしのニコーラをあなたに預けるかわりに、あなたの天使達をわたくしのところで預かります。もちろん、ばあやも、モーリスたちもみんなまとめて来てもらいます。うちの方がよほど安全ですからね。」

この提案には、アンドレがいたく感激した。
実は、彼自身が望んでいたことだったのだ。
だがあまりに身勝手な気がして申し出ることはできないと思っていた。
それを、クロティルドから言い出してくれた。
願ったり叶ったりだった。
革命の余波で、どんな危険があるかわからない時世に、年老いた祖母と幼い子どもたちを置いていくには、男手がモーリスとマヴーフだけというのは心許ない限り。
そんな手薄などんぐり屋敷と違い、侯爵邸は堅固な造りで、使用人も多い。
まして侯の手下となって働く船乗り達は、屈強な強者揃い。
ここで預かってもらえるなら、こんなに安心なことはない。
アンドレは威儀を正し、膝までついて礼を述べた。

説得すべき人たちは説得した。
後顧の憂いはない。
むしろ心強い同志をひとり得た。
運命の扉は静かに開こうとしていた。




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