運命の扉
バルトリ家の四人とオスカル、アンドレの六人に、ルイ・ジョゼフを加えて、その夜の晩餐は始まった。
いつもより饒舌なルイ・ジョゼフに、最初アンドレは、積年の願望がかなう興奮によるものかと思ったが、しばらくしてそれは間違いたと気づいた。
饒舌なのはルイ・ジョゼフひとりではなかった。
ニコーラもニコレットもいつも以上におしゃべりでよく笑っている。
それに、平素なら大抵話題の中心となって会話を維持する侯爵が、ただ黙ってフォークを動かしている。
また、いつもなら誰よりもよくおしゃべりするクロティルドもニコニコと笑って子供たちの会話に耳を傾けている。
不思議な光景だった。

ガシャーンと大きな音がして、ルイ・ジョゼフがスプーンを落とした。
アンドレはひどく驚いた。
しつけの行き届いたルイ・ジョゼフには考えられない不作法だったからだ。
しまった、という顔であたりを見回す彼に、ニコーラから鋭い言葉がとんだ。
「おい、ルイ・ジョゼフ、そんなではジャルジェのおじいさまにこっぴどくやられるぞ。あちらはうちなんかと違って、万事形式第一なんだからね。」
「え…?そうなんですか?先生…。」
救いを求めるようにルイ・ジョゼフはオスカルを見た。
「まあな。食事は修行。食事は難行苦行。覚悟しておいたほうがいい。」
オスカルの脅しにルイ・ジョゼフが震え上がった。

ジャルジェ家の晩餐は、確かに物静かではあるが、優しい夫人の醸し出す暖かい雰囲気が常に漂い、決して修行のようなものではない。
なんで、そんな嘘を…、と言いかけて、アンドレはオスカルがクスクスと笑っているのに気づいた。
ニコーラも笑いをかみ殺している。
クロティルドが、哀れむようにルイ・ジョゼフを見た。
「お馬鹿さんね。ニコーラやオスカルの言うことなんて信じてはだめよ。わたくしのお母さまは、ちゃめっけがあって、でも聖母のように優しい方。お父さまも慈悲深くていらっしゃるわ。とっつきは悪いけれどね。」
クロティルドの両親評に思わず吹き出しそうになりながら、アンドレは理解した。
ルイ・ジョゼフがずっと自分の周囲に張り巡らしていた垣根が消えたのだ。
彼は、年齢相応に兄と戯れ、軽口をたたき、少々は失敗もして、それをからかわれ…。
ごく普通の家族の一員になったのだ。

ジャルジェ家の祖母のもとに引き取られたかつての自分が重なった。
常に気を張り詰めていたときに、優しく暖かく迎えてくれた働く仲間達や主家の人々。
そして、何よりも今隣に座るオスカルの存在がが緊張感を一気に解き放ってくれたのだった。
完全に馴染んだのは半年くらい経った頃だったろうか。
ルイ・ジョゼフも、ノルマンディーに来て1年以上過ぎた。
祖母のいた自分と違い、誰一人血縁者のいない彼にとっては、これくらいの時間が必要だったということなのだ。
頬をプーッと膨らませ、ニコーラとオスカルに抗議している姿の、なんとかわいいことだろう。
アンドレは、ふと、自然に笑みを浮かべている自分に気づき、この表情が侯爵と同じものだと気づいた。

「軽口の方は確かに嘘っぱちだが、これから言うことはすべて本当だ。」
突然、オスカルが改まった声を出した。
さっと場が静かになる。
アンドレには懐かしくさえあるその声は、まさしく部下に任務を発表するときの、一種独特の威圧感のあるものだ。
「パリへの出発は1週間後。道中に約3日から4日かける。そして滞在は10日。どんなに遅くとも一ヶ月後にはここに帰ってくる。人数は4名。わたしとアンドレ。そしてニコーラとルイ・ジョゼフ。パリに入る前にベルサイユに立ち寄り、そこで再確認のための情報収集を行う。実際に色々な人間と直接会見して決めなければならない部分があるからだ。計画が確定すればパリ中心部は避けて、サン・クルー宮殿に直接入る。そして謁見を賜る。その後は一気に帰路につく。使用するのはうちの頑丈な馬車。四頭立てにして走らせる。」
黙って聞いているルイ・ジョゼフの頬が興奮で紅く染まっていた。

どんぐり屋敷からバルトリ侯爵邸への引っ越しが、なんとか落ち着いたのは、オスカルがルイ・ジョゼフに出発を宣言してからちょうど一週間後のことだった。
これからどんぐりの実がたわわになるときでもあり、こどもたちがどんなに喜ぶだろうと思っていたアンドレには、少々残念な気もしたが、王家がサン・クルー宮殿にいる間でなけば、というオスカルの計画も至極妥当なものであったから、楽しみは来年にまわすことで、彼は自分の心の折り合いをつけた。
このご時世にいかに小さな屋敷とはいえ、全く無人にするのはいくらなんでも不用心である。
マヴーフ夫妻はバルトリ侯爵の叔父が所有者であったときも屋敷の管理人であったのだから、侯爵家には行かずに残り、実際に引っ越したのは双子とばあや、それにもともとバルトリ家の使用人であった料理人のモーリス夫妻の5人だった。
こどもを置いての危険な計画に大反対だったばあやも、一旦賛成してみれば、老いた身体で双子の世話をするのはあまりに心許なかったので、クロティルドの完璧な後ろ盾があるバルトリ邸への移転は、歓迎すべきものと思うにいたった。

慣れぬ屋敷での生活にもっともとまどうと思われたのはノエルだった。
新しい場所に移ったと思うや、両親の姿が消えるのだ。
精神状態が不安定なになるのはほぼ確実だと誰もが予想した。
実際、転居後三日間、ノエルは夜泣きが止まなかった。
一緒にしておくとミカエルも寝られないので、アンドレがノエルと、オスカルがミカエルと同室にして、根気よくノエルが落ち着くのを待った。
だが、子供の順応力は大したもので、四日目にはノエルは新しい寝台に馴染み、ぐっすりと眠ってくれた。
そして、試しにということで、アンドレが姿を見せないようにしてみたが、時々探す仕草はするものの、見つけられなければあきらめて、ミカエルと遊ぶようになった。
さらに六日目の夜、ノエルとミカエルだけで寝かせてみた。
大成功だった。
二人はクスリとも言わず熟睡したのだ。

この一連のノエル順応作戦の第一の功労者はニコレットだった。
彼女は日頃から教会でこどもたちと接する機会が多く、様々な性格のこどもを手なずけてきていた。
ノエルのような子どもは、とにかく昼間に散々刺激的な体験をさせてやり、身体をめいっぱい動かして疲れさせ、そこへお腹いっぱい食べさせれば、諸々満足できるため、ぐずる回数が格段に減る、というのがニコレットの提案だった。
半信半疑かつ、良家のお嬢さまにあるまじき育児方法であると思っていたばあやも、アンドレに「母親がオスカルだよ。お嬢さまとして育つと思うか?」と指摘され、黙って見守った。
そして七日目には「ニコレットさまは子育ての天才だ。」と太鼓判を押したのである。

いよいよ十日目、予定より三日遅れでアンドレが双子を乗せるために用意した頑丈な馬車に4頭の馬をつなぎ、オスカル、アンドレ、ルイ・ジョゼフ、ニコーラはバルトリ邸を出発し、一路、パリを目指した。
1790年10月初旬のことである。





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