フランス国内の情勢が緊迫してくると、国民衛兵隊の幹部が、たびたびソワソン家に滞在しているのはかえって迷惑であるため、最近のアランのねぐらはもっぱら割り当てられた官舎となっていた。
ここは緊急時にもすぐに本部への出動が可能な立地条件に加え、賄いと清掃を担当する使用人が常駐しているという何かと便利な場所である。
バスティーユ陥落の際の戦功により、ラ・ファイエット将軍旗下の一個隊をまとめる将校となった彼は、しかしこの官舎で座して過ごすことなど到底ない日々を送っている。
かつての仲間は部下となり、上司が同僚となり、始めはその変化にひどく居心地の悪い思いをしたが、めまぐるしい日々の中では、そのような些細なことに精神を割いている余裕はなく、今ではすれ違う際に受ける敬礼にも、堂々と返礼している。
ディアンヌがらみで奪われた階級は一気に快復し、この一年で少尉、中尉を経てすでに大尉である。
あるべき国家の姿、あるべき国民の形を追い求めながら、立場の違いによって理想像が大きく異なり、それゆえ対立し、衝突し、またまた力あるものが力なきものを武力で押さえつけるパターンが繰り返されている。
ナンシーの叛乱はその典型的な例であった。
かねがね因縁のブイエ将軍が首謀者というのも苦々しくあったし、日頃自分に目をかけ引き立ててくれるラ・ファイエット将軍が実はブイエと縁戚で、それが国王の権力が著しく低下した今もなお、ブイエが一定の影響力を保持している理由であるのも受け入れがたいことだった。
家柄や血筋ではなく、能力によって認められる世界。
それを目指したはずなのに、明らかに対立しているはずの立場のものが、実は裏では従兄弟であったり兄弟であったりして、表からはうかがい知れないつながりでもって、物事が決定されているのが現状である。
そのような光景を目の当たりにして、アランは随分と疑り深くなっていた。
バスティーユ陥落後、日を置かずして国王一家を見捨てて亡命した王弟や一族のものたち。また、現国王を追い出してあわよくば自分が…という魂胆が明らかなオルレアン公爵。
自国への波及を恐れて、戦々恐々とフランスの行方を見ている王妃の実家や、兄弟姉妹が統治する国々。
一見すれば薄情な人々に見えるかもしれないが、それもひとえに保身のためで、他国で力を保持し、いずれフランスを自分たちの手に取り戻そうとしているのには違いない。
王家の人間、いや、貴族というものは、一人一人がどれほど勝手で自己中心的であろうと、集団となった場合には、人情や義理など惜しげもなく捨てて、集団の延命のため動くのだ。それは国王や王妃という個々の人間を見捨ててでも、誰かが国王となってその地位を守るという、恐ろしく固い掟のようなものだと、アランは感じていた。
官舎の寝台から起き上がり、枕元にあった手紙を、暗闇にもかかわらず、難なく手に取った。
すでに夜更けて、さすがに表の通りからも物音ひとつ聞こえない。
かつての上官が遠いノルマンディーから書き送ってきたそれを、かれはすでに暗記するほど読み込んでいる。
整った字体と、簡潔な内容。
けれど上品で優雅な香りがそこはかとなく漂う。
月明かりがぼんやりと照らす便せんは、さほど上等とも思えない質素なものだ。
明後日、手紙の主と会うことになっている。
ジャルジェ家の使いがラソンヌ家を通して申し入れてきた。
明後日の正午、ジャルジェ邸まで来られたし。
伝言はいたって短かった。
詳細は手紙で言ってあるだろう、とニヤリと笑う顔が浮かぶ。
また振り回されるのか。
出会ってからというもの散々振り回された。
会えなくなってからもしばらくは後遺症に悩まされた。
ようやく立ち直ってきたのに…。
だが、出るのはため息ではない。
腹の底からわき上がってくるのは、くやしいけれど喜びなのだ。
どんな顔をしているのだろう。
なんと自分を呼ぶのだろう。
自分はどんな顔をするのだろう。
自分は何と答えるのだろう。
期待に胸がふくらみ鼓動が早まる。
戒めようと思いながら、つい手紙を握りしめている。
その趣旨は国王一家への面会を取り次いで欲しいというものだった。
いや、正確に言えば、面会は別人が取り持つので、その間の警護を頼みたいというものだった。
相当極秘裏に運びたいらしい。
絶対的に信頼できるものしか使うな、との指示が記されていた。
人物眼を信じるから、人選は任せる、ともあった。
立場上、国王警護ができない身ではないが、実際に実行しようとすると、様々な調整が必要だ。
だが、手紙では、「急げ。」となっている。
自分が到着するまでに万端整えておけ。
たやすいことだろう。
要点だけの命令が無性に懐かしい。
今、自分にこんな命令を下せる人間はいない。
国民衛兵隊ま命令系統は未熟で、未完成ときている。
アランに降りてくる指令は、長いときは回りくどいし、短いときは無茶苦茶、そのどちらかだ。
短期滞在だと念押しされているが、その間の興奮を考えるだけで感動が総身に周り、こうして夜中に目を覚まさせる。
アランの運命の扉は、永遠の思い人によって強引にこじ開けられようとしているのだが、無論彼はまだ何も知らない。
夜明けを待つように再会を待っているのみだ。
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